悲しみの中で
「ありがとうございました」
黒い排気ガスを噴き出しながら遠ざかるトラックを見送り、わたしは漸く肩から力を抜いた。
温かい風が吹き、木々がさわさわと音楽を奏でる。
まだ寒さの残る季節にしては爽やかな午後である。
それとは反比例して、わたしの心は暗く、澱んでいるといっても過言ではない。
都会でもなくどちらかと言えば田舎に引っ越してきたわたしの名は上原菜摘。
短大の卒業式を終えたばかりの、これといって特徴のない人間だ。
高校3年生の半ばで両親を事故で亡くしたのは記憶に新しい。
その時に祖父から連絡があり、進学を悩んだわたしの背中を押してくれたのは祖父だ。
わたしは保母さん……保育士になりたかった。
でも両親の死で、高校卒業と同時に働くべきかと思ったのだが、祖父が心配するな、と学費と生活費は出してやる、と言ってくれたのだ。
わたしは父親の仕事の関係で、3県は離れた都会の方で暮らしていた。
だから進学希望の短大は向こうにあった。
祖父はそれでもわたしの為にと骨を折ってくれた。
学費も生活費も、成人式の振袖だって用意してくれた。
昔、母さんと祖母の振袖を着れたらいいな、って話してたことを覚えててくれたのだ。
1年の内で数回しか会わなかったのに、しかも小さい頃の話なのに覚えててくれたんだ、と送られてきた振袖を見て泣いてしまった。
勿論成人式が終わったら友達との飲み会を欠席して祖父の家に飛んでった。
2人で亡き祖母と両親の思い出話をしながら写真も撮った。
たまたま祖父のお友達がいて、祖父と並んで撮った写真は2人とも目が真っ赤で、わたしなんて化粧が酷いことになってたけど……大事な写真だ。
高校の卒業式や短大の卒業式の写真も、友達に頼んで沢山撮ってもらって祖父に送っていた。
電話もいっぱいした。
遺された家族は祖父だけ……いや、連絡のつかない叔父もいたけど、会えて、声が聴けるのは祖父だけだったから。
その祖父も、よる年波には勝てない……そう言って、天へと昇って行ってしまった。
「菜摘ちゃん?」
ぼんやりと空を見上げていたら名前を呼ばれて、はっと現実に戻らされた。
振り返ればそこには祖父のお友達がいた。
「あ、こんにちは」
「こんにちは、……こっちに住むことにしたんだね」
「はい。あ、それで1度お話したいと思ってたんですけど……」
「うん。今時間あるかな?」
物腰柔らかい祖父のお友達の飯塚さんは元弁護士さん。
成人式でべろべろになった祖父に毛布を掛けた後、少しお話しさせてもらったのだ。
祖父は好きな所で就職しろ、と言ったけど、わたしはこの家に、祖父と一緒に居たかった。
なので、住所の移動だとか本籍地がどうだとかの話をちょこっとしたのだ。
結局は向こうで進学したのだけど……。
今はそんなことより、この家を手放さないようにどうしたらいいかを尋ねなければいけない。
「粗茶ですが」
「いいえ」
まだダンボールが積まれててみっともないけど、早目にしっかり用意がしたいというわたしの心境を汲んでくれた飯塚さんにお茶を出して話し合う。
どうやら祖父が、財産について色々考えてくれていたようだ。
今日もわたしが引っ越してくるという情報をどこから得たのか、飯塚さんはこの為にわざわざ訪ねてきてくれたらしい。
いくつかの書類にサインしてハンコを押したら、後は僕に任せてね、って言ってくれた。
とてもありがたいと思う。
家族もいなくなり、就職も散々で、今はあまりあれこれしたくなかったし、祖父がこいつだけは信用していい、と言ってたので何かあったらまた頼ることになりそうだ、なんて思う。
少し話した後、飯塚さんの好意に甘えて諸々をお願いし、頭を下げてお見送りした。
祖父の家は小さな庭付きの2階建てだ。
祖父の行動範囲は1階だけだったみたいで、2階はちょっと埃を被ってた。
祖父のおおらかな笑顔を思い出して、のほほんとした母親を思い出して、それにちょっとツッコミを入れる父親を思い出して……泣きながら掃除した。
「はっはっは、少しくらい掃除しなくても死にゃあせん」
「うふふ、父さんったらあたし達の物残してたのねぇ。あ、これ懐かしいわぁ!」
「いやいや、埃は体に悪いですからね?おい、アルバム見るのは後にしなさい。こら、聞いてるのか?」
遺された物に、家族の幻影が絡み付く。
窓を開けて風を通しながら、埃のせいじゃない涙を拭って埃を追い出す。
2階は8畳二間で、襖を開けておけば広く使える。
今はそんな広さが心細さを増長させるから、片方に荷物を置いて、片方をわたしの寝室にするつもりだ。
就職しなかったわたしには時間がたっぷりあるから、ひとつずつ懐かしむ時間もある。
寝る場所だけ確保して、2階の掃除を終えた。