4話 「命の値段」
帝都から遠く離れた辺境の村。
朝霧の中、診療所の窓辺に一枚の紙が置かれていた。
帝国広報紙。
その一面に、黒々とした告示文が印刷されている。
《龍痣保持者・カレン・ゼラントスに対する賞金令》
《所在情報に最大金貨一千枚。生死問わず、即時断罪対象》
《帝国司法局にて処理を担当》
診療所の外では、村人たちが広報紙を囲んでいた。
誰も声を上げない。ただ、視線だけがゼラントス家があった方角へ向けられている。
その沈黙が、言葉よりも重かった。
その中に混ざりヤマトはその紙を見つめていた。
指先が震えているのは、寒さのせいではなかった。
「……カレンの命に、値段がついた」
呟いた声は、誰にも届かないほど低かった。
金貨一千枚。
この世界で金貨一枚は、庶民の月収に相当する。
それが千枚――つまり、妹の命に現代の日本円に換算すると“一億円”の値がついたということだ。
「帝国はもう、“見届ける”気なんてない。殺す気だ……」
背後で、アイクが紙を覗き込む。
その瞳が、ゆっくりと揺れた。
「俺が……アイツを倒せなかったから、こんなことに……」
拳を握りしめるアイク。
その手は、まだ小さく、震えていた。
「違う。カレンは、まだ生きてる」
「とても5歳とは思えないほど賢い妹だった。」
ヤマトは静かに言った。
「帝国は“律を壊す因子”を排除する気だ。」
「俺は妹を守るために剣を振った。それが罪だって言うなら――俺がその律を壊す」
アイクはそう言い顔を上げる。
その瞳に、決意が宿っていた。
「俺が……守る。カレンを。絶対に」
ヤマトはその言葉を聞きながら、遠い記憶が開くのを感じた。
記憶階梯――前世の記憶が、静かに浮かび上がる。
葬儀の光景。
黒い服。泣き崩れる母。
誰もが“悲しみ”を共有していた世界。
(前世では、家族を失うことは“事件”だった。でも今は、“簡単起きてしまう事実”だ。律が壊れた者は、排除される。それがこの世界だ)
父も、母も、――もう、いない。
自分たちだけが残された。
「それでも、守るしかない。この世界が間違ってるなら――いつか、俺が、何かを変えられるかもしれない」
ヤマトはそう呟き、紙を静かに折りたたんだ。
診療所の奥、まだ誰もいない部屋。
ヤマトは荷物をまとめながら、静かに言った。
「この村にも、賞金令は届いた。帝国の広報紙は、律式印刷で全域に拡散される。
遅くとも三日後には、密告者が動き出す」
アイクは黙って頷いた。
その目は、もう迷っていなかった。
「俺が守る。カレンは俺が救う。」
その言葉には、揺らぎがなかった。
剣を振るった理由が、今も彼を支えている。
ヤマトはその言葉を聞きながら、心の奥に沈んでいた感情が、少しずつ浮かび上がってくるのを感じた。
ヤマトは古びた地図を広げた。
茶色く焼けた羊皮紙には、大陸の輪郭が手描きで記されている。
中央には帝都ヴァルメリア。白銀の柱が並ぶ裁極殿の印が、世界の中心であることを示していた。
その周囲には、旧王国カリヴェル、旧共和国ヴェルディア、旧宗教領セフィリア、そして旧五都連盟――帝国に統合されたかつての勢力の名残が、薄く刻まれている。
北西の山岳地帯。そこに、ゼラントス伯爵領があった。
「ここだ……俺たちの家があった場所――」
山脈の縁に位置するその領地は、帝都から遠く離れ、霧と雪に閉ざされた孤地だった。
帝国の中心から見れば、ゼラントス家は辺境。
ヤマトは指先で地図をなぞりながら、記憶の底に沈んだ風景を思い出していた。
地図には、ゼラントス領から南へ流れる一本の川が描かれていた。
山の雪解けを集め、帝国街道を横切りながら、五都連盟の港町へと続いている。
「妹が逃げたなら、この川沿いだ。
街道を避けて、村を渡りながら下流へ向かう。
水と食料が確保できて、追跡者の目も散る。……俺たちも、川を辿るしかない。」
ヤマトは地図を折り、アイクに目を向けた。
「下流に向かおう。妹の痕跡があるなら、そこだ」
朝霧が晴れ始め、遠くの山が輪郭を取り戻す。
ヤマトは荷物を背負い、アイクに向き直る。
「行こう。カレンを探す。この世界がどうであれ――俺たちが、選ぶ」
アイクは頷いた。
その瞳に、炎のような決意が宿っていた。
少しずつ思い出してきた記憶で浮かんでくるのは、前世の妹が描いた似顔絵だった。
「お兄ちゃんは、いつも守ってくれる」
その言葉が、紙の端に幼い字で書かれていた。
記憶階梯――
前世の記憶が、静かに浮かび上がる。
妹の誕生日。父の声。母の笑顔。
守られていた日々。
何も知らず、何も選ばず、ただ“家族”の中にいた。
「前は、守られていた。でも今は、守る側だ。それが、こんなにも重いとは思わなかった。」
ヤマトは紙を見つめ、静かに懐にしまった。
その手は、わずかに震えていた。
一方、アイクは剣を背負い、前を向いていた。その背中は、以前よりも大きく見えた。
「あいつは俺が、、俺たちが取り戻す」
その言葉には、揺らぎがなかった。
剣を振るった理由が、今も彼を支えている。
ヤマトはその姿を見ながら、思った。
「俺は、前世の記憶がある分だけ冷静に考えられる。
効率とか合理性とか……そういう“考え方”が身についている。でもアイクは違う。前世なんて知らないのに、“理由”だけで強くなっていく。守るという意志が、あいつを常識という枠外へ押し出している。」
アイクは剣を抜き、空に向かって一閃した。
アイクが振り抜いた剣先が、朝霧を裂いた。
霧が一瞬だけ左右に割れ、細い道のように空間が開く。
ヤマトはその光景に息を呑んだ。
「……速い」
ヤマトは目を見張った。
胸の奥が、わずかにざわついた。
(まただ。あいつは、俺の知らない場所へ先に行く)
「スキルの理解もそこまでできていないはずなのに、なんでそんな動きができるんだ?」
アイクは剣を収めながら言った。
「わからない。でも、動ける。カレンを守るって決めた時から、身体が勝手に動くようになったんだ。」
ヤマトはその言葉に、少しだけ嫉妬を覚えた。
アイクは“魂”で戦っていた。
だが、自分は知識で戦っている。そしてこれからも合理的・効率的に修練していなければ、
あっという間に強さが離れてしまうという危惧が生まれた。
この旅は、妹を探す旅であると同時に――
兄弟が“何者になるか”を決める旅でもあった。
そして二人は診療所を後にした。
賞金令が世界を動かす前に、妹を見つけるために。




