12話 「いざヒナカミへ」
ヤマトが古代文献の解析を終え、東方のヒナカミ国への渡航を決めてから、アイクには数日間の猶予しかなかった。
ヤマトが古代文献の最終整理と、渡航の際に帝都の律の監視網を欺く術式の準備を極秘に進める間、アイクは船と資金の調達、そして何よりも己の武力の再構築に集中した。
二人は、最近の“A級のカガミ”、“B級のガンザイ”との戦闘で得た報酬により、当面の活動資金は持っていた。
しかし、ヒナカミ国への非正規な渡航費と、現地での長期滞在費および情報収集費を捻出するには、その額は到底及ばなかった。
アイクは、自身の能力を活かし、危険な高額の賞金稼ぎ(バウンティハント)の仕事を引き受けた。
対象は、帝都の律を悪用し、貴族を強請っていた悪名高き窃盗団のリーダー、ギル・ロウ。彼はB級手配の賞金首だった。
アイクは、ある程度アジトの位置情報はあったものの、依頼を受けてから一晩で窃盗団のアジトを突き止めた。アジトは、強力な防御スキルによって多重に防衛されていたが、アイクは正面からそれらを突破することにした。
アジトの入り口に立ったアイクは、剣の柄に手をかけたまま、小さく息を吐いた。
(ガンザイ戦の時は、相手を見極め、最小限の効率化された力の使い方を試みた。だが、今回は違う)
「ここは温存なしだ。一瞬で終わらせる」
リーダーのギル・ロウは、多重の物理防御スキルの障壁を張り巡らせ、自信満々にアイクを迎え撃った。
「馬鹿め! 俺の物理防御スキルの壁は、どんな剛剣も受け止める! お前みたいな“ガキ”ごときが破れるものか!」
しかし、アイクは一瞥しただけで、リーダーが律式を構成する核を見切っていた。彼は剣を構え、深く呼吸を整える。
(カレンの命のためだ。俺の仕事は速やかに、確実に資金を回収することだけだ。)
アイクは、規格外の《星幽容量》を限界に近いレベルまで開放した。彼の身体から溢れる多大なエネルギーが、身体を蒼白い光で包み込む。
それは、通常のスキルとは比べ物にならない、圧倒的なエネルギーの奔流だった。
アイクは、常識ではありえない速度と軌道で踏み込んだ。リーダーの律式障壁が発動するより早く、その剣閃が、律式の波を「一瞬で消滅」させる。
「なっ……!?」
ギル・ロウが張った律式の障壁は、まるで存在しなかったかのように消滅した。彼の背後の壁が、律式エネルギーの急激なゼロ化による影響で、わずかに光を失ったような痕跡を残した。これは、物理的な破壊ではなく、《星幽容量》の力によって律式を根源的に無効化させた、彼の本質的なスキルの片鱗だった。
――《星幽零式》――
アイクは、その一撃でギル・ロウの律式を構成する核を無力化し、賞金首をあっという間に捕縛した。
アイクがバウンティ・ハンター登録所に報告を済ませると、報酬が即座に支払われた。
アイクは受け取った賞金をそのままヤマトに渡し、次の任務である己の武力の再構築へと移った。
アイクは、「律に依存しない力」というヤマトが以前言っていた言葉を思い出し不覚胸に刻んだ。
彼の身体能力は既に規格外だったが、彼が普段用いる剛剣は、微細ながらも安定した律の恩恵を受けてその硬度と重量を保っていた。しかし、ヒナカミ領域では、その剣が「ただの鉄塊」になる可能性がある。
アイクは、この二日間、極度の負荷を自らに課した。彼は、律を完全に意識から排除し、純粋な筋力と呼吸、そして剣筋のみに頼って訓練を重ねた。
(もしこの世界から法則が消え、俺がただの男になっても、この剣が振るえるか? カレンの命を、律の外側で守り抜けるか?)
アイクが万が一に備え研鑽しながらも、不安をいだく。
彼は、体から立ち昇る《星幽容量》の輝きを抑え込み、己の存在そのものを「律の定規の外側」に固定するような、常識外れの鍛錬を続けた。彼の剣術は、一見すると変わらないが、その一撃一撃には、律に頼らない重さと精度**が宿り始めていた。
――二日後――
追跡が途絶え、帝都に戻った翌日、アイクとヤマトの耳に最悪の報せが届いた。
「何かあったか、ヤマト。顔色が悪い」
アイクがヤマトに尋ねる
帝都の掲示板、酒場、裏通りの密売人たちの口から、同じ噂が囁かれていた。
――カレン・ゼラントス、S級手配――
その手配書には、彼女の年齢や容姿の簡単な特徴と共に「危険度:最上位」と記されていた。強さではなく、「世界の法則を根本から崩壊させる可能性」という一点のみで判断された異例のS級だ。
「……S級だと?」
「まだ力を制御できない子供だぞ。強さじゃなく危険度だけで裁くなんて……!」
アイクは拳を握りしめた。
「情報提供だけでも莫大な額が支払われる。だが、現段階で公的な情報が流れていないということは、まだ確保されていない証拠だ。むしろ、龍を信仰する宗教的な集団に匿われている可能性が高い。帝国側に突き出されることはないだろう。――それが唯一の救いだ。」
「しかも、本来なら《司法局》が水面下で処理するはずの案件だ。 だが今回は、情報があまりに不確定で、制度の監視網すら掴みきれていないようだな」
ヤマトは冷静に分析する。
「なら、俺たちが先に辿り着くしかない。カレンを“神の子”にさせるわけにはいかない。」
アイクは深く息を吐き、剣の柄を握り直した。
その瞬間――
“リーン…“と澄んだ音が、誰も鳴らしていないはずの空気の中に微かに響いた。
ヤマトは一瞬、周囲の律式が沈黙したように感じたが、アイク自身はその音に気づいていない。 それは、守護の象徴としての龍眼が、静かに目覚め始めている予兆だった。
一瞬鐘のような音が気になりはしたが、ヤマトは無言で頷き、視線を机上に広げた地図へと移した。
「行き先は極東の孤島群――ヒナカミ国だ。そこへ渡る航路は、例外的に律が不安定になる海域を避けられない。正規の船はすべて制度の監視下にあり、残された手段は、律に依存しないベテランが操る密航船のみだ。」
「危険だが、やるしかないな。」
アイクは短く言った。
ヤマトは裏市場の仲介人から、老練な船長が操る貨物船の情報を入手した。二人はアイクが調達した資金を投じ、船の一角を買い取った。
月明かりの下、帝都の旧港。
ヤマトは、密航船の出発地点まで誰にも気づかれないよう、目立たないように細心の注意を払って行動した。
事前に解析した都市のデータに基づき、人目や巡回の少ないルートを慎重に選び、まるで闇に溶け込むかのように移動した。
二人は、“暁の女神号”という古びた貨物船に乗り込む。船長は、金と沈黙を好む寡黙な老人だった。
「これで戻れないな」
アイクが呟く。
「戻る必要はない。進むだけだ」
ヤマトは冷静に答えた。
船は静かに港を離れ、帝都の灯火が遠ざかっていく。アイクは甲板から、遠ざかる《封律塔》の頂にある《断律球》を見つめた。
それは、彼らが育った安定した世界の象徴だった。
船が安定した律の領域を完全に離脱した直後、船体が激しい衝撃と共に大きく揺れた。 周囲の海域は穏やかだったはずだが、船長の顔色が険しくなる。
「何だ、この衝撃は……!船が、強制的に止められた!」
「取り締まりの船だ。奴らが異能者の何らかのスキルで航路を止めに来た。このまま止まれば、巡視船に追いつかれるのは時間の問題だ!」
ヤマトは空を見上げた。
敵のスキルによる干渉は船内の機関を停止させ始めた。このままでは、すぐさま制度の巡視船に捕捉される。
ヤマトは即座に《記憶階梯》を稼働させた。
(《記憶階梯》では、通常の思考が一本の道を進むのに対し、ヤマトの意識は記憶を過去、異世界の知識、未来の可能性という複数の情報階層に分離し、全てを同時並行で走らせる。
この多重思考こそが、彼に超高速演算を可能とする。)
彼の視界に、敵スキルの複雑な律の流れが数値データとなって展開される。
「機関停止を引き起こすスキルの構築構造を割り出す...!」
ヤマトは、その超高速演算を以て、敵スキルの目標情報を偽装する対抗術式を組み上げ、干渉の核に直接適用する。
アイクは甲板で、船体に体重をかけ、揺れに耐えながらヤマトを見守った。
彼は自身の《至高の(・)法典》の力を発動させることはなかった。
彼はヤマトの知識と解析能力が、この問題を最も効率的に解決できることを知っており、ただ静かにその完了を信じて待っていた。
数秒の激しい干渉と演算の後、船の揺れは収まった。
ヤマトの《記憶階梯》による超高度な解析術式が、敵のスキル干渉の目標を喪失させたのだ。
機関が再び動き出し、船は速度を取り戻す。
「ふぅー、間に合った。奴らの目的は船を止めること。だが、この失敗で彼らが次の手段を講じるには時間がかかる。これで俺たちが離脱できたかな。」
ヤマトは息を整える。
「ああ、わかっている。目指すはヒナカミだ。どんな律も、どれほど遠い場所も関係ない。俺達の力で、必ずカレンの助けるんだ。」
アイクは、暗い海風の中で剣を握りしめた。
船は加速し、やがて律が不安定になるヒナカミ海域へと、深く進んでいった。




