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龍痣の少女と断罪の双子― IYK物語 ―  作者: ヤニコチンタール人
第1章 【龍痣を背負った妹を追って】
16/22

16話 「解放と反射」

 厳しい修行が始まって数日。ヤマトとアイクは、朝日が昇る前に目を覚ました。

  慣れない全力での訓練により、全身の筋肉は悲鳴を上げている。

 アイクの腕は、今まで使わなかった筋肉の使い方を強いられ、重く、ヤマトの頭は、分析の限界を超えようとした疲労で鈍っていた。


 ヤマトが居室から出て中庭に目をやると、ミヅキが井戸の傍で、静かに水を汲んでいた。


(ただ、ただ、その佇まいがとても綺麗だ...)

 夜明け前の薄暗い光の中で、水月流の静謐さを体現するかのような彼女の凛とした横顔は、修行の厳しさを忘れさせるほど、息をのむほどに美しかった。


 二人は、ミヅキが準備してくれた朝食を無言で済ませると、冷え切った道着に袖を通した。 道場の畳は、まだ霜が降りたように冷たい。

 二人は無言で、師範の待つ稽古場へと足を踏み入れた。


「始めよう」

 道場の中央で、カゲツ師範は静かに座っていた。


 その短い言葉とともに、朝一番の組手が始まった。


 ヤマトとアイクは、師範の指導を頭では理解しているつもりだった。水月流の剣とは、流れに逆らわず、相手の力をいなし、その運動エネルギーを利用すること。しかし、実行は想像を絶するほど困難だった。


 この日も、水月流の修行は続いたが、二人の双子は前日と変わらず、自らが持つ“長年の剣の癖”の壁に阻まれていた。


 アイクの体は、カゲツ師範の木刀がわずかに触れるだけで、反射的に全身の剛を込めて受け止めようと硬直する。そのたびに、師範の木刀は力を逸らし、アイクの木刀は勢いを失い、畳に打ち付けられる。


(力を抜け、受け流すことが、これほど困難だとは。今まで、相手の剣を受け止めることに苦労したことなど一度もなかった。体が勝手に力を込めてしまう...!)


 一方のヤマトは、頭では“流れに任せる”というミヅキの言葉を理解しながらも、師範の攻撃に対し分析することを放棄できない。


(流れに任せる、とは、分析をしないことではないはずだ。しかし、この解析による刹那のタイムラグが、自分の剣を常に遅らせている。どうすれば、思考を介さずに反射に変えられる?)


 二人の剣筋は練度こそ高いものの、師範の要求する“流れにまかせる剣”の域には、まだ達しておらず、修行は一種の袋小路に入っていた。


 カゲツ師範は、組手を中断し、鋭い眼光で二人を見据えた。


「相変わらず、その剣は檻に囚われている。お前たちの檻は、故郷で身につけた“剣の癖”だ。檻を壊すには、己の剣のあり方を根本から問い直すしかない」


 カゲツ師範はそう告げると、ミヅキに合図を送った。

 ミヅキは頷き、道場の隅に置いてあった二本の木刀を手に取った。

 それは、長さこそ普通の木刀と同じだが、アイクに渡されたものは持つには極端に軽い木刀。

 ヤマトに渡されたものは持つには柄の重心が極端にずれた、いびつな木刀だった。


「アイク。そなたには、これを使え」


 カゲツ師範がアイクに手渡したのは、柄の先に錘のない、異様に軽い木刀だった。


「その剣は、アイクが力強く扱うことも、衝撃を耐え抜く強度も持たない。そなたが今までのように“受け止め“に頼れば、木刀が折れてしまうだろう。お前が頼ってきた、己の膂力と剣の重さで全てを制圧する剣術は、ここでは通用しない」


「では、いくぞっ!!」

 アイクの木刀は、何度も弾き飛ばされ、地面を滑る。彼は力を込めるほどに、自滅への道を選んでいた。


「アイク、腕を硬直させ、力で受け止めるのが剛ではない。剛とは、その力を解き放ち、剣を加速させるためにある。」

「お前の力で、相手の力を相殺するな。その全身の剛を、一瞬の爆発的な速さに変えろ!」


 カゲツ師匠の指導は、力の流れを止めてしまう受け止めた際の腕の硬直を捨て、身体の運動量を瞬時に“全身の連動による爆発的な加速”へと変換する“動的な剛”を求めるものだった。


 それは、力を固めて溜めるのではなく、体幹のねじりと全身の連動を爆発的なエネルギーに変え、接触の瞬間、全てを一閃の速度に変えるというアイクからすると、力の使い方そのものの発想の転換だった。


 アイクは、全身の力を抜いた状態で師範の一撃を受け流す。木刀が接触した、その刹那。彼は、体幹から指先まで、溜めていた運動エネルギーを全て前へと放出する。


 その剛は“身体能力に任せた膂力”ではなく、“爆発的な一瞬の速さ”として解き放たれた。軽い木刀は、衝撃を失った師範の木刀を、弾丸のように鋭く、そして正確に弾き返した。


「ッ…!」


 初めて、カゲツ師範の表情に微かな驚きが走った。

 アイクから全身の力が抜けたことで体の軸が安定し、無駄な力が消えた清々しさが満ちた。アイクは“身体能力に任せた膂力”に隠されていた剛の真の原理を掴み、確信が生まれた。

 それは、力を抑えることなく、最も効率的に解き放つ術だった。


「脱力が大切なんだな……」

 アイクが満足そうに何かを掴みかけていた。

 

「ヤマト様には、私がお相手を」

 ミヅキが静かに声をかけた。

 彼女の構えは、水面に映る月のように、捉えどころがない。


(ミヅキが、水月流の組手を?門下生の中にも他に女性はいないはず...)

 ヤマトの瞳に一瞬だけ驚愕の色が浮かんだ。

 ミヅキの放つ静謐さは、カゲツ師範にも通じる達人の領域だった。


「ヤマト様には、ご自身の持つ強力な武器である――分析という癖を、一度封じていただきます」

 ミヅキはそう言うと、持っていた布を広げヤマトの目を覆った。


「頼れるのは、木刀が交わる音、そして肌で感じる空気の振動だけ。分析のための視覚情報を遮断すれば、ヤマト様の分析能力を低下させることができます。その上で、私が打ちます」


 ミヅキの木刀が、耳元で鋭い風切り音を立てる。

 ヤマトの頭脳は、音と振動の断片的な情報を元に、瞬時に予測しようとするが、情報が少なすぎるのと、慣れない状況により体が動かない。


「柔の剣は、予測ではありません。同調です!!」


 ヤマトは少なすぎる情報だけを元に分析を実施しようとすることで、脳がオーバーヒート状態になってしまう。

 この頭痛に耐えながら、自身のすべてであった分析の放棄、すなわち今まで無意識で行っていた思考を完全に否定した。

 その瞬間、彼の思考中枢と、剣を握る身体の意識が、強制的に切り離された。


(斬る。ただ、斬る。この音、この風に、刀を合わせる!)


 思考による制御を放棄したことで、彼の身体に残されたのは、ゼラントス家で培った純粋な反射と、ミヅキから得た「流れ」の法則だけだった。

 彼の身体は、意識的な思考を挟まず、ミヅキの振るう木刀の音と振動に、刀を反射的に同調させ始めた。


「カッ!」


 ヤマトの木刀は、ミヅキの力をいなし、その力を使ってカウンターの一撃を返した。


(これだ!解析の結果を、思考を介さず、体が直接、無意識の反射として出力する...!)


 ヤマトは、頭脳の限界を超え、純粋な反射領域へと踏み出す、“無意識の解析”の糸口を掴んだ。

 刹那のタイムラグは消え去り、彼の柔の剣は流動性と鋭さを同時に獲得した。

 それは、彼の思考能力が、身体の反射回路に完全に統合された瞬間だった。


 厳しい特訓を終えた夜、道場の庭で二人は静かに息を整えていた。


「アイクの剣筋が変わったな。無駄な重さが消え、一瞬の爆発力が桁違いだ」

 ヤマトが目隠しを取りながら言った。


「お前こそ。まるで水が意志を持ったようだ。どこから攻めてくるか、全く読めない」

 アイクも、体の奥から湧き出るような軽快さを感じていた。


「良い変化だ。剛を解放し、柔を反射させた。お前たちは、長年の習慣という名の檻を壊したのだ。これで、ようやく水月流の門をくぐったと言える」

 カゲツ師範は、遠くからその様子を見つめ、静かに総評した。


 その夜、ヤマトは静かに、自らの胸に熱い決意を固めた。


(この剣は、目的のための手段だ。カレンの情報を得る。必ず)


 彼らは師範に深々と礼を言い、修行で得た新たな力を携えた。

 闇が深まる夜の中、彼らの視線は、遠く光を放つ帝都の中心へと向けられていた。


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