魔王、壁をぶち破る
「はあ……今日も疲れたな」
俺――高見沢悠真は、大学の講義を終えてアパートに帰ってきた瞬間、ため息をついた。
安アパート「サンライズ・コーポ」の301号室。
家賃は月4万8千円。風呂トイレ別で、築35年。壁は薄い。隣の音が丸聞こえだ。
特に、隣の302号室に越してきたあの女が引っ越してきてから、毎晩のように物音がするようになった。
ガタン。ドン。ズズズ……。
「……またかよ」
俺は鞄を床に放り投げ、冷蔵庫から缶コーヒーを取り出す。
プルタブを開けた瞬間――
ドゴォォォォン!!
壁が、文字通りぶち破られた。
コンクリートの粉塵が舞い、俺の部屋に巨大な穴が開く。
そこから、黒いマントを翻した女が悠々と歩み出てきた。
「ふふっ。今日も無事に侵入成功ね、悠真」
「……お前、普通にドア使えよ」
俺はため息混じりにコーヒーを一口飲む。
目の前に立っているのは、身長170センチはあろうかという長身の美女。
真紅の瞳に、漆黒の長い髪。頭には小さく曲がった黒い角が生えている。
腰まで届くマントの下は、露出度の高い黒いドレス。胸元は危険なほど開いていて、谷間が惜しげもなく晒されている。
彼女の名は――リリス・ヴァル・ノクティス。
自称「魔界第七王女にして、魔王軍最強の魔王候補」。
要するに、魔王様だ。
「ドアなど使わぬ。我は魔王であるからな。壁を破るのが我の流儀じゃ」
「流儀じゃねえよ。管理会社に怒られるだろ」
「ふん。人間の管理会社など、魔王の前では塵芥に等しい」
リリスは当然のように俺のベッドに腰を下ろし、長い脚を組んだ。
マントの裾が捲れ上がり、白い太ももが露わになる。俺は慌てて視線を逸らした。
「で、今日も何の用だよ。昨日は『人間のゲームを教えてくれ』って言って3時間もFPSやってたじゃん」
「今日は違う」
リリスはにやりと笑い、俺の冷蔵庫を勝手に開けた。
「おい、勝手に――」
「ほう……これが人間界の『プリン』というものか。なかなか美味そうだな」
プルプルと揺れるプリンをスプーンで掬い、口に運ぶ。
その瞬間、リリスの目がキラキラと輝いた。
「むっ……! これは……! 甘くて、冷たくて、舌の上でとろける……! 素晴らしい! 人間の食べ物は侮れぬな!」
「喜んでくれて何よりだけど、俺の夕飯のデザートだったんだけどな……」
リリスはプリンを一瞬で平らげると、今度は俺の隣にぴったりと寄り添ってきた。
体温が近い。甘い、ちょっとスパイシーな香りがする。
「悠真」
「……なんだよ」
「我は今日、決意した」
リリスは真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。
「我はお前を、魔王の伴侶とする」
「は?」
「つまり、結婚じゃ。毎日こうして侵入してくるのも、いつかお前を我の城に連れ帰るための下準備である」
俺はコーヒーを吹き出しそうになった。
「待て待て待て! 急に何言ってんだよ! 俺はただの大学生だぞ!?」
「ふふっ。知っておる。我はお前のすべてを調べ上げた。
好きな食べ物、苦手な食べ物、夜中に見ている動画の履歴、枕元のエロ本の隠し場所までな」
「そこまで調べるなよ!」
リリスは俺の肩に手を置き、耳元で囁いた。
「安心せい。我は優しい魔王じゃ。お前が望むなら、今日からこの部屋で同棲してもよいぞ?」
「同棲って……お前、魔王だろ!? 魔界に帰れよ!」
「帰らぬ。我はお前の隣が気に入った」
そう言って、リリスは俺のベッドに横になり、俺の膝を枕にしようとした。
「ちょっと待て! そこ俺のベッドだぞ!」
「我のベッドでもある。これよりこの部屋は、我と悠真の愛の巣じゃ」
俺は頭を抱えた。
……どう考えても、今日も平和な日常は終わったようだ。
隣の魔王様は、今日も俺の部屋に侵入してくる。
しかも、だんだんエスカレートしている気がする。
これが、俺と魔王様の奇妙な共同生活の始まりだった。




