19話 「動く影」
ヒナカミの都に足を踏み入れた三人を迎えたのは、天を突く断崖絶壁と一体化した荘厳な“ヒナカミ城”だった。
純白の石壁が朝陽を浴びて輝き、黒鉄の装飾が鋭く影を落とすその姿は、気高く翼を広げた白鷺と、天空にそびえる峻険な岩山を思わせた。
切り立った巨岩をそのまま石垣に取り込み、山そのものが武装して立ち上がったかのような実戦的な美しさ。
城壁の一つひとつに刻まれた封印の紋様は、律のないこの地で育まれた禁忌の理を体現し、侵入者を静かに拒絶する殺気を放っていた。
ヤマトはそれを仰ぎ、異世界の記憶に重ねざるを得なかった。
(……姫路城の優美さと、備中松山城の孤高な峻険さを併せ持っているようだ。だが、それ以上だ。この城は、ただの要塞じゃない。封印の檻そのもの……カレンを縛る鎖の源が、ここにある)
アイクは拳を握りしめ、ミヅキは静かに息を吐いた。
三人は城下の喧騒へと足を進め、大武会の熱気に飲み込まれていった。
登録確認を済ませると、三人はすぐに別々の控室へと案内された。
この大会の厳格なルール――対戦相手の情報は一切与えず、事前の対策を封じる。
勝利条件は「場外」「気絶」「棄権の宣言」。
そして、命に危機が及んだ場合のみ立会人が介入する「立会人判定」のみ。
公平を極めた、冷酷な武の舞台。
【ヤマトの控室】
石造りの冷たい部屋。壁の湿気が肌にまとわりつく。
ヤマトは壁に背を預け、深く息を吐いた。
解析スキルを封じられ、相手の情報はゼロ。
頼れるのは、水月流で体得した「流れ」の感覚だけ。
(怖くはない。でも、この静寂が……心を削るようだ)
壁一枚隔てた隣室に、アイクとミヅキの気配を感じ取る。
双子の絆が、かすかな安心を与えてくれた。
ヤマトは目を閉じ、無意識の解析を呼び起こす。
自らが源流となる流れを、脳裏に繰り返し描き続ける。
(カレン……もう少しだ。必ず、迎えに行く。ミヅキも、アイクも……みんなで)
【アイクの控室】
アイクは狭い室内を猛獣のように往復していた。
溢れる剛の力が、拳を握るたびみしりと音を立てる。
(待ってろ、カレン……。この剣で、あの封印の鎖をぶち壊す。
あと少しだ。あと、少しで将軍家の懐へ――)
ヤマトの緊張が、自分の胸にも響く。
ミヅキの静かな決意も、かすかに伝わってくる。
アイクは短く笑い、愛刀の柄を強く握りしめた。
「負けんなよ、ヤマト……ミヅキも。俺たち三人で、全部ぶち壊すんだからな」
【ミヅキの控室】
ミヅキは静かに座り、木刀を膝に置いていた。
父の教えが、胸に蘇る。
(父上……この剣は、私のものになりました。
お二人のためにも、父上の教えを、水月流の強さを証明するためにも……勝たなければ)
『――開門ッ!!』
巨大な陣太鼓が地響きを立て、大武会の幕が開いた。
観衆の怒号が嵐のように降り注ぐ中、正面の特等席にはヒナカミ将軍家が着座。
その傍らに、立会人として剣神カゲツが静かに腰を据えていた。
第1試合:アイク・ゼラントス。
相手は長槍使いの猛者。巨漢で、槍の穂先が陽光を浴びて不気味に輝く。
観衆の歓声が沸き起こる中、アイクは静かに構えた。
刺突が連続で襲う。風を切り裂く音が、舞台に響く。
アイクは水月流の「柔」でわずかに受け流す。
槍の勢いを借り、溜まった運動量が爆発的な加速へと転換――「動的な剛」。
(今だ……! 力を爆発させる!)
踏み込み一歩で石畳を粉砕。
木刀の一閃が槍を叩き折り、衝撃波だけで相手を舞台外へ吹き飛ばした。
巨漢の体が宙を舞い、地面に叩きつけられる音が響く。
観衆がどよめく。
「なんだあの速さは!」「一撃で……!」
「勝者、アイク!」
(……ふむ。柔を剛の道としたか。力任せの域を脱したな。だが、まだ本質の圧砕剛が眠っている……)
カゲツは静かに喉を鳴らし、満足げに頷いた。
第2試合:ヤマト・ゼラントス。
相手は双刀の迅捷な剣士。刃が二本、嵐のように襲う。
連撃がヤマトの周囲を包み、逃げ場を塞ぐ。
ヤマトは、水が岩を避けるように全ていなし。
一瞬の隙を突き、吸い込まれるような軌道で峰打ちを頸動脈へ。
(流れ……俺自身が、源流だ。相手の刃を、飲み込む!)
相手の目が見開かれ、刀を握ったまま崩れ落ちる。
観衆が息を呑む。
「あのいなし方……水みたいだ」「完璧すぎる……」
「勝者、ヤマト!」
(……良い。自らが流れの源流となったか。影すら捉えられる域だ)
カゲツの目に、静かな期待が宿る。
第3試合:ミヅキ。
凛とした佇いで舞台に立つミヅキ。
相手は重武装の斧使い。巨斧が振り下ろされるより早く、ミヅキは一歩。
父の教えを基にしながら、彼女だけの「速さ」――水月流の変種、「影月一閃」。
刀が残光を残し、相手の喉元で止まる。
相手は斧を振り上げた姿勢のまま、凍りついた。
観衆が沸騰。
「あの速さ……すごい!」「あれが剣神カゲツの娘か!」
「勝者、ミヅキ!」
(……ミヅキ。お前自身の速さを選んだな。父の教えを超える日が来たか)
カゲツは親の顔で、優しく目を細めた。
勝利の余韻が冷めやらぬ舞台裏。
三人が移動の合間に顔を合わせた瞬間――
観衆の歓声が一瞬途切れた。
将軍家の特等席へ向かう通路の影で、何かが動いた。
洗練されつつも素早く、観客の視線を避けるように、建物と建物の隙間を縫う人影。
笠を深く被り、無駄のない歩み。
ヒナカミの街で感じたあの気配――喧騒から隔絶された静けさ、殺気の影が、再び現れた。
人目を避け、城の裏手にある古い塔の屋根へ滑り込むように移動。
遠くから将軍席を狙う位置――大会の喧騒に紛れ、誰も気づかない死角。
ミヅキの瞳が見開かれる。
(……今! 警備が試合に集中している今、あの影は建物の中から、遠く将軍席を狙っている……! このままでは……)
彼女は静かに息を吐き、決意を固めた。
「……棄権します。私は、影を追います」
「待てよミヅキ! 危ない、一人じゃ――俺も行く!」
アイクが肩を掴む。
「俺も行く。三人で向かった方が……」
ヤマトも続ける。
だが、ミヅキは二人の手を、静かに、しかし毅然と振り払った。
彼女の瞳は、揺るぎない覚悟に満ちていた。
「今この時、将軍も観衆も、あなたたちが活躍しているこの大会に釘付け。
あの影は建物の中から、遠く将軍を狙っている。この瞬間を逃せば……取り返しのつかないことが起きます」
(……父上の教えは、守るためだけの剣ではない。あなたたちのために……私が、影の刃を止めてみせます)
「お二人がこの舞台で暴れ、視線を奪うこと。それが、私が影を捉えるための、唯一の道なんです。……信じてください。私を、仲間として」
ヤマトは拳を握りしめ、言葉を失う。
アイクは天を仰ぎ、吐き捨てるように息を吐いた。
そして、ミヅキの頭を乱暴にぐしゃぐしゃと撫でる。
「……分かったよ。絶対に生きて戻ってくれ。必ずしも倒す必要はない。相手の目的を阻止できればそれでいいんだからな。」
ミヅキは小さく微笑み、頰をわずかに赤らめながら頷いた。
ミヅキは受付へ棄権を宣言。
影のように、城内深部へと消えていった。
表の舞台では、鬼神グエンや影神ヌイという絶対的な壁が、次なる牙を剥こうとしていた。
一方、城の奥深く、建物の中――誰にも知られぬまま、二つの「影」が激突の刻を迎えようとしている。
三人の道は、ここで分かれた。
だが、その絆は、決して断ち切れない。




