「さぁさぁさぁ……早く席について。 授業を始めるよ」
「人の命は平等だと教えられるし、僕たち教師は君たち生徒にそう教える。 しかしながら大人はどうして平等なのかは教えないし、子供はなぜ平等なのかを尋ねない。 人の命が平等なら、動物の命は平等なのか。 植物の命は平等なのか。 人を殺せば罪に問われる。 けれど、動物や植物の命の場合は殺したことではなく壊したことを罪に問われる。 実際、これはどうなのだろうか? 命というものは人にしか宿っておらず、動物や植物なんかの命は紛い物だということだろうか―――なんて下らない授業をこれからする訳だが、最初から順番に、順序よく考えていこうか。 それじゃあまずは、“本当に人の命は平等なのか” だ」
平等―――平に等しい。
意味―――差別することなく、同じように扱うこと。
「結論から言えば、ボクは命は平等だと考える。 しかしながらそれは神様何て言う存在から見た場合であり、ボクたち人間から見た場合の命は平等であっても同価値ではない。 他人の命より自分の命の方が価値があるんだ―――と、思うのがボクだ。 ボクは基本的に出来ないことがない。 それがどんな難解な問題であろうと、運動であろうと、初見で普通に解くことができるし動くことができる。 普通に、普通以上の成果を出せる。 努力なんてしたことがないし、苦労もしたことがない。 何でも出来たボクに出来ないことは、多分数える程しかなかった。 それこそ、片手の指で足りる。 そんな普通に異常と呼ばれるべき天才性―――異常性を持つボクの命と、そこら辺に溢れている一般人の命は平等であるが、ボクの命の方が圧倒的に価値がある。 それこそ、ボク一人を生かすために喜んで死ぬべきだと思う。 けれど、世界に溢れる約65億程の凡人の命と比べられると、価値としてはボクの方が下がる。 ボクは一人で世界を動かせる程度には異常ではあるが、ボク一人で世界を創ることは出来ない―――ボクだって人間なんだ。 それにひとりぼっちになったら寂しくて死んじゃいそうだよ。 というわけで、ボクの考えは“命は平等であるが同価値ではない”。 もっとも……ボク程度の命、神様にとったら他の命と平等に無価値だろうけど。 ……次は“生と死”だったね」
生と死―――表裏一体。
生きる―――生物が生命を維持してこの世にある。
死ぬ―――生物が生命をなくす。
「残念ながら、僕にとって生きることと死ぬことはイコールで繋げることができる。 つまり、先生が望むような答えを出せるとは思わないけれど、まぁ答えてみようか。 僕も人間だから、当然お父さんとお母さんの致しちゃったにゃんにゃんのお陰で誕生したわけだ。 そして、そこから産まれて、どこかで死んでいくわけだ。 つまり、生きているから死ぬわけだし、いつか死ぬから生きているわけだ。 死ぬから生を実感するし、生きているから死ぬことができる。 日々を全力で生きるということは、日々を全力で死んでいるということと同義であるし、生きるということは死ぬということなわけだ。 不老不死何てものが叶うならば、それは生きているとはいえないというのが考えだ。 生きているから死ぬ。 死ぬから生きている。 産まれたその瞬間から死に向かってダッシュしている人生は、死に急いでいる人生なわけだ。 死んでいるように生きてる人間はいるけど、そんな人間と死体に違いはない。 生きてるなら全力で生きて全力で死ね‼ 死ぬことに理由はないし、意味もなければ劇的でも悲劇でもない。お前の死に意味はねぇし僕の死には何もない。首相だとか大統領だとか王様とかの死にも、対して意味はない。―――もしも、世界の核であるような誰かが死んだ場合は別だろうけどね。 それはつまり、この世界で意味のある死はたった一人にしかないということだ。 というわけで次は、“何で裁かれるのか”」
裁き―――事の理非・曲直をはっきりさせること。 また、その判断。
罪―――積み重ねるもの。
罰―――与えられるもの。
「何で裁かれるか―――何て言うと、人が裁かれたら悪いみたいに聞こえるから不思議だよね。 裁かれる、要は叱られるということだと思うけど、そんなのは悪いことをしたから叱られるんだし、つまりは裁かれるんだよね。 もっというと、基本的に法によって裁かれる訳だけど、それだって歴史的に見れば変わり続けてるし、国によっても当然変わるわけで………結局、人が人を裁く理由っていうのは、もし自分が悪いことをしたときに裁いて欲しいという、願望なのかもしれないね。 普段、何気なく犯している罪を何らかの形で償いたいという無意識。 ちょっとした自己否定みたいなものだよ。 きっと、僕ら人間はどこかで自覚しているんだよ。 それを許してもらいたくて、もしくは終らして欲しいという願いだ。 人は一人で生きられない―――それは人は他者を通して自己を知るものだし、繋がりがなければ活きることがないからだ。 ということで―――“何で裁かれるのか”の解答として、“自分も裁いて貰いたいから他者を裁く”を提示するよ。 ……まさしく、情けは人の為ならず―――じゃあ、“善と悪”について聞こうか」
正義―――正しいことのみを実行すること。 悪を許容しないこと。
善―――良いこと、道理にかなっていること。
悪―――道徳や法律に照らして、悪いこと。
「善と悪、正しいことと悪いこと、なんていうものは存在しねぇ。 強いて言えば、私がすることが善であり、私の邪魔をする奴が悪だ。 なぜなら私は常に自身が正しいと思う行動をとっているし、私が間違えるなんてダセェことはしないからだ。 もし間違ってたなら、それは間違えることこそが正しくて、間違えないというのが間違いだということだ。 そもそも……区別することが間違ってんだ。 アニメや漫画じゃねえんだから、全方位に対する善も悪もあるわけがねぇ。 それに、自分で間違ってるって自覚しながら間違い続ける奴もいねぇ。 そんな甘ちゃんがいたらとりあえず殴り飛ばしとけ……それが正しい善だ。 そして、正しいことを出来ないことは悪いことじゃねぇ。 自分は正しいことをしてるなんて言い張って、正義の味方を気取るのが悪だ。 正義ってのは、許容しないことだ。 なにもしないことだ。 白は何色にも染まらないから|白色≪正義≫だ。 それなら私は全部混ぜ混んだ|黒色≪悪≫の方が好きだね。 とりあえず、受け入れてくれるから。 ……これが世界から悪いことが無くならない理由だな。 受け入れてくれるから安心できる。 けれど、良いことをするってのは孤独なんだ。 白は染まらない、受け入れない……独りで戦う必要がある。 そんな|正義≪白色≫なんてトイレにでも流しとけば、少しは生きやすくなるだろうよ。 てなわけで、最初に言った通り私の考えは“善とか悪とかくそ食らえ”だ。 ……こんなもんでいいだろ。 そんで、お前の出した“結論”はどうなんだよ」
結論―――結ばれた論。
意味―――最終的な判断。
「―――と、まぁ……これで終わりだ。 結局のところ、人の命は平等であっても同価値ではなく、善とか悪とか関係なく独りよがりに人は人を裁く。 特に意味なない死はありふれているし、意味のある生なんてものは数える程しかない。 生きたい奴は生きていればいいし、死にたい奴は死ねばいい。 動物も植物も関係なく、生きているから生きているのだから、人間も生きたいと強く望みながら生きるべきだ。 少なくとも、“死ぬ勇気がないから生きている奴”が大半のこの世界において、僕たち数人程度は確固たる意志を持って今日を生きようじゃないか―――以上!! おしまい」
始まり―――前がないこと。
終わり―――先がないこと。