11話 「東方への羅針盤」
追跡が途絶えたセリフィアの境界線で、アイクとヤマトの間に重い沈黙が降りてから、丸一日が過ぎた。
二人は、森の周辺にある全ての集落や街を捜索し尽くしたが、カレンの手がかりは完全に途絶していた。
二人はセリフィアの森への突入を断念し、夜通し馬を走らせて帝都へ戻った。帝都の喧騒は、森の静寂とは打って変わって、二人には煩わしく感じられた。
アイクは、愛用の剣を部屋の隅に音を立てて立てかけると、冷静さを欠いた声でヤマトに問いかけた。
「それで、体制を立て直すってのはどういう意味だ、ヤマト。ここからどう動く? 情報がない。あの森で、俺たちの物理的な手がかりが完全に絶たれた」
ヤマトはアイクの焦燥を理解し、冷静に、しかし真摯な眼差しで答えた。
「俺達の敵は、誘拐犯であるセリフィアの集団だけではない。俺達の敵は、まだ知らない律の知識、そしてカレンが持つ力の正体こそ、真の障壁となる」
「カレンは『律を壊す者』の因子を持つ。そして、彼女は龍を信仰する集団に身柄を確保された可能性が極めて高い。彼らは、彼女の背中にある龍痣を、古代の教義に記された『救世主の徴』として捉え、彼女を『神の子』として利用しようとしているはずだ。」
「そして、純粋な武力が必須となる。今の律に依存した力では、カレンの第三階層の力や集団の術によって無効化される危険性がある。アイクの剣がただの鉄塊になってしまう事態を避けるためにも、世界の法則の外側にある、本物の強さを手に入れなければならないからだ」
「だが、そんな遠回り、している時間があるのか? カレンの命が懸かってるんだぞ!」
アイクは一度、強く床を蹴った。彼の焦りは、カレンへの想いからくるものだ。
「だからこそだ、アイク」
ヤマトは低く、しかし力強く言った。
「闇雲に突っ込んでも、カレンが『神の子』として利用される危険性を高めるだけだ。今、手がかりが途絶えたこの瞬間だからこそ、アイクの圧倒的な武力を活かすためにも、我々はまず世界そのものの法則の裏側を知る必要がある」
アイクはヤマトの顔を見つめ、そこに確信と責任感が宿っているのを読み取った。アイクはヤマトの知性を誰よりも信頼していた。沈黙の後、彼は深く息を吐いた。
アイクはヤマトの顔を見つめ、そこに確信と責任感が宿っているのを読み取った。アイクはヤマトの知性を誰よりも信頼していた。沈黙の後、彼は深く息を吐いた。
「……わかった。俺はお前の計算に乗る。お前は必ず答えを出す。だが、俺は待たないぞ。カレンの命は、俺が守る」
ヤマトは静かに頷き、信頼に応えた。
「私は、この数日で古代文献を全て読み込む。アイクは、渡航準備と、律に依存しない剣術の訓練を開始するんだ。目指す先は、この帝都の律の監視網と影響力が最も薄い、東の果てだ」
ヤマトは決意を込めて言った。
「わかったよ!」
ヤマトはすぐに、彼が貴族時代の伝手とわずかな資産を使い、秘密裏に確保していた情報解析ラボへと向かった。そこは、帝都の喧騒から離れた旧市街の奥に建つ、古い石造りの建築物の一室だった。
しかし、ヤマトの解析を支える資料は、非合法な取引だけでは揃わない。かつてゼラントス家で歴史顧問を務めていた老顧問に、極秘裏に連絡を取っていた。家が没落した後も忠誠心を失わないその人物は、帝都の厳重な管理下にある「禁忌指定」の古代文献の複写を、秘密裏にヤマトのために用意したのだった。
ヤマトの秘密解析ラボ。 無機質な光が点滅する静寂の中で、ヤマトは数千年分の埃を被ったような“禁忌指定”の古代文献の複写と向き合っていた。机の上には、セリフィア地方で採取した律式残滓のデータと、古びた石版の拓本が散乱している。
ヤマトの瞳が、ある一節で止まった。それは帝都の教科書からは抹消された、律の構造に関する記述だった。彼は、スキルが発現したばかりのアイクが語った「深律」の存在を、今、この信頼のおける情報によって裏付けようとしていた。
世界の全てを構成する“律”には、厳格な階層が存在する。
我々が日常利用しているのは『第一階層(生活律式)』。そして、貴族や才能ある市民が用いる『第二階層』だ。
律とは、世界の流れ。律式やスキルは、その流れに石を投げてできた波紋に過ぎない。
小石程度のわずかな波紋を拾うのが律式。大きな波紋となるとスキルとなる。
だが、古代の龍が支配していた領域は、さらにその上——『第三階層(深律)』にある。
第三階層は、スキルまでとは一線を画す。
それは川の流れを堰き止め、滝に変え、あるいはその源流そのものを操る力に等しい。
――龍の御業――
龍は、この第三階層を自在に操っていたとされる。 第三階層とは、“世界の秩序”の最深層。世界の根幹に関わる律で、法則そのものの生成と消滅を司る領域だ。 故に龍は「世界の法則を創った存在」であり、同時に「律を自在に破壊する者」として恐れられた。その力は、律式による「制限なく」使われていた。
カレンが持つ「龍痣」とは、この第三階層へのアクセス権そのものだ。龍痣を持つ者は数百年に一度しか現れず、その中でスキル《龍律変異》を発動できるのは極めて稀だ。
古代の記録によれば、カレン以前に発動させた者はわずか一人。
彼女のスキル《龍律変異》が発動する十歳以降、世界の法則そのものが変化する危険性がある。
制度が恐れているのは、この力が発動し、彼女が第三階層を通じて世界を変異進化させること。それは、世界が恐れる「大災厄」の正体だ。
そして、この第三階層の知識と照らし合わせると、ヤマトが既に知る一つの事実が浮かび上がる。アイクだ。
彼は律式やスキルを使う一般的な能力者ではない。しかし、その身体能力と剣術は、帝都が統一し安定させた物理法則の「理論上の限界値」を遥かに超えている。あの瞬発力、あの斬撃の速度と出力は、通常のスキル(第二階層)では物理的に到達し得ない領域だ。
(アイクの規格外《星幽容量》は、彼に律の制限を受けない純粋な膂力を与えている。この律に縛られない力こそが、安定した律の定規を無視し、世界の流れそのものを切り裂いている。)
アイクの強さがこの世界の律の常識では説明がつかないのは、その力の源が律のシステムの外側にあるからだ。
律の制限を超越できるのは、世界のルールから除外されている、『第三階層(深律)』の力だけだ。
アイクの圧倒的な《星幽容量》は、深律に繋がる規格外の器であり、過去に彼が一度でも「深律に触れた」と語った経験は、その器が深律の源流と接続している決定的な証拠なのだ。
カレンの力も深律由来、敵の知識も深律の知恵。そして、アイクの力もまた深律由来であるならば——彼こそが、深律の混沌に対抗しうる唯一の存在となる。
――律の統一と《封律塔》の真実――
この混沌を終わらせ、人が住める安定した世界を築き上げたのが、現代の帝都の始祖たちである。
古代文献は語る。龍は律を三度裂いたが、その存在はあまりに巨大で封印不可能だった。最後の崩壊では、記録そのものが消失し、制度は再構築を余儀なくされた。帝国が恐れたのは、龍の爪痕が記録を焼き、秩序を拒むその力、すなわち龍が残した「深律の混沌の残滓」だった。
帝国は、その龍の爪痕と残滓を封じ込めるため、帝都の中心に《封律塔》を築いた。
この巨大な封印作業は、皇帝の祖先(政治的・技術的基盤を提供)、結界術に長けたセリフィアの祖先(隔絶空間の構築)、そして律の根源的知識を持つヒナカミの祖先(封印術式の確立)の三勢力の祖先による多大な貢献と協力によって成し遂げられた。帝都の秩序は、この古代の共同事業の上に成り立っている。
塔は、龍の圧倒的な《星幽容量》がもたらした、世界の法則を壊す力が世界に広がるのを防ぐ、“巨大な杭“として機能している。
また、第三階層(深律)への干渉には、圧倒的な《星幽容量》が必要とされるため、一般的なスキル使用者にはその存在すら知られていない。
《断律球》が塔の頂にある球体が浮かぶ。この球体こそが、龍の「深律の残滓」を封じ込めた主要な封印装置である。
《封律塔》は、その《断律球》を大地に固定し、その強大な封印の力を継続的に維持するための巨大な動力源として築かれたものである。
そしてこの《断律球》は、外界と完全に隔絶された「絶対隔絶空間」であり、封じられた龍の残滓により律が異常なほど濃密に存在する領域とされる。この極度の律の濃密さゆえに、弱者は入ることすら許されず、また、制度の記録や監視も安定して機能しない。塔は制度の象徴であり、《断罪の(・)十環》の序列戦がこの上層で行われるのは、その莫大な力の衝突が周囲の帝都に被害を及ぼすのを防ぐため、そして律を守る者がこの濃密な領域に耐え、己の力を証明する儀式とするためだ。
セリフィアの祖先が律の結界の知識、そして第三階層(深律)への干渉を可能にする術を保持していることを示唆している。
これは元々、セリフィアの祖先は、封印事業において隔絶空間の構築を担った一族だからだ。
「そして、律の根源(深律)に関する知識と、封印体系は、東方の孤島群・ヒナカミ国に伝わっているはず」
ヒナカミ国は、《封律塔》による律の観測圏の端に位置しており、龍の力と、その因子を封印する以前の「律の根源」に関する知識を保持している可能性が高い。
何より他の地と異なるのは、律が不安定なことだ。例外として律が不安定なのは《断律球》とヒナカミ国である。
そのため彼らの武術(剣術)が律に依存しないと記載があったのは、律が不安定だった古代の戦い方を継承しているためだろう。
ヤマトの冷たい瞳に、決意の光が宿る。
目的は一つではなくなった。 カレンの行方を追うだけでなく、彼女が宿す「律を壊す力(第三階層)」を制御し、あるいは対抗するために、ヒナカミ国で“律の知識”と“律に依存しない力”を手に入れる。
ヒナカミ国。 それは、律の歴史が封印された古代へと繋がる、唯一の羅針盤だった。




