クラブとスペード③
今度の任務はとある組織への潜入調査だった。目的はとあるデータと、取引される物品の回収だ。
作戦のため、レノとスペードは他人のふりをして、この組織の構成員に紛れ込んでいた。
「デュースくん」
呼ばれた声に振り返る。デュースは今回レノが使っている偽名だ。
「今夜、一緒に飲まないか?」
レノの仕事はまたも色仕掛けで、この幹部の男を誑かし、パソコンからデータを抜き取るのが主な役割だ。
「喜んでご一緒しますよ」
心の内をひた隠し、レノは笑みを浮かべた。
睡眠薬入りの酒で眠ってしまった男を尻目にデータをUSBに移していく。残り数秒になったとき、がくりとレノの膝が折れた。急速な眠気に襲われ、遅効性の睡眠薬を盛られたと知る。
「君は悪い子だね」
と、眠っていたはずの男が傍で笑うのを見た気がした。
目が覚めるとベッドの上で、両手はまとめてベッドヘッドに縛られていた。
男は油断しきっていた。レノの企みに気付けるほど勘がいいわけでもない。なのにレノがこんな状態になっているのは、男にアドバイスをした何者かがいたからだろう。
「せっかくお酌をしたのに、飲んでくれなかったんですか?」
非難の口調で言うと、男は笑った。
「君の方こそ、私を眠らせて、パソコンからデータを抜いてどうするつもりだったんだい?」
「それは言えませんね」
「そんなことを言っていられる立場だと思っているのかね?」
男はレノのシャツのボタンを外していく。
作戦立案の段階では、拷問の内容は予想できなかったが、これは快楽攻めになりそうだ。冷静に目の前の男を眺める。レノはどんな拷問にも耐えきる自信があった。伊達に情報収集専門を名乗っているつもりはない。
「お楽しみのところ申し訳ありませんが」
シャツのボタンが全て外されたとき、三人目の声が聞こえてきた。見れば、扉にスペードがもたれかかっている。
「なんだね、トライくん」
トライはスペードの偽名だ。二人の偽名を決めたボスは、相当トランプにはまっているらしい。
「ボスが、取引の件であなたにお話があるとか」
「お前……!」
レノが睨みつけると、からかうようにスペードは目を細めた。
「いい格好だな、デュース。お気付きだろうが、お前を売ったのは俺だ。せっかく仕入れた情報なんでな、ありがたく出世に使わせてもらった」
にやにやと笑うスペードに、本気で苛立ちが湧いてくる。
ボスに呼ばれたという男は、スペードに「私が戻ってくるまでの間、可愛がってやれ」と言い残して部屋を出て行った。
「監視カメラがある。盗聴器の類はないのを確認した」
男が去って早々、レノは告げる。
「なるほど。じゃあ可愛がるふりぐらいはしないといけないな」
スペードはおもむろにベッドに近づき、レノの体を跨いだ。
「現在時刻は23時、取引は深夜行われ、夜明け頃には撤収の予定だ。君にはそれまで拷問に耐えてもらうことになるが、大丈夫か」
スペードの手が、レノの肌をなぞる。顔を顰めながら、レノは答えた。
「役割分担を決めるときにも言ったでしょう、こういうのは慣れてる。多分あなたよりも場数は踏んでるはずです」
あの悪趣味な幹部の男は、快楽攻めの拷問を楽しむつもりだろう。痛い思いをするよりは気が楽だと、レノは無表情に言った。
「……じゃあ、監視されてることだし、そろそろやるか。手酷くするぞ」
「どうぞ。今更、僕らが仲間だと勘付かれるのも厄介ですからね、遠慮はいりませんよ」
スペードはカメラから見えない位置で楽しそうに笑った。
さすがにスペードも本業だけあって、かなりの手腕だった。しかしレノだってプロだ。それにスペードにも言ったとおり、慣れている。男が戻ってくるまでの間、笑みさえ浮かべて乗りきってみせた。
「やるな。それなりに本気を出したつもりだったんだが」
「場数は踏んでると言ったでしょう。あなたがあの人を殺してからの7年間、毎晩が拷問のようなものでしたから」
「毎晩……?」
スペードが聞き返そうとしたとき、扉が開いた。
「トライくん、そろそろ時間だ。お楽しみは後にして、彼は他の者たちに任せよう」
「わかりました」
男に返事をして、スペードは服を整えながらレノから離れていく。代わりに部屋に入ってきたのは屈強な男たちだった。
「これまた悪趣味な……」
「ああ、そうだ。彼、相当意思が強いようですから、ちょっとやそっとじゃ情報を吐いてはくれなそうですよ」
滅多に見ない爽やかな笑顔でスペードはそう言った。
「トライ!!」
「ふむ、じゃあいちばん強い薬を使うか……」
いくらなんでも容赦がなさすぎる。彼は本当に味方なのだろうか、とレノは顔を引きつらせた。
取引は無事に終わった。隙を見て中身を用意していた偽物とすりかえ、スペードはクラブを回収しに部屋へと向かった。クラブがデータを抜いたUSBも既に手元にある。
部屋を出る際放った台詞は、完全に思いつきの気まぐれだった。クラブはちゃんと耐えているだろうか。耐えてくれないとスペードも困るのだが。
扉を開くと、息を荒げ、しかし瞳の中の強い意思は失わないクラブがいた。周囲には男たちが群がっている。スペードは回し蹴りで男たちの一人を床に叩きつける。
彼のその目は、自分にこそ向けられるべきものだ。
「待たせたな」
スペードに気が付いたクラブは、己の目の前にいる男の顎を蹴り上げた。男は白目を向いて倒れる。
「遅い。いい加減気持ち悪くて、こいつら殺すところだった」
言葉を交わしながら、男たちを片付けていく。薬が入っていて両手を縛られているにも関わらず、クラブは足だけで男たちを捌いていく。
「何もしゃべってないだろうな」
最後の一人を気絶させ、クラブを振り返る。
「当たり前だ。お前こそヘマしてないだろうな」
手首のロープを解くと、暴れたからか、血が滲んでいた。
「抜かりないさ。君を売ったおかげでかなり信用されていたらしい」
「そうでなくては、ここまでされた意味がない。この薬、けっこうキツい」
確かに、頬は上気しているし、目には涙が溜まっている。よく見ると体も僅かに震えているようだった。
肩にロングコートをかけてやると、クラブは不満げに眉を寄せた。
「ロングコート一枚って変態みたいじゃないか。せめてパンツはないのか」
気丈に振舞ってはいるが、形ばかりの敬語が戻ってこない辺り、やはり余裕はないのだろう。
「君の体液でどろどろになったやつならあるが」
「誰がそんなもの履くか気持ち悪い」
「おい、俺はそれを回収してきたんだが」
「当然だろ、DNA残して帰れるか」
「そういう話じゃないだろう。……車に着替えを積んでいるからそこまでそれで我慢しろ」
ひとつ大きなため息を吐いて、クラブは顔を上げた。
「僕は鬱憤が溜まっている。作戦の上での演技とはいえお前にしてやられるし、お前の思いつきで薬は盛られるし、何よりこの組織のクソどもに舐められているのが死ぬほど腹立たしい」
「だろうな」
部屋の痕跡を消しながら、スペードは答える。
「おい、半分はお前の話だ。他人事のような返事はやめろ。……あと、あれだ。思ってた以上に強い薬だったらしい。まともに歩ける気がしない」
「さっき、屈強な男どもをその足でなぎ倒していたように思うが」
「というわけでお前は僕をお姫様抱っこで車まで運べ」
スペードの言葉を聞く気はないらしい。尊大な態度で手を伸ばすクラブは、けれど確かにもう限界のようだった。
「その程度で姫様のお許しがもらえるなら、喜んで」
クラブを抱え、廊下を走り抜ける。時折すれ違う組織の構成員は、クラブが楽しそうに足蹴にしていた。
スペードの車の後部座席で服を着る。この服はスペードが選んだのだろうか。相変わらずセンスが良くて癇に障る。
「後ろに救急箱もあるから使え」
「は……?」
何のことかわからず首を傾げれば「手首」とだけ返ってきた。忘れていたが、見てみれば服にも血が滲んでいる。
「ああ、面倒だからいい。服が汚れるが、洗えば落ちる程度だろう」
「君……体は商売道具だろう、大切にしろ」
「もう何もしたくないんですよ!」
抑えていた苛立ちを、目の前の運転席にぶつける。
「全部あなたがやってくれますか?手首の手当ても、この持て余すことしかできない熱も、全部全部あなたがどうにかしてくれるって言うなら、あなたの言うとおりにしますよ」
「……それは悪くない条件だな」
もう冷静さを装うことを諦め、胸元を押さえて前かがみで顔を上げる。バックミラー越しにスペードと目が合った。
「俺の言うとおりにすると言ったな」
「何です、今の僕なら何でも聞きますよ」
投げやりに問うと、鏡越しの目が細められた。
「その目は、俺だけに向けていろ」
それだけを告げ、スペードは車を走らせる。
その目って、何だ。
レノは言われた意味がわからなかったが、もはや思考すらままならなくなっている。ただ本能のまま、目の前の男を睨みつけていた。