キノコを捕まえに行きますよ①
大地に背中を預けて、大きく息を吸うと、春らしい爽やかな匂いが肺を満たす。視線を雲ひとつない空から横へと移動させると、陽気に当てられて草花も蕾を咲かせてもいいのかもと、その気になっている。本日は春の訪れを感じさせる暖かく過ごしやすい一日になるんだろう。
この地方の春の名物史である、体が悲鳴を上げる農作業という重労働が始まる前の休息日。俺ことジークフリードは、町道沿いの小川に面する、木下道の坂で春を感じて寝転んでいた。
ここは町道といっても、こちらの道は山へ行く道で、人通りは少ない。木下道で、小川が近いので空気も澄んで心地よい。静かに心休まる時間を確保するなら持ってこいの場所だ。
「あっ、ジーク様だ」
もう一眠りでもしてしまおうかと深く瞼を閉じた時、坂の上から俺を呼ぶ元気のある声がした。聞き覚えのある声なのだが、寝たフリしておいた方がいいな。俺はこいつが苦手だ。
「ありゃー、寝てるようですねルチア様」
聞き逃せない固有名詞に慌てて目を開けて、首だけで声をした方を向くと、修道服を着た女子が、空のバスケットを持って、ニタニタとした笑顔で立っていた。
「残念でしたー、ルチアさんは教会でお掃除中です。まんまと騙されましたね」
片手を口に当てて、いたずらな顔で笑う、この憎たらしい修道女の名はハンノ・アイゼルベルツだ。
ハンノはルチアが建てた教会にいる、ルチア以外の唯一の修道女だ。ルチアよりも短いショートカットで、癖のある赤毛と、底なしの元気を持ち味に行動力があり、人当たりが良いのが特徴的だ。
ハンノは主に教会の窓口をしている。ルチアも人当たりはいいが、奇行で教会を空けたり、神業を持つ聖女なので、僅かながら他人から距離を取られがちだ。その点ハンノは、どこにでもいる素朴な見た目と、人の懐に嫌悪なく入る特技を活かして、窓口ができるという訳だ。
ハンノは俺とルチアよりも一つ年下だ。ルチアには敬意を持って接しているが、何故か俺はナメられている。下に見られているんじゃなくて、からかい甲斐のある人間として見られている。俺がルチアに抱く思い、もとい弱点を知っているからだ。なんでバレたかは分からない。
「なんだ、ハンノか」
ハンノしかいないと分かって、俺は首を正しい位置に戻して、再び目を瞑る。
「な、なんだって何ですか。そんなにルチアさんが良かったんですか?」
ぷりぷりと頬を膨らませているハンノの素朴な顔が瞼の裏に浮かぶ。ハンノよりルチアの方がまだ接しやすいから、その通りだな。
「うわっ、目もあって、声もかけてるのに狸寝入り決めてる……」
関わると揶揄われるのが透けて見えていたから寝たフリしているのだ。せっかくの休息日にハンノと会話して精神的に疲れたくない。このまま過ぎ去るまでこうしておこう。
気配はまだ坂の上にあるが、ハンノの声が聞こえなくなった。鳥達の囀りと、そよそよと草花を揺らす風の音、ああ、これぞ自然の音色だ。
「すんすん」
心穏やかになりかけたら、坂の上から誰かが啜り泣く声が聞こえてくる。ハンノだ。
「すんすんすん」
嗚咽混じりに、すんすん、と声に出しながら近づいてくる。目を瞑っていても嘘泣きだと看破できてしまう。普通泣く時に、すんすん、っていうか?
「すんすんすんすん」
ハンノの声と気配が近づいてくる。瞼の上に陰ができて、頭上にハンノがやってきたのが足音と共に理解した。
絶対に目を開けてやらない。こいつに構って俺が得した試しは無い。
俺の確固たる意思が伝わったのか、ハンノは嘘泣きをやめて大きなため息をついた。そこからまた静かになる。おそらく次の手を考えているのだろう。
「イケメン」
ボソリと呟いた。俺のことをイケメンだといっているならば、今度は思ってもいない褒め落とし作戦だな。安直過ぎて鼻で笑ってやる。
「太い実家」
これまた俺のことか。実家は貴族だが、ほぼ離縁状態なので、なんの褒め言葉にもならない。
「高身長」
男性としては高い方だ。百八十は超えるので、女性としては平均的な身長のルチアと並ぶと、身長差のおかげで大男に見られる。大男なんだけどもさ。とにかく、褒められた気にはならない。
「高収入」
ん? 続けて出てきた単語に疑問が湧く。俺は高収入ではない。蓄えは旅の先々で稼いだお金があるが、現在の収入はギルドの依頼で、農業をするか、魔物を討伐するかで日銭を稼いでいる。なので高収入ではない。
「包容力があって、清潔感もあり、信仰心も厚い」
だが、後から出てきた三つの言葉は当てはまった。おいおいそんなに褒めても何も出ないぞ。しかし、褒め落としだと分かっていても悪い気分ではない。
「ルチア様が好き」
ハンノの突拍子もない発言に咽せそうになった。こいつっ、周りに人がいないからって、いって良いことと悪いことがあるぞ。
文句をいってやろうと、眉根を寄せて目を開ける。
「おいっーー」
「大司教様」
頭の上では屈んでいるハンノの姿が逆さまに映っていた。俺が目を開けたことによって、次第にハンノの口角が上がって、にやけ顔になっていく。
その顔を見れば騙されたことが分かる。俺の寄せた眉根が、ゆっくりと開いていく。
「大司教様?」
「そうですよ、聖都で有名な大司教様のことを呟いていたんですよ。えっ、まさかジーク様、ご自分の事とでも思っていたんですか!?」
ハンノは、ありえないといいたそうに、口に手を当てて、ワザとらしく驚きの表情を作った。
「はは、まさか……」
上体を起こして、弱々しく答える。逆さまではなくなったハンノは、またにやけ顔に戻っていた。




