3 文芸部
「おはようございます」
俯いたまま文芸部の部室に入った美琴は既に来ていた部長の高橋徳香先輩の顔も見ずに軽く挨拶をした。文芸部の部室は図書室の奥に入口があるため、部員は良く図書室で本を借りてここ読みに来る。部活動自体は水曜日のみなのだが、図書室よりもよほど静で本を読むのに適した環境である部室に入り浸っている部員は多い。美琴もその一人だった。
部室の隅、いつもの指定席に座り今日借りてきた本を読む。その時に声をかけてくる人は殆どいない。それは美琴が読書を邪魔されるのをひどく嫌っているからというのもあるが、元々本好きの集まりなのだから、部室では話すよりも本を読んでいる人の方が多い。
「宮乃原さん」
声をかけられたとき、完全に本の世界に入り込んでいた美琴の反応は少し遅れた。その事に気分を悪くした様子もなく高橋が申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「ごめんね、邪魔して」
「いいえ。あの、何か?」
「ちょっと、手伝ってもらってもいい?」
高橋がさっきまで何か作業をしていた机を指で示した。そちらに目をやった美琴は再び高橋のほうに視線を向ける。
「何をすればいいんですか?」
部長である高橋が何をしているのかはすぐにわかった。部員から提出された部誌の原稿をまとめているのだ。
文芸部の主な活動の一つにその部誌の制作・販売がある。部員の仕事は好きに原稿を書くことだ。内容に大きな規定はなく、漫画でも、小説でも、日記の一部公開でもいいが、書評・本の感想はダメと言う事になっている。今年の原稿は夏休み前に集めて夏休み後から仕事に移る。とはいえ、残りは部長・副部長・顧問・副顧問の仕事なのだが。全てデータで提出する決まりになっているため、作業事態は一月も在れば十分なのだ。
「これ、提出された原稿とそのデータ。それから、これはリストよ。これを篠原先生のところに持って行ってくれない?」
篠原、と言う言葉に美琴の表情がピクリ、と動いた。ばれない、と自信を持っていえるが、出来れば今は会いたくなかった。だが、部長にそんなことを言えるはずもなく荷物の入った篭を受け取る。
「わかりました」
「お願いね」
他にもやる事があるのだろう、高橋はすぐに美琴から視線を外し作業を始めた。今の時期部長も副部長も忙しいのを知っているので断る事は出来ない。そもそも先輩に頼まれて断れるはずもないのだが。
「失礼します」
ノックをし、中の人の反応を待ってから中に入った。この龍峰学園には教員室塔という塔があり(しかも、幼稚舎を除く、初等部、中等部、高等部、大学部の校舎に夫々一つずつある)、そこの一階は事務局と職員室、二階以降は夫々の先生達の部屋(個室)+各教科ごとの研究室が存在している。研究室は会議や、テストの準備などに使われ、生徒の立ち入りを厳しく制限しているが、個室へはテスト期間中も関係なく(テストは研究室で作る決まりとなっているらしい)出入り可能だ。
個室、ということで当然中にいるのは篠原だけだと思っていたが、他にも人がいた事に美琴はホッと息をついた。少なくとも今何かを言われる事はないだろう。
篠原の研究室にいたのは社会科の教師であり文芸部の顧問でもある茅野美帆先生だ。とはいえ、幽霊顧問で殆ど文芸部に顔を出さず、文芸部の活動や仕事も全て篠原に押し付けている。そのため美琴は彼女の顔をうろ覚えで学校で篠原や高橋と行動している時くらいしか認識できない。
「あら……?えっと……」
認識できないのは茅野も同じらしく美琴の顔を見て不思議そうに首をかしげている。個室への出入りは自由だとはいえ、職員室塔に来るには、生徒が活動している校舎から出なければならず、来るのが大変なのだ。そのため生徒がここに来る事は殆どない。
「文芸部の二年生ですよ。宮乃原美琴さん。先生、顧問なんですから部員くらい覚えておいた方がいいのでは?」
呆れたような篠原の言葉に茅野は罰の悪そうな表情を浮かべる。彼女自身は文芸部の顧問なんてやりたくない、と言っているらしい話は聞いている。美琴も、茅野ではなく篠原が顧問のほうがしっくり来るのだが、何故か現実は逆だ。
「ですから、サポートはします、とおっしゃっているでしょう?顧問と副顧問、入れ替えてください。そもそも本来は篠原先生がすべきでしょう」
恨めしそうな表情で篠原を睨む茅野に篠原もまた困ったように顔を顰めた。
「顧問なんてごめん被ります。先生のほうが教師歴は長いでしょう?」
「……人を年寄りみたいに言わないでください。二、三年しか違わないでしょう。……それで、宮乃原さん?どうかしたの?篠原先生に用事?」
「はい。でも、茅野先生でもいいとおもいますけど、部長からです。リストと原稿とデータ。後はよろしくお願いします、だそうです」
「よろしくと言っても、後はもうパソコン部に渡して日程を整えるだけだからな……そのくらいは茅野先生がやってくださいませんか?」
「嫌です。私は専門ではありませんし、残業が増えるじゃない。ただでさえこの頃忙しくて旦那とまともに話せていないのよ。篠原先生は、独身でしょう?……宮乃原さんも先生がすべきだと思わない?」
突然話を振られ、美琴はどう答えるべきか困惑した。普通に考えれば、今までの生徒からの相談も、生徒の書いた原稿の添削も、ほぼ全て篠原がやった。残りの仕上げ、しかも文芸部の顧問がやる事といったら後は日程を調整するくらいだ。そのくらいは茅野がやった方がいいと思うが。
「生徒に変な事聞かないで下さい。答えづらいでしょう。……宮乃原さん、君はもう戻っていいよ」
解放された事にほっとする。こんなわけの分からない言い合いに付き合いたくなんてない。
「ありがとうございます。失礼します」
ペコリ、と頭を下げて出て行こうとした美琴の背後から再び名前を呼ぶ声が聞こえた。
「宮乃原さん」
「はい?」
「君の話、面白かったよ」
突然の言葉にポカンと口をあけた。今まで篠原が生徒の書いた原稿に何か意見を言ったことなんてなかった。もちろん文法や、文章的な間違えの指摘はするが、それ以外の感想は言わない。前に聞いた時も「俺の感想なんて意味ないだろ?」と言われただけだ。
「ありがとう……ございます」
思わず口元を緩めた。笑いそうになるのをこらえる。小説家になりたい、という目標を持っている美琴にとって自分の書いた話が誉められるのは、たとえそれが嘘であったとしても嬉しい。
そんな美琴の様子を見る篠原の視線に鋭い物が混じった事に美琴は気がつかなかった。




