1 一卵性双生児
龍峰学園高等部に通う宮乃原美琴の一日は、毎日同じ事の繰り返しだ。朝、学校へ行き、終わると大抵は本屋へ足を運び、家に帰る。毎日、毎日同じ事の繰り返しだが、美琴は今の生活を変えたいとは思わない。双子の片割れである美冬と静かに暮らす日々が永遠に続けばいいとさえ願っていた。
その日もいつもと同じ一日が始まり、そして終わるはずだった。何も変わらない毎日を望んでいたのに、美琴が望む「平坦な日々」の終わりは刻一刻と迫ってきている。そのターニングポイントが今である事に、美琴は気がついてさえいなかった。今日は夏休み中で、部活の用件で少しだけ学校に顔を出しただけの美琴は、いつもよりも数時間早い時間帯に毎日のように立ち寄っている本屋に足を踏み入れた。
好きな作家の新しい本が出ているのに目を止めた美琴はパッと表情をほころばせた。この世界に生きている殆どの人間が顔を顰めるであろう話を書いているが、不思議と読む人が多い。読んだ感想は「怖い」「グロイ」「気持ち悪い」が多いのに、それでも読者が減らない。それは恐らく、彼の文章能力にあるのだろう。彼の書く話は否応なく美琴たち読者を本の世界に引きずりこむ。ずるずると引きずりこまれ、気がついたときには引き返せないくらいに本の世界に魅せられてしまうのだ。
美琴もこの人の書く話は怖いと思う。鮮明な描写ゆえに、状況を様々と目の前に思い浮かべてしまうからだろう。それでも、やめられないのは彼の書く話がそういう話だけでは無いからかもしれない。そして、その全ての話にどんなに、怖くても、イヤでも読み続けていたいと思える魅力が詰まっている。
そっと手を取った美琴はそのタイトルを見て表情を余計に明るくする。これは、美琴が大好きなシリーズの最新刊なのだ。
わーーい、と喜び勇んでレジに足を向けた美琴は突如その場に倒れこんだ。体の内側から強い衝撃を感じる。殴られたような痛みを感じるのに、体に異変を感じない。ただ、痛みが何度も襲ってくるだけだ。
「あの……大丈夫ですか?」
覗きこむようにしてきた相手の顔を見ずに、立ち上がった。体を襲う痛みはもう感じないが、未ださっき感じた痛みが体の奥に残っているような気がする。美琴の額にじんわりと汗が滲む。
《美冬……》
心の奥で、誰にも聞こえない声で片割れの名を呼ぶ。
美琴と美冬は一卵性双生児だ。だからか顔の造作は全く同じ。同じ髪形をして同じ服を着て、同じ表情を浮かべれば見分けのつく人間はいなくなるだろうというほどだ。だが、ショートボブで明るく社交的な美冬とは異なり、美琴は長い髪を無造作に束ね、前髪で顔の半分を隠している。その上ほとんど表情を変えない。同じ顔をしていても、二人が双子である事に、それどころか姉妹である事にさえ気づく人間はいない。
そしてそっくりな双子だからこそ、なのか、二人はお互いが感じた痛みを、我が事のように感じる事が多々ある。肉体的な痛みも、傷ついた心も、なんとなくわかり、共感してしまうのだ。その上、二人の間だけで行うことができるテレパシーが存在する。いつから会話が出来たのか、はっきりとは覚えていない。物心つく頃には既に会話が出来ていた。
美琴はそのテレパシーを使って何度も、何度も、美冬に呼びかけた。でも、美冬が答える気配は無い。
持っていた本を無造作に本棚に戻した美琴は、本屋を飛び出した。美冬がどこにいるのか、判る。今も一人でいるであろう部屋に向けて走った。美冬が苦しんでいる姿なんて見たくも無い。
「美冬!!」
慌てて飛び込んだ室内で蹲る美冬の姿に美琴は大きく息を呑んだ。
「……と……」
答える美冬の声が酷くかすれていて、側にいる美琴の耳にもかすかにしか聞こえない。それだけ、弱っているのだろう。
「ん……」
ぼんやりと目を開いた美冬のかすかな声に美琴は慌てて駆け寄った。帰って来た時は明るかった外も真っ暗になり、何も見えない。このあたりは自然に恵まれている。その自然を壊さないためなのだろうが、街灯も少なく、夜には月明かりだけが頼りだ。そのため新月の夜はとりわけ真っ暗になり、何も見えない。
「美……琴……」
美冬の声はかすれてはいるが、何とか美琴の耳に届く。だが、喋るたびに体が痛むのか、苦痛の表情を浮かべていた。
《美冬、喋らなくていいから。手当てはしたんだけど……》
美冬の体に残る生々しい傷跡に視線をやった美琴の顔が曇る。
《しょうがないよ、あの人達が手加減なんてしてくれるはず無いし》
上手く喋る事が出来なくとも、意識はしっかりしているらしく頭に直接響いてくる美冬の声はしっかりとしていた。それだけでもほっとする。意識が朦朧としていたらいくらなんでも応急処置だけでは心配だ。
《やっぱり、あの人たち来たんだ……》
顔を顰める美琴に美冬は小さく頷いた。その動作さえも辛そうで、怒りの感情が美琴の心を襲った。何故、美冬が、美琴たちがこんな目に合わなければいけないんだろう。美琴たちが何をしたというのだろう。
《ごめん、私がいなかったから……私の分まで……》
《私は大丈夫だよ。美琴まで一緒じゃなくて良かった。二人一緒じゃ今頃床に蹲っていたかもしれないでしょ?》
《それはそうだけど……ところで、あの人たちは何をしに来たわけ?》
世間一般では美琴や美冬の親と言うべき存在。だが、美琴たちは彼等を親だと思った事は無い。もちろんそれは向こうも同じだろう。美琴たちを娘だとは認めていない。そんな彼等は、美琴たちが高校に入るなりワンルームの狭いアパートに放り込み、その後はただの一度も会っていない。連絡さえこなかったのに、一年以上たった今、一体全体何の用があるというのだろう。まさか、サンドバックを探しに来たわけでもあるまいし。
《お姉ちゃんがいなくなったから、知らないかって。俊彦さんのところにはいなかったみたいだけど……》
《私たちが知るはず無いじゃない》
フンッと小さく鼻で笑い、姉の美夏の顔を思い浮かべる。いつも申し訳なさそうな表情で美琴達の事を見ていたのが印象的だ。彼女は嫌いではないが、好んで近づきたい相手でもない。
《そんなこと、関係ないんでしょ?あいつ等からすれば私達はお姉ちゃんを頼っているように見えるんじゃないの?……そんなことより、美琴、お願いがあるんだけど》
先ほど巻いた包帯を外し、再び消毒をしてから包帯を巻きなおすという作業をしながら会話をしていた美琴は軽く目を上げて美冬の顔を覗きこんだ。
《お願い?何?》
《明日さ、私の変わりにバイト行ってくれない?》
予想外の内容に美琴は小さく目を瞬いた。髪型さえ変えれば美冬の振りをするのは然程大変では無い。外では全く違う性格だがずっと一緒に生きてきたのだ。美冬の行動は手に取るように分かるし、演じる事も出来る。事実入れ替わった事は何度もあり、ばれた事は一度も無い。だが、今回は勝手が違う。無茶だ。
《バイトってデート倶楽部の?無茶言わないでよ。あんた適当な人間を演じているんでしょ?見たこと無い私にどうしろっての?》
《大丈夫、明日は新規のお客さんで、若くて楽しい子希望なんだって。元々素の私の予定だったから。お願い、美琴》
苦しげな表情を浮かべながらも、まっすぐと美琴を見てくる彼女の頼みを断る事なんて出来るはずが無い。
《わ……分かったよ。でも、さ、そっちはともかく歌のほうはどうするの?学校も、新学期までに治るとは思えないけど?》
《学校のほうは動けるようになったら化粧で隠して行くよ。歌は先生に事情話して休ませて貰う。歌えないしね》
ふーーっと残念そうに溜息をつく美冬に美琴もまた溜息をついた。デート倶楽部でのバイト(たとえ身代わりであったとしても)なんて、退学になる最も大きな理由になりそうだ。ばれたらやばすぎる。美冬の振りをしていれば何度でもごまかせるだろうが、面倒な事になるのは否めない。どうか、知り合いに会いませんように、と願うことしか今の美琴には出来なかった。