7話 「シアリーの影」
明けましておめでとうございます。新年ということで本日13時にもう一話あげます。
グラシア家の屋敷に、重い空気が流れていた。
朝の光は変わらず温かいのに、空気の密度だけが、昨日までとは違っている。
「……《司法局》の役人の方が見えているそうです」
給仕の一人が、そっとアイクに耳打ちした。
アイクは頷くだけで何も言わなかった。ヤマトもまた、口を閉ざしていた。
だが、空気の変化は感じ取っていた。
律式で整えられた廊下の温度が、わずかに下がっているような感覚。
それは、カレンへの断罪の “気配”だった。
応接間の扉が閉じられたまま、しばらく開かなかった。
中では、伯爵夫妻と《司法局》の役人が話しているのだろう。
その話題は、ゼラントス家――いや、妹・カレンのことに違いない。
ヤマトは拳を握った。
帝国による断罪の手が、もうすぐそこまで迫っている。
昼前、ようやく応接間の扉が開いた。
《司法局》の役人は何も言わず、馬車に乗って去っていった。
その背中は、まるで“世界の記録を運ぶだけの器”のように無機質で、無感情にも見えた。
ヤマトは役人の背中が遠ざかるのを見つめ、静かに呟いた。
「あの気配……父上並み、いや、それ以上か……」
アイクは無言で剣の柄を握りしめた。彼の瞳は冷徹に相手の背中を捉えていた。
「ああ。あれが律の中枢にいる者たちの力だ。俺たちは、あれと戦わなきゃならない」
あの気配は、ただ強いだけじゃない。 “記録に従って命を奪う者”の冷たさがあった。
「……お待たせしました」
伯爵夫人が戻ってきた。
その顔には、疲労と安堵が入り混じっていた。
「手間をかけさせてしまい、大変お騒がせしました」
アイクが頭を下げると、伯爵は首を振った。
「とんでもない。こちらこそ、リュミナの命の恩人に対して礼もしきれていないのに」
ヤマトは、はっとして顔を上げた。
そういえば、あの夜――
彼らが助けた少女は、今もこの家で眠っている。
「……リュミナは、大丈夫ですか?」
「昨夜は疲れて眠ってしまったと聞きましたが」
「ええ。あなた方のおかげで、命に別状はありません。
あの子も、あなたたちにお礼を言いたがっていました」
「……よかった」
ヤマトは、ようやく少しだけ笑った。
二人は昼食後、伯爵夫妻に改めて深く頭を下げた。
「この度は、多大なご恩と、そしてお気遣いをいただき、心より感謝申し上げます」
アイクが告げると、伯爵は静かに頷いた。
「私たちは、旅を続けます。これ以上、ご心配をおかけするわけにはいきません」
ヤマトは続けた。
伯爵は二人の目を見つめ、静かに言った。
「わかった。無理はしないでくれ。君たちの目的が達成されることを願っている。そして、その旅が安全であることを」
伯爵はそう言って、彼らに旅の餞別として、わずかな金貨を渡した。
リュミナひょっこりと応接室に顔を出した。
少女はまだ少し顔色は優れないが、ヤマトとアイクの前に進み出ると、小さな手で、丁寧に包まれた一輪の白い花を差し出した。
「ありがとう……お兄ちゃんたち。これで、お礼」
彼女は昨日襲われたショックのせいで、まだあまり言葉を話せないようだったが、その瞳は二人への感謝に満ちていた。
アイクは一瞬戸惑ったが、すぐに優しい表情に戻り、その花をそっと受け取った。
「ありがとう。大事にするよ」
ヤマトもまた、その純粋な感謝に胸が熱くなるのを感じた。
二人は改めて深く礼を述べ、伯爵家を後にした。
二人は改めて深く礼を述べ、グラシア伯爵家を後にした。
グラシア夫妻は、二人の姿が見えなくなるまで静かに見送っていた。
夫人が、応接室に残された白い花の香りを吸い込みながら、そっと口を開いた。
「二人とも、まだ幼いのに、あの礼儀や作法は、やけにしっかりしていましたね」
伯爵は静かにコーヒーカップを手に取り、窓の外を眺めた。
「...ああ。おそらくはな。古き名門の教育だろう」
夫人は一瞬息を呑み、そして静かに頷いた。
「...彼らに、この世界は優しくないのでしょうね」
「優しくないさ。だからこそ、恩は返さねばならん。あの少年たちは、我らが娘の命の恩人だ」
伯爵夫妻の間には、重く、そして固い決意が宿る沈黙が流れた。
夕方、二人は南下の途中で小さな宿に泊まることにした。
律式で保温された部屋は質素ながら清潔で、グラシア家の豪奢さとは違う落ち着きがあった。
「……少し休もう。明日は長くなる」
アイクが言い、ベッドに腰を下ろす。腰に携えた剣の柄には、グラシア家の娘からもらった白い花が結び付けられていた。
ヤマトは窓辺に立ち、外の掲示板を見つめていた。
宿の前には、簡易の依頼掲示板が設置されている。
バウンティハンター向けの任務が、いくつか貼り出されていた。
「……アイク。今夜、ひとつだけやってみたい」
アイクは目を細める。
「依頼か?」
ヤマトは頷いた。強い決意を秘めた瞳で、アイクを見返す。
「スキルを使って、実戦で試したい。今の俺が、どこまで通用するか――《記憶階梯》の限界を確かめたいんだ」
アイクはヤマトの選んだ依頼に視線を向けた。
掲示板には、追跡者を混乱させ、同じ行動が何度も繰り返される異能者の情報が貼り出されていた。
ヤマトは一つ深呼吸をし、頭の中で地図と依頼を照合した。
「アイク、俺はあの『繰り返し』の異能者をやる。これは『記憶』のスキルで攻略しなければならない。今の俺にとって最高の訓練になりそうだ」
「わかった。だが、深追いは――」
「それから、アイクは別行動だ」ヤマトはアイクの言葉を遮った。
アイクは目を細める。
「何?」
ヤマトは別の依頼を指差した。
「南東の山岳地帯で、古い律式が制御を失い暴走しているという依頼がある。
普通の魔術干渉が一切効かないため、物理的な鎮圧を求めている」
「俺が考えるに、アイクのスキル《至高の法典》こそ、その暴走そのものを断つことに最も相応しい。アイクは、純粋な破壊を極めろ。俺は、純粋な知性を極める。カレンを救うためには、どちらも欠かせない」
アイクはしばらくヤマトを見つめ、剣の柄に手をかけた。その瞳に、迷いはなかった。
「……これくらい一人でこなせなければカレンを助けることもできないかもな。必ず生きて戻れよ」
「当然だ」
二人の間に、言葉にできない不安が一瞬だけよぎった。
だが、それでも進むしかなかった。




