ミッドナイト・カレッジタウン
真夜中の学生街はとても静かだ。
昼間に溢れかえる、統一感のない靴と鞄、古びた自転車とジャケット、それから折りたたんだスカートや色とりどりのブレザーたちが奏でる喧騒が嘘のようだ。特に、日曜日の……大半の店も、すでに瞼を閉じている、午前一時位ならなおさらだ。
閉じた瞼の前では行き場を失った学生がへたり込む。瞑った目で足元を凝視し、岩のように動かない。それを黒猫が流し目で通り過ぎる。その目は、今日は見えない月と同じ黄色。
夜闇に溶け込みそうな黒猫の毛皮と、すっかり冷めてしまった黒いアスファルトを、二列に並んだ街灯が煌々と照らす。延々と平行して続く二筋の光が、彼の手中に納まっているペットボトルとそれに半分ほど入った液体に反射する。
スレンダーなシティーガールの腰みたいにくびれた、特徴的な形のペットボトルには、夜と同じ色の、水飴のような光沢で炭酸がほとんど抜けた砂糖水。緩んだキャップを開けて、ソレを無理矢理口の中へ流し込む。
――不味い。分かってはいたが不味い。想像以上だ。
黒蜜の原液のように舌に纏わりつく甘さと、シップや消毒液のような、鼻をツーンと突き刺してくる不健康な臭い、口の中で申し訳程度にはじける炭酸。これはとても飲めた代物ではない。たまらず、彼はもはや飲み物ですらないソレを吐き出した。
ソレは店先に飾ってあるデフォルメされたカエルの置物に襲い掛かり、彼に大きくて黒い、薬品臭の漂うシミを作る。そんなことをされたというのに、カエルはニタニタと笑っていた。それが、なんだか気に食わなかった。気に食わないから、彼は持っていた、まだ中身の残っているペットボトルで力いっぱい殴ろうとして……止めた。
ペットボトルを口から外してだいぶ時間がたったはずなのに、口の中からはポツポツと炭酸の残り香がした。いや、もう炭酸なんてどこかに消えてしまっているのに、そう思いたかっただけなのかもしれない。開けたばかりのソレは星の数ほどの炭酸が弾け、見慣れた田舎の夜空の、都会の交差点より騒がしい星空が輝いていたから。
これはもちろん比喩だが、今は見慣れたその光景――帰ればいつでも見ることができる、比喩ではない田舎の夜空ですら――懐かしく、恋しい。
今いる世界は黒一色の都会の夜空。人はいなくとも光は多い。白い光は人が作った機械の光。夜の学生通りも同じ闇と光の下にある。
黒一色の夜闇の下、黒一色のアスファルトを踏みしめ、眼だけ黄色い黒猫を見た一人ぼっちの夜。
彼は黒一色の液体が入っていたペットボトルを、二列に並んだ人工の光が煌々と灯す、灰色のゴミ箱へ落とした。
落ちたペットボトルの軽くて人工的な音は、学生通りの静寂を破った。音は、店の閉じた瞼を開かせ、うなだれた学生の顔を上げて、冷めた黒猫を振り向かせた。音は学生通りに立ち並ぶ、低い屋根の家々を飛び越え、人工の光を消し去って、黒一色しかない都会の夜空に沢山の星を輝かした。音は、今まで誰も見向きもしなかった一人ぼっちの彼と彼の魔法に、驚きと感嘆、そして鳴りやまぬ拍手をもたらし……はしなかった。
ゴミで一杯のゴミ箱に落ちたペットボトルは、学生通りの静寂を破らなかった。店の閉じた瞼も開かず、うなだれた学生はうなだれたまま。低い屋根すら越えることはなく、ましてや光を消し去り、夜空に輝く星々を呼び出すことすらなかった。もちろん、誰も彼を見なかったし、驚きも感嘆もしなかった。魔法なんてもってのほか、そんなのそもそも存在しない。これが現実。非情でも真実。彼を夢から覚ますには十分すぎる本物のセカイ。黒猫だけが、彼を憐れんだ目で眺めていた。
真夜中の学生通りはとても静かだ。
結末はあえて書いていません。
読者の皆様に委ねます。
進むか戻るか、第三の選択肢を見つけるか? 少年の未来は読者の数だけ増えます。彼をお好きな結末に連れて行ってあげてください。