6 精霊の力
「おまえ、また見てるのか?」
呆れたように息をついた留衣に尊の顔にも呆れが浮かぶ。
「お前、また来たの?俺今日は夕飯家では食べないって言っておいたはずだけど?」
「今日は夏樹様からの使い。何か進展あったかって。一度報告に来てほしいらしいけど」
尊はついさっきの美冬の様子を思い浮かべた。あの時確かに精霊の気配を身近に感じた。だが、それはすぐに消えている。そんな事例を尊は知らない。
「進展、はない」
「今日も会ったんだろ?」
「今日は正体を確かめただけだ。……俺が初めに会ったのは、宮乃原美冬の妹だった。その日、本人は怪我をして来れなかったらしい」
「ふーん、疑問が解けて良かったな。で?俺らは彼女の正体を探る必要なんてないんじゃないの?」
目的を忘れるな、と言外に告げてくる。確かにそうだ。彼女の正体を探る必要も、理由も尊たちにはなかった。少なくとも今までは。だが、今の尊にはどうしても彼女たちが無関係だとは思えない。
「……まだ、確証はないんだけど、もしかしたら彼女たち、かなり深いところまで関わってるかもしれない」
「どういう、意味?」
留衣の雰囲気ががらりと変わる。呆れたような様子で、それでもどこか余裕な雰囲気を持っていた留衣の表情から余裕が消える。何も言わないが留衣もかなり焦っているのだろう。確かにあの日説明された内容だけでもかなりまずいのが尊にだってわかる。いずれは神家の一つ、八夜家を背負って立つことになるであろう留衣の心中はかなり焦っているはずだ。
「……まだ、確証はない。明日、確かめてから報告する」
「尊」
抑揚のない留衣の声に尊の表情が変わった。尊は留衣のこんな声を初めて聞いた。ここまで人を押さえつける声を、聞いたことがない。
「……すずらんから、精霊の気配を感じた」
「残り香……か?」
「違う。うまく言えないけど、なんか違う気がする。ただ、それが何なのかよくわからない。だから、少しだけ時間がほしい」
告げられた声音に留衣は黙り込んだ。考え込むような様子だった留衣の顔にあきらめのような表情が浮かぶ。
「わかった。確認するまでは夏樹様には言わない。だが、それもさほど長くはもたない。早く確かめろ」
尊は神妙な様子で頷いた。たしかにこれは急ぐ必要がある。
ガチャン、薄暗い部屋の中に鍵が引っかかるような音が聞こえてきた。外からの明かりだけを頼りに本を眺めていた尊が戸の方へ視線をやった。
今朝尊はいつもより早い時間に部室にやってきた。今日からしばらくは部長も副部長も朝は来れないから、ということで尊が早めに来ていたのだ。鍵を開けなかったのも電気をつけなかったのもうっかりしていただけだ。早い時間に来ていた尊は八時近くに鍵を開けようと一時的に鍵を閉めておいた。だが、本を読んでいるうちに時がたっているのをうっかり気付かなかったのだ。電気をつけなかったのは、早い時間に電気がついているともったいないという神家にはありえない庶民的考え方からだった。
「ああ、おはよう」
尊は入ってきたのが美琴だったことにほっと息をついた。もし一番初めに部室に来たのが彼女ではなかったらすずらんのことを口にするのはまた後にしようと思っていたところだ。
「……おはよう……ございます……?」
ぽかんと目を見開く美琴の様子は当然のことかもしれない。普通の人間は真っ暗な、それも鍵までかかっている部屋に人がいるなんて考えない。
「何?幽霊でも見たような顔をして」
「せ……先生……何を……?」
パクパクと口を開いて何かを言おうとしているらしい美琴の口から出てくるのは焦ったような声だけだった。
「ん?ちょっと気になる事があってね」
美琴のそんな様子を無視して尊は彼女の前髪をかきあげた。前髪に隠れていた目が尊の前で揺れる。
「ああ、やっぱり。すずらん、でしょう?」
ここまでくれば完全に確信ができる。もっとも昨日の美冬との会話で尊の方は既に確信していたが。まだ認めたくないらしい美琴の表情が引き締まった。まるで拒絶をするかのような顔から目が離せない。
「……何の話ですか?」
「デート倶楽部」
「……私は知りません。妹が……」
何とか無関係だといいつのろうとしている美琴の瞳に光が当たり、小さく光った。それが青に見えて尊は目をしばたたく。この青には見覚えがある。ただし、尊が知るモノとの違い美琴の瞳が青いのは片目だけだ。
「カラコン?……目、青いの?それも、片目だけ」
無意識につぶやいた声に美琴の顔色が変わる。
「宮乃原さん?」
尊が呼びかける声は美琴の耳には届いていないようだった。
崩れ落ちた美琴の身体を支えた尊は大きく目を見張った。今、自分の目の前で起きていることが信じられない。
大きな光の渦とともに薄いものが見える。若い女性の姿をしたそれを見たことはなかったけれど、彼女が誰であるのか尊にはすぐにわかった。肌を差す空気が違う。
「ウンディーネ……」
水の精霊王ウンディーネの姿が見えたのはほんの一瞬だけ。だからといって勘違いで済ますには彼女の存在はあまりに強烈だった。
夏樹のそれほど強くはない気配。だが、尊が知るどの精霊使いよりも強い気配。尊は茫然と目を見張り、光が消えた美琴の身体を見下ろした。
「なんで……」
その尊の問いに答えてくれるものはない。だが、一つだけ言えることは、たとえ彼女が強くウンディーネと関わりを持っていたとしても、彼女自身そのことを知らないだろうということ。これが今起こっている一連の出来事に関係があるのかどうか、尊にはわからない。だが、夏樹に隠しておける内容ではない。
「宮乃原美琴。お前、巻き込まれるぞ」
どういう形であれ、まったく無関係ではいられない。神家と関わりのない人間を巻き込むことにためらいがないわけではないが、これは既に尊の処理できる内容を超えている。
「巻き込んで、ごめんな」
小さくつぶやいた尊の声は、誰に聞かれることもなく消えた。




