14話 「剛と柔」
船がヒナカミの港へ近づくにつれて、ヤマトとアイクは船内から、既に「スキルの世界」との繋がりが断たれていることを感じていた。
船体が桟橋に接岸し、「ありがとうございました」
二人は船長に深々とお辞儀をして礼を述べた後、甲板を降りた。
港の空気は、帝都の『律の雰囲気』に満ちた重苦しさとは全く異なり、湿った潮の香りと、木の香りが混ざり合った、極めて自然な匂いだった。
二人の目の前に広がる町並みは、ヤマトが持つ帝都の知識と照らし合わせた通り、まさしく帝都の文明から隔絶された「江戸時代を彷彿とさせる」風景だった。
地元の住民は、二人の見慣れない服装と立ち姿に好奇と警戒が入り混じった視線を投げかけている。
「スキルを生み出す根源の律の流れが、完全に途絶えているな。まるで、世界から色が抜けたみたいだ」
アイクは、帯剣していない腰を無意識に触った。
二人が町の中心へ向かおうとしたその瞬間
「きゃあっ!」
という甲高い女性の悲鳴が聞こえた。黒装束の男が、十二歳~十三歳くらいの少女の手から小さな巾着のようなものをひったくり、細い路地へと駆け込んでいくのが見えた。
アイクは一瞬、スキル発動の慣性で右手を上げかけたが、すぐに拳を握りしめた。
「スキルが使えなくても、やることは変わらない!」
犯人は、見かけによらず身軽で、路地裏の障害物を巧みに利用して逃走を図っていた。
ヤマトはスキルを介さない思考で犯人の最短経路を予測し加速したが、次の瞬間、驚愕に目を見開いた。
「――なっ!?」
ヤマトの純粋な思考が、アイクの加速度がヤマトのフィジカルを遥かに上回っていることを瞬時に認識し、分析した。
アイクはヤマトが計算した最短経路すら無視し、直感的かつ極限まで効率化された身体操作で犯人との距離を一気に詰めた。
(そうだ。アイクは元々、戦闘においては天賦の才を持っていた。スキルを身に着けてからはそれが増幅されたが、この律がない状況でも、身体が勝手に最短距離を見つけ出し、無意識に最適解をなぞっている。このフィジカルこそ、アイクの本質だ!)
アイクの猛追に驚いた犯人が振り返った瞬間、鉄槌のようなタックルを受け、路地に倒れ込んだ。
犯人は関節を極められ、全身の自由を奪われながら、驚愕に引きつった声を上げた。
「な、なんだこの速さ、この力は...!馬鹿な、人間技じゃねえ、まるで鬼神のようだ!」
アイクは犯人から巾着を取り上げると、それを悲鳴をあげた件の少女に差し出した。
「…さすがだね、アイクは本当に規格外だ。僕の予測など意味をなさない」
ヤマトは立ち止まり、尊敬の念を込めて評価した。
巾着を抱きしめた少女は、深々と頭を下げて感謝を述べ、ミヅキと名乗った。
彼女は、艶やかな黒髪を持ち、日本の古典的な美しさに加えて、その立ち居振る舞いには道場の娘としての礼儀と気品が備わった美少女だった。
少女は凛とした声で、奪い返された巾着の中身が、自分の父が師範を務める水月流道場の家宝であることを明かした。
「この巾着の中にあるのは、道場の開祖が残した銘刀でございます。(この銘刀は短刀のように短い小太刀であり、巾着はその刀身を包む布袋の役割を担っていた)。この銘刀は、この国の武の礎として将軍に認められており、私の一存で持ち出せるものではありませんでした。ですが、父の急な指示により、やむを得ず、この巾着に隠して運んでいた途中で、このような事態になってしまいました」
彼女は続けて、水月流の歴史を語った。
ヤマトは、その言葉に、目の前の少女の気品が、帝都の力に頼る貴族とは全く異なる、古き武の精神に裏打ちされたものであることを悟り、この地の武術に対する強い知的好奇心を抱いた。
(この律なき地で、これほどまでに洗練された武術の“理“が存続している。これは、カレンの情報を得る以前に、僕の分析能力が求め、学ぶべき、最高の課題だ)
ミヅキは、熱を帯びたヤマトの視線が、銘刀ではなく自分たちが話す“武術の精神”に向けられていることに気づき、口元に静かな笑みを浮かべた。
「この水月流は、この律の世が定まる以前から、一度も途絶えることなく続いている、この国で最も歴史の長い道場の一つです。命の恩人であるあなた方に、言葉だけでは済ませられません。もし、この国の剣術にご興味がおありでしたら、父に相談して、ぜひ修行を受けていただけるようお願いしてみます」
ヤマトとアイクは顔を見合わせた。この国で情報を得るには、まずは生活の拠点を確保することが必要だ。ヤマトは合理的に判断し、宿と食事の提供を受け入れ、ミヅキに案内され水月流道場へと向かった。
二人は道場の師範、カゲツと対面した。カゲツはがっしりとした体躯を持ち、厳しくも穏やかな眼差しで二人を迎えた。カゲツはまず恩義に礼を述べた後、庭先の稽古場へ二人を導いた。
「言葉で語るよりも、その身が何を識っているか、見せてくれ。誰か、彼らの相手をしてやれ」
カゲツの指示により、道場の中でも熟練した門弟二人が、木刀を構えて進み出た。
「ただし、ここはそなたらの故郷ではない。ここでは、そなたらの“スキル“は通用しない。それに頼らぬ、そなたらの持つ全てを見せてくれ」
カゲツ師範が静かに言った。
「まずは俺からだな!全力で頼む!」
アイクは一歩前に踏み出し、対峙する門弟と向かい合った。
アイクの異様な気迫に、門弟は思わず息を呑み、わずかに木刀を握り直した。
二人の間に静謐で張り詰めた“間“が生まれた。
「開始!!」
カゲツの鋭い号令が、その静寂を打ち破った。
アイクは、門弟の一撃を驚異的な身体制御で受け流すと同時に、純粋な腕力で木刀を相手の体勢ごとねじ伏せた。
「くっ...重い!」
門弟が驚愕に目を見開く。 アイクは防御から爆発的な踏み込みへと移行し、門弟の体勢を立て直す隙を与えず、木刀を脇腹へ正確に打ち込み、崩れ落とした。
アイクの動作には、スキルに依存しない、純粋な“剛“が宿っていた。
次にヤマトの番が来たが、アイクと同じく道場の木刀を取った。
(兄さんは元々、戦闘においては天賦の才を持っていた...律がない状況でも、身体が勝手に最短距離を見つけ出し、無意識に最適解をなぞっている)
ヤマトの脳裏に、幼少期、父から律の力を乗せて相手を圧倒する「剛」のスタイルを教えられながらも、兄に全く歯が立たなかった挫折が蘇る。
(剛の力では、アイクには追いつけない。スキルに頼れない今、このフィジカルの差を埋めるには――相手の物理的な力を分析し、利用する“柔の理”しかない)
ヤマトは、自身の純粋な思考能力が最も活かされ、アイクの剛の剣と渡り合える最適解が、相手の力を利用する“柔の剣”にあると確信した。
「貴様、剣を侮るか! 舐めるな!」門弟は怒気を込めて、上段からヤマトの頭部目掛けて木刀を振り下ろした。
ヤマトは、門弟の攻撃の軌道、速度、重さを純粋な思考によって瞬時に解析した。
門弟の木刀が自身の剣に当たるまさにその一瞬、ヤマトは純粋な思考によって割り出した同速度で自分の木刀をわずかに引いた。
キン!という音と共に、門弟の渾身の一撃はピタリと止まり、その勢いを完全に相殺された。門弟の木刀はヤマトの木刀に吸いつけられたように動かない。
「どういうことだ…当たらん!」
門弟は困惑に満ちた声を上げる。
ヤマトは、相手が体勢を立て直す間すら与えず、相殺した位置からそのまま木刀を押し込み、門弟の鎖骨を正確に打ち据えた。
カゲツ師範は、その光景を微動だにせず見つめていた。彼の目は、技術ではなく、二人が持つ“異質な才能の根源”を見極めていた。
「見事。これほどまでに律に頼らず動く身体を見たのは、大陸出身者の中では、初めてだ。一人は剛の才、もう一人は柔の才――」
カゲツは深く頷き、恩返しと才能の検証を兼ねて、正式に修行を提案した。
「我が道場に住み込み、好きなだけ修行なさい。この国で最も古い、スキルに頼らない剣の理を、この私、カゲツがみっちりと身体に叩き込んでやろう」
二人はカゲツの申し出を受け入れた。
道場の娘ミヅキから、木綿の道着と着物と呼ばれる服が支給された。
ヤマトは、律の繊維が一切ない純粋な布の重みを感じ、この地が完全に“律が届かない世界”であることを改めて認識した。
夜、寝静まった離れで、ヤマトとアイクは向かい合った。
ヤマトは、カゲツ師範が自分たちを異能者と見抜き、修行という名目で監視下に置いていることを確信した。
「師範の指導を通じて、律なき武術の理を極限まで吸収する。
同時に、この地には、カレンの手がかり、そして律から隔絶された真実が隠されている可能性がある。これは、成長と情報収集が一石二鳥でできる環境だ」
アイクは笑い、スキルの力を超越した、真の強さを手に入れられるなら望外の喜びだと、決意を新たにした。
二人は、スキルなきこの地での厳しい修行に身を投じることを誓った。




