3話 「賞金令発令」
この世界には、万物を支配する絶対的な力学が存在する。
それは“律”と呼ばれる、目に見えないエネルギーの奔流である。
人が振るうスキルの力、スキルの発現、律式の行使……それら“個”が“世界”へと干渉する特殊な事象のすべては、この律の流れの上に成り立っている。
律は、世界を支える見えない土台のようなものだ。
しかし、律そのものを目で見ることはできない。そこでヴァルメリア帝国は、長い歴史の中でこの力の流れを読み取る仕組みを作り上げた。
誰が、どんな力を使い、どんな結果を生んだのか。それを“律文”として記録し、正しいか悪いかを判断する基準にすることで、帝国は平和を守っている。
この律文への記録は、帝国における「存在の証明」そのものだ。
十歳になると、子どもたちは教会へ行き、スキルがあればその登録を行う。
それは帝国の国民として認められ、安全に暮らすための大切な儀式だ。
律文に名が刻まれて初めて、人は帝国の保護を受け、法によって助けられる権利を得る。
逆に言えば、記録から外れた者は、この世から消えてしまうわけではないが、帝国にとっては「いないもの」として扱われる。
“管理外の存在”――。彼らには守ってくれる法も、助けてくれる兵士もいない。
帝国は関知しない。大抵の人はただの影として、社会の隅っこで生きていくしかなくなるのだ。
一応、十歳を過ぎてからでも再登録できる救済措置はある。だが、それは過去を厳しく洗われ、一生を監視下で過ごすに等しい茨の道だった。
一度記録から消された者が再び光の下へ戻るには、それ相応の「価値」を帝国に示すしかなかった。
帝国の支配が大陸全域に及ぶとはいえ、大陸の外には律そのものが不安定な土地も例外的に存在する。
そうした“律の外側”の地域では、スキルも律式も発動しない。
この“律の外側”が混沌である以上、秩序を維持する帝国は絶対でなければならない。
しかし、その内情は決して一枚岩ではなかった。
ヴァルメリア帝国は広大である。 その支配は大陸全域に及ぶが、完全に安定しているとは言えない。
かつての王国、宗教領、都市国家は律の名のもとに統合されたが、その根幹には、未だ火種が残っている。
だからこそ、帝国は二つの力で秩序を強引に維持している。
一つは、軍隊。
一つは、《司法局》。
軍隊は、外敵との戦争、領土防衛、反乱鎮圧を担う。 律に従わぬ国家、武装勢力、異民族との衝突に備えた、 “戦争のための力”である。
一方、《司法局》は、律の内部を守る。
対象は“罪人”――律を破った者、禁忌を犯した者、 そして、律の枠を超えようとする者たち。
その中でも、《断罪の十環》は特別だ。 十人だけに与えられる序列。
彼らは軍ではない。
彼らは“裁定者”であり、“断罪の剣”でもある。
軍が戦場を制するなら、 《司法局》は律そのものを制する。
もし仮に帝国軍が内部反乱を起こそうとするなら、それを裁くのもまた《司法局》であり《断罪の十環》である。
だからこそ、ゼラントス家への出動に軍は動かなかった。
龍痣の発現は、律の崩壊因子。 それは“戦争”ではなく、“断罪”の領域だった。
そして、グラヴィス・レーン――序列一位。
彼の存在は、帝国全土にとっての“抑止力”だった。
彼が動けば、罪人は完全に沈黙する。
彼が裁定すれば、貴族も黙る。 その名は、律の外にある者たちへの“警告”だった。
帝都ヴァルメリア。
皇宮の最奥、裁極の間 白銀の柱が並び、天井には龍の紋章が刻まれている。
その中心に、金髪の男が静かに立っていた。
ドラヴェル・ヴァルメリア。
帝国を統べる皇帝。端正な顔立ち、長身、冷たい金の瞳。
その姿は、まるで律そのものを擬人化したかのような威厳を放っている。
「……戻ったか、グラヴィス」
低く、響く声に応え、黒髪の男がフードを被ったまま歩み寄る。
《断罪の十環》、序列一位――グラヴィス・レーン。
彼は皇帝に対しても膝はつかない。頭も下げない。 それが彼の“いつも通り”だった。
「ゼラントス家は潰した。龍痣の発現は確認済み。ただし、その末妹は逃げた。 今はどこに行ったかわからん。」
皇帝はわずかに眉を動かす。
「……お前ともあろう者が逃がしたのか?」
「少し違うな。あえて逃がしたのは双子の兄貴の方だ。アイク・ゼラントス」
「スキル発現直後の十歳にしては相当な身体能力、そしてなにより圧倒的なスキルの強さを感じた。」
「そしてなによりも、既に過去の記録にしか伝承されていない龍の目が発現していた。」
「剣の動きも悪くなかった。スキルを理解すれば直ぐにでも父親より強くなるだろう。」
「それで、見逃したのか」
「そうだ。殺すには惜しい。《断罪の十環》に届く器だ。今潰すより、泳がせて育てた方が帝国の未来にとっては得だと判断した」
皇帝はしばらく黙っていた。
広間に、冷え切った沈黙が流れる。
「まぁソイツに関してはそれでいい…、それで肝心の龍痣の娘に関しては?」
帝国にとっての最重要人物について問いただす。
「娘の行方は不明だ。俺が到着した時には既に姿はなかった。ついでに言うなら双子の片割れもいなかったので、そいつが末の妹を連れて逃げたのだろう」
そう言うとグラヴィスは軽く首を振る。
「相変わらずだな。お前は、直感を信じる傾向があるな。」
その話を聞くと、ゆっくりと玉座に腰を下ろす。
皇帝の言葉にグラヴィスは肩をすくめる。
「俺は秩序の剣だ。情は持たない。断罪の基準はただ一つ――律を壊すか否か、それだけだ。律は枠だ。枠の中で動く奴は、枠を壊す奴に勝てない。アイクは枠の外に出る可能性がある。それならば、見ておく価値はあるだろう」
「龍痣は律を壊す因子。だが、律を守る者がそれを抱えたなら―― 世界は、どう動くか」 皇帝が一抹の不安を語ると、グラヴィスが即答した。
「それを見極めるのが俺の役目だろ。アイクは家族を守るために剣を振った。その“理由”が、奴を強くする。 それが断罪に値するかどうか、俺が決める」
その答えを聞き、皇帝は微笑んだ。冷たい金の瞳が、わずかに愉悦の光を宿す。
グラヴィスは無言で頷くと、踵を返して裁極の間を後にする。
「しかし、危険分子を放っておくわけにもいくまい。」
「おい、宰相いるだろ――」
帝国宰相ヴェルク・アストリアが音もたてず姿を現した。
「――――――」
「それは…シアリーではなく、グラヴィスに直接命じればよろしいのでは?」
宰相は疑問を投げかけるが、皇帝は肩をすくめた。
「あいつは、事務作業なんて面倒くさがるからな」
「ヴェルク、対応頼むぞ。ゼラントス一族の律文をすべて抹消し、娘を公式な断罪対象として刻み込め。世界の命運がかかっているかもしれんぞ」
──その日の午後、帝国広報局より“律文告示”が発令された。
《龍痣保持者・カレン・ゼラントスに対する賞金令》
《所在情報に最大金貨一千枚。生死問わず、即時断罪対象》
《帝国司法局にて処理を担当》
告示文の末尾には、宰相ヴェルク・アストリアの名が記されていた。
グラヴィス・レーンはその文書を手に取り、無言で目を通した。
眉ひとつ動かさず、ただ一言だけ呟いた。
「……まぁ、止める理由もない」
それは肯定ではなかった。
だが、否定でもなかった。
彼はその紙を折り、懐にしまうと、静かに歩き出した。
こうして帝国は動き出した。
断罪の剣は抜かれ、賞金は放たれた。
だが、グラヴィスはまだ“見極める”立場にいた。
ゼラントスの血が、律を壊すのか――
それとも、新たな秩序を編み直すのか。
その答えは、まだ誰にもわからない。




