11 突然の終わり
「宮乃原さん、駄目。押さえて」
ギュっと抱きしめてくる温かいものに美冬は困惑したような表情を浮かべた。自分の体がうっすらと光を帯びている。そして、光を帯びれば帯びるほど、美琴の存在を強く感じるようになってくる。
「これ……が……精霊の力……?」
何が起こっているのか、美冬には想像もつかない。そんな美冬の様子に彼らは小さく息を呑んだ。
「まさか……暴走してる?」
「冗談だろ。俺、止める自信ないぞ」
ぶつぶつと彼らが口にする言葉が頭の中に響いてくる。だが、それが意味のある言葉としては残らない。
彼らの顔に恐怖とも興奮ともつかない表情が浮かぶのと、鉄の扉が開くのと、美冬の中から溢れていた力が四散するのはほぼ同時だった。美冬が何かをしたわけではないのに、美冬の中から溢れていた力が終息していく。
カツカツカツ
高らかな足音が美冬の前で止まる。30歳前後に見える男が美冬を見下ろしてた。冷たい目が、人の持つものには見えなくてぞっとする。
男は手に持っているものと美冬の顔を交互に眺め軽く舌打ちした。
「力を使え。そうしたらお前を助けてやる」
ニヤリと嗤う彼が美冬を助けてくれるとは思えなかった。そもそも何が何だかわからない美冬が自分の意思で力を使えるとは思えない。だが、それを相手に伝えるつもりはない。
「嫌です」
きっぱりと口にした言葉に男の顔がゆがむ。
「後悔、するなよ」
ニヤリと嗤った男が無造作に傍らにいる嘉穂の身体をつかんだ。
「嘉穂!!」
祐次の慌てたような声とは裏腹に男の様子はひどく落ち着いている。
さっき美冬の身体から溢れたのとは色の違う光が男の手から溢れ、嘉穂の身体を包みこむ。それと同時に嘉穂の顔が苦痛にゆがんだ。男から溢れる白い色と嘉穂の茶色い色が混じり合い、男が持つ機械へと吸い込まれていく。
「や……め……。こんな……事……」
嘉穂の弱々しい声がかすかに美冬の耳に聞こえてきた。
「やめて」
立ち上がった美冬は冷たい視線に晒され黙り込む。その間にも嘉穂の顔色が悪くなっていく。それと同時に他の人々の顔からありとあらゆる表情が消えていった。彼らの顔に残った表情は一様に同じものだった。焦ったような、嫌な、そんな表情だけだ。
「嘉穂の力を、どうするつもりだ?」
「すぐに、わかるさ」
男の言葉と呼応し、建物が大きく揺れた。
「地の精霊が騒いでいる?まさか……」
「嘉穂の力を間接的に使うなんて、そんなことできるはずが……」
そう、口にしながらも自信が持てはしないのだろう。現にこの男は嘉穂の力を使っているのだ。
「お前が力を使えばこの女は助かるぞ?だが……もし拒むのなら」
美冬の目の前で、嘉穂の顔から色が消えていく。そんな彼女を前に、美冬はどうするべきなのか分からない。人は、嫌いだ。信じてもいない。でも……美冬を化け物ではない、と言ってくれた。守ると言ってくれた彼女を見捨てる気にはなれなかった。助けなければ……と思う。助けたい、とも思う。でも方法がわからない。力を使えるのならとっくにそうしている。どうやって引き出すのか、どうやって押さえるのかさえ美冬にはわからないのだ。
「だ……め……。聞いちゃ、駄目」
「黙れ!!お前の意見なんて聞いてない。大体、自分が死ぬときに人の心配か?」
さげすむような声音に嘉穂の口元が笑みを刻んだ。苦しそうにあえいでいる時の、かすかな笑顔に美冬も、そして目の前の男も黙り込む。
「私……は……。神家の人間。神家は……国を、人を守る義務が……ある……。精霊……との、契約……は……そのための、力……だから……」
男の顔がかつてないほどにゆがんだ。蔑むような目で嘉穂を見る。
パーーーン
大きな音が男の手元で響いたのは、突然だった。濛々と立ち上る煙と、何かが床に落ちる音。何が起こったのか、美冬には全く理解できなかった。
バンッ
大きな音が扉の方から響き、徹と俊彦は同時に振り向いた。鋭い表情の人間が何人も立っている。その中の、一番前に立つ男が苛立ったような表情で俊彦たちを睨みつけた。
「九我の人間か?」
俊彦と徹が目を見開く。相手が誰なのかわかったような気がした。神家の人間だ。そして、俊彦たちの事がばれたのだ。
「なんで、ここが……」
「九我由良に聞いた。お前たちを止めてほしい、と」
吐き捨てるような声音にははっきりとした嫌悪が映っている。それが俊彦たちに向けられているものだとすぐにわかった。今が、このような状況でなければ俊彦は決して彼らに近づかないだろう。もっとも関わりたくない人だ。だが、同時に彼から感じる強い力が、今の状況を打開する唯一の手のような気がした。だからこそ祖父の由良は彼をよこしたのだ。
ここで捕まれば俊彦達三人は死刑を免れないだろう。それだけの事をしたという自覚もある。祖父を一人にしてしまうという負い目も、ある。だが、最後の最後、俊彦はここまでの事に協力したつけを払わなければならないのだ。
青白い顔で、それでも男から目を離すことなく一歩一歩近づいていく。徹はそれを止めない。彼自身も、罰を受ける覚悟ができているのだろう。そして、兄を止める覚悟もまた、ある。
「……止めて、下さい」
「何?」
「兄を、止めて下さい。俺たちは逃げも隠れもしない。全ての事が終わった後、処罰も受けます。だから、今は兄を……止めて下さい。俺たちじゃ無理なんです」
「……何をしようとしている?」
「精霊の力を使って日本を沈める。兄は神家の力を使って彼らが守る日本をつぶそうとしているんです」
「たとえ脅されてもあいつらは力を使わない」
きっぱりとした言葉。自信があるのだろう。言い切れるだけの思いが、あるのだろう。神家とはそういう存在だと祖父が言っていた。
「関係……ない。兄はあの機械を持っている。アレは、他人の精霊の力を吸い取って使う力がある」
ザワリ、と空気が揺れた。相手側に動揺が広がっていく。
「止めるには機械を破壊する必要がある。そして、それができるのは……精霊王と契約しているあんたと、じーさんだけだ」
精霊王、という言葉に俊彦は目を見張る。そして、彼の前からどいた。
「罰は、受けます。だから、今は兄を止めて下さい」
俊彦につられるように徹も頭を下げた。彼は何も言わない。無言で奥へ向かうのを見送る俊彦と徹の身体が他の術者によって拘束された。彼らは、それに抵抗一つ示さなかった。
圧倒的な力の差を見た。
煙が晴れて真っ先に目に映ったのは、嘉穂をまるで赤子のようにひねっていた男が、逆に赤子のように囚われているところだった。男を捉えたのは見知らぬ男性だった。涼しい顔で、表情一つ乱さずに男の動きを奪っている。圧倒的な力の差が彼とその他の間にあった。
先ほどまでなすすべもなく佇んでいた彼らが一様に頭を垂れる。一宮徹も同じように膝をついていた。分家とはいえ一条に連なる人間が頭を下げる相手が然程多いとは思えない。
男は無言で嘉穂に手をかざし、ほっと息をついた。
「彼女は大丈夫だ。……怪我は?」
ぐるり、とあたりを見回した男性に答えたのは樹だった。
「ありません。嘉穂だけです」
「そうか、それで……君がウンディーネの?」
男性の言葉に小さく息を呑む声が聞こえた。
「ウンディーネ?夏樹様?本当に……?」
「……暴れる気配がしたけど、大丈夫そうだな。自分で抑える人間を初めて見たな。……さて、君の名前は?」
「宮乃原美冬です」
「そう、私は一条夏樹。今回の一件は神家が起こしたこと。巻き込んですまなかった」
一条夏樹。ほとんどメディアに顔を出さないため、顔を知る人間はほとんどいないが名前だけは何度も聞いたことがある。現皇太子さまのご子息。のちに皇太子、天皇へと登っていくであろう方。そんな方が美冬に頭を下げるというあり得ない光景に目をぱちくりと見開く。どう反応すればいいのだろうか。
固まってしまった美冬に夏樹は小さく笑みをこぼした。
「さて、私は後始末をしなければならないが、君たちは全員病院へ行きなさい」
「……夏樹様、私たちは平気です。今回の件も私たちが巻き込まれたこと。後始末に使ってください」
慌てたような樹の言葉に夏樹は軽く目を眇めた。
「一応だ。これは命令だよ、君たちに逆らう権利なんてないはずだ」
口調はきついし、冷たいが夏樹が美冬を含めた全員を心配しているのは嫌というほど伝わってくる。
「夏樹様、こいつら、三人だけで動いていたようです」
グイッと連れてこられた他の2人を見た美冬は軽く息を呑んだ。2人とも見知った人間だった。もっとも、1人は予測していたが。美冬が彼に会った後に意識を失った以上他の選択肢はあり得ない。美冬は、彼に裏切られたのだ。
「俊彦……さん……」
ポツリ、と呟いた美冬はうつむいて唇をかみしめた。そうしなければ泣き出してしまいそうな気がした。




