L字型のバナナ
道端にバナナが落ちていた。
コンクリートでできた道に落ちていたので、そりゃあもう目立つ目立つ。
だから、素通りなんて到底できなかった。
道を真っ直ぐ歩いていた僕はそれが見えた途端、吸い込まれるように道端の黄色へと逸れてゆき、ただの興味本位でまじまじと眺めることになった。
もしかしたら虫が集っていたり、腐敗していたりしてグロテスクな見た目になっているかも、なんて思ったけれど、見た感じツルツルとしていて、新品同様に綺麗だった。
ただ。
そのバナナは異常だった。
どこをどう見ても、誰がどう見ても。
異常だった。
〝L字型〟だったのだ。
直角九十度の綺麗なL。
黄色のL。
頭に黒いヘタがあるのは可愛いのだけれど、その曲がり具合は可愛らしくない。
むしろ気持ち悪かった。
それから徐々に。
徐々に、徐々に。
徐々々に。
この「異常バナナ」が道の上に漫然とあること自体が怖くなり始め。
なんか「徐々々」と「バナナ」って似てるなぁ……なんて頓珍漢なことを考えながら。
顔をしかめて、足早にその異常バナナから遠ざかった。
「ハァ……ハァ……」
何故僕はこんなに恐れているのだろう。
ただのバナナだぞ? ちょっと綺麗に曲がりすぎたバナナだ。何をそんなに恐れることがある?
早まる鼓動、乱れる呼吸、散らかる思考。
……落ち着け、この事はもう忘れよう。
友人の家に遊びに行くって日に限って、こんなことが起きるなんて思わなかったけれど、あえてラッキーだったと思うことにするべきだ。
この事を友人への土産話にして供養するんだ。
そして、この感情をいち早く晴らそう。
―――………
ピーンポーン。
……ガチャリ、ギィッ。
「やぁやぁ、どうもいらっしゃい……ってどうしたのその汗」
友人は玄関の扉を開けた瞬間にそんなことを言った。
「いやぁ、ここに来る途中で散々な目に遭ってな。後で話す。とりあえず入れてくれ。あとお前……相変わらずそのクタクタのパジャマ着てるんだな」
いつもぼさぼさの寝ぐせ頭で、そこに無精ひげも相まって、みすぼらしいったらありゃしないのに、その上そんなヨレヨレのパジャマなんか着たらもう、目も当てられない。
「うるせぇ、家ぐらい楽な格好させろ」
そう言って家の中に戻っていく友人。
その光景は――今の僕にとって、かなりの安心感を与えてくれるものだったけれど、そんなこと、こいつには絶対に言えないなぁ……と心の中で独りごちながら、僕も友人の後を追うように家の中へと這入っていった。
「そんで……何があった?」
狭い部屋に男二人、定位置もクソもない散らかった部屋。
各々が適当な場所に、適当な感じで座った後、友人はすぐにそう切り出した。
「いやさぁ」
「――あ、何か飲むか。汗かいてるもんな」
と言ってすぐに立ち上がり、キッチンへと向かう友人。
あまりにもマイペースすぎる。
「あぁ、どうも。まぁ、構わず話すけどさ、道端に落ちてたんだよ。黄色い〝アレ〟が」
「アレってなんだよ、ゴキみたいな言い方」
「まぁこっちからしたらゴキみたいなもんだったよ。流石にあれは」
「さっきからアレアレ言ってもったいぶってるけどさ、そろそろ教えてくれない? 全然内容が入ってこないんだよねぇ、本当にさ」
と言われてしまったので、流石にネタバラシをすることにした。
「アレって言ったらあれだよ、そう〝L字型のバナナ〟さ……あぁ! 口に出すだけでも恐ろしい」
「はい? なんだよL字型のバナナって」
そう言いながら友人がリビングに戻ってきた。
テーブルに二つのコップとお茶が入った大きなペットボトル、そして、ささやかな果物を置いてくれたので、喉の渇きを癒そうとペットボトルに手を伸ばした瞬間、視界に入ってきたものを言うならば。
黄色だった。
L字型の黄色。
バナナだ。
黄色いL字型の――バナナだった。
「L字型のバナナっていうのはさぁ……こんな感じ、だったかい?」
「それだよ馬鹿野郎があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
僕は叫びながら一目散に友人宅から逃げ出した。
「あ、ちょ、待てっ……ぉぃ……ぃ……」
なんで!
なんであいつの家にまであるんだ! どうしてだ⁉
バナナ、バナナ、バナナ! L字型のバナナめ!
どうしてお前はこうも僕に付き纏ってくる。
逃げてやる。
僕は絶対に逃げ切ってみせる。
―――………
……とまぁ、そんな心意気で歩き回っていた僕なのだけれど、何故なのか、いつの間にやら風俗街に迷い込んでいた。
無我夢中で歩いていたせいか、その道中の記憶が酷く欠落しているけれど、それはもしかしたらL字型のバナナを見たショック――略して『Lバナショック』のせい、なのかもしれない。
なんてお茶目に考えてみたけれど、それ自体に何の生産性もないことを自覚してしまってからは、うん、何というか、そう――空虚だった。空虚な気持ちだけが残った。
というかもう。
今はバナナなんてどうでもよかった。
とりあえず、どこかで休憩したかった。
バナナとは無縁の場所に逃げ込みたい。
そう思っていた僕は吸い込まれるように目の前の風俗店へと入店していた。
受付で言葉を交わし、番号札を貰って、空いている待合室で呼ばれるまで待った。
「八十九番さん」
呼ばれてエレベーターまで誘導され、口に消毒のための何かを噴射され、エレベーターに乗り込んで到着した階で。
女の子と対面した。
「ふふっこんにちは~! 馬場奈々です! よろしくね」
「ばばなな?」
「うん、そうだよ~」
何というか……名前に「バナナ」という文字が混ざっている気がするけれど、流石にここで何かを言いがかるほど僕も狭量ではない。
「よろしく、奈々ちゃん。可愛いね」
「えへへ、そうでしょうそうでしょう! よっと」
彼女は僕の腕を抱き寄せ、絡まるようにして体を密着させた。
勿論、胸を当ててきているのだが、まぁ、元気があって結構だ。今の気分的にはあの『邪悪な黄色い存在』を忘れたいがために来ているのだから、元気であるに越したことはない。
そして、そのままの状態でとある部屋へと導かれて、靴を脱ぎ、部屋に上がって、僕だけがベッドに座り、彼女は飲み物を入れてくれた。
「お茶?」
「いや……今日はその、お茶に良い思い出がなくて、だから、甘い飲み物とかある?」
「オレンジジュースとか?」
「うん、いいね。それで」
そうやって喉を潤して、他愛もない雑談をした後、彼女は「じゃあそろそろお風呂に入ろっか」と言い。
それから甘えるような声で、
「脱がしてぇ~」
と迫ってきたので、僕は「しょうがない子だねぇ」なんて言いながら服に手をかけて脱がせ、下着姿にさせた。
その瞬間――。
僕は気が付いた。
太もものところに小さいタトゥーが彫られていることに。
「タトゥー入れてるんだ? 見せてよ」
「えー? 恥ずかしいよぉ」
「いいじゃん、いいじゃん、見るだけだからさ! んーどれどれー? ――」
それを見た瞬間、背筋が凍った。
なにせ。
バナナだったから。
L字型の。
でも。
別に本物じゃないから。
まだ大丈夫。
「は、はははっ、バナナ……ナンダーメズラシイネェ~」
「いいでしょう? しかも今〝流行りの〟Lバナだよぉ~可愛いでしょう」
「……ぅん」
気が付けば。
浴槽の隅に置かれているスポンジもL字型のバナナで。
というか。
小さな冷蔵庫の横にあるじゃないか。
何って。
L字型のバナナの現物が。
「……? どうしたの? 早く脱いでシャワー浴びよ?」
グルグルと。
吸い込まれるように歪む視界に耐えきれず、僕は膝を付いた。
「えっ? だ、大丈夫?」
「大丈夫かだって? ……大丈夫なわけあるか! なんなんだ、どいつこいつもバナナバナナ――あぁ! お金はここに置いていく! 僕は帰る! 君は時間まで好きに過ごしてくれ」
「え、えええぇぇぇ⁉ いいの? というか体調大丈夫?」
僕は彼女、馬場奈々の心配なんて耳に入れず、すぐに服を着た後、逃げるようにお店を出た。
もう僕に……居場所はないのか?
―――………
結局、自宅に戻ってきた。
あぁ、クソ、今日は散々だった。
荷物をソファの上に捨てて、服を脱ぐ。
BGM代わりにテレビを付け、テーブルの上にある灰皿を寄せて煙草に火を付けた。
テレビ画面に。
CMが流れたわけだけど。
それがL字型のバナナだったのはもう、疑いようのない事実だとして受け止めるけれど。
そのCMが延々とループし続けるのはどう考えてもおかしい。
リモコンの電源ボタンを押してもテレビが消えない。
僕は立ち上がってキッチンに逃げた。
するとそこに。
吊るされたバナナがあった。最初からそこにあった、みたいな感じで置いてあった。
勿論すべて、L字型。
当たり前だけど買った記憶はない。
しかも、わざわざ吊るすための器具を買うなんてそんなことも絶対にありえない。
ここもダメだ。
トイレに逃げようとして。
今度は廊下を埋め尽くす黄色が目に入った。
あまりにも大きすぎるバナナがドアを塞いでいたのだ。見ればその形は、やはりというかL字型だった。
ピピピピッ、ピピピピッ。
何の音なのかわからない電子音が頭に響く。
ポスターにも、窓の外にもバナナが覆いつくしている。
床にも煩雑にバナナが散らかっていて、足の踏み場もなかった。
ピピピッ、ピピピッ。
頭の中もバナナでいっぱい。
バナナ、バナナ、L字のバナナ!
ピピッ、ピピッ、ピピッ。
L字型のバナナのバナナのL字型のバナナ型のL字……。
あえ?
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ――。
「……ぅあ」
……うわぁ、最悪な夢を見た。
それが何故だろうかと考えて。
一つ思い当たることがあった。
それはけたたましく鳴っている電子音とも関係のあること。
つまるところ、結局、全部。
――ダイナマイトのせいだ。
昨夜、眠りに就く前に仕掛けたL字型のダイナマイト。
それに対する恐怖心のせいで、僕はこんな夢を見てしまったのだ。
あぁ。
これで納得がいった。
そして。
L字型のバナナが架空のものだとわかってほんっっっっっっっっ――――――。
――ボカーン‼
――ドカン‼
――ズガン‼
――バーーーーン‼




