ー 3 ー 愛しの恋人
悠の一日は、英和辞典に始まり英和辞典に終わる。朝7時30分に家を出て登校すると、自分の席で英和辞典を開く。8時頃に友人たちが登校してくるため、それまでの時間を英単語の暗記、と言うより読書に当てる。その後授業を受け、放課後は部活をしたり友人たちと遊びに行ったりして過ごし、帰宅後は一時間前後陰陽力の強制訓練を強いられ、そして英和辞典である。因みに部活は英語部に所属しているため、放課後も英語に触れる機会が多い。
「悠ぁ、おはよー」
日課となっている朝の読書をしていると、中学の頃から付き合いのある友人、西本瀬衣ががらがらと音を立てて扉を開けて教室に入ってきた。悠も「おはよー、瀬衣」と返す。自分の席に荷物を置いた瀬衣は、英和辞典に栞紐を挟んでいる悠の机の横に屈んだ。机に顎を載せた状態で真剣な眼差しを向ける。
「ねぇねぇ。重大な報告があるんだけど」
「ん?何かあったの?」
「……いや、やっぱり実波が来てからにする」
瀬衣がそう言った瞬間、教室の扉が開き南雲実波が姿を見せた。「おっはよぉ!お二人とも」とハイテンションな声を響かせる。
「おはよー、実波。何か瀬衣から重大発表があるらしいよ」
「ちょっと悠ぁ!?まだ心の準備が出来てないって!」
「登校早々に報告があるって言ったのは瀬衣でしょ」
「いや、そうだけど!」
「ねぇ、何の話してるのぉ?実波も混ぜてよぉ!」
人の増え始めた教室で、各々の会話のボールを自由に投げる三人。最初に折れたのは瀬衣だった。軽く息を吐いて心を落ち着かせてから、口を開いた。
「あのね、実は私、この度晴れて……彼氏ができました!」
「「えぇー!?」」
瀬衣の驚きのカミングアウトに悠と実波の声が重なる。
「嘘でしょ、瀬衣!」
「ほんと」
「不純だよぉ!」
「待って、どんな人?」
「優しくてかっこ良い」
「その人、見る目ないんじゃないのぉ?」
好き勝手に感想を述べる二人の反応は予想通りだが、先程から聞き捨てならない言葉が聞こえる。
「ちょっと、実波!悠に紛れてさっきから失礼なことばっか言わないでよ!」
「えぇー?だって、実波たちまだ高校生になったばっかりだよぉ?健全に生きていこうぜ、瀬衣ちゃん♡」
「健全だし、実波も彼氏いるでしょ!あと、『ちゃん』って言わないでよ」
「ほーらー、怒らないのぉ!じゃあ悠に聞いてみよ。いかがですかぁ?悠さん」
話題を振られた悠は俯いたまま抑揚のない声を発した。
「不純か健全かはこの際どうでも良い」
悠の答えに対し、瀬衣は「え、そこ一番大事じゃない!?」と驚きの声を上げ実波は「ほほぉ?」と楽しげに瞳を輝かせた。そして、悠は勢い良く顔を上げると瀬衣の手をがしっと握る。
「よくも裏切ったな、瀬衣。一年前に打倒実波を誓ったのをもう忘れたのかー!」
「あ、それは本当にごめん」
「えぇ、ちょっと待って。何、『打倒』ってぇ!実波の何を倒すのぉ!」
再び会話の渦が巻き起こる。主に、悠と瀬衣の言い合いに時折現れる実波についての謎の盟約に実波が興味を持つ、といった構成である。
「まぁまぁ、悠。君には愛しの英和辞典がいるじゃないか。人と違って常に悠のことだけを考えてくれるよ?」
暫く下らない言い争いを続けていたが、ふいに瀬衣が悠の肩にぽんっと手を置いてきりりとした表情でそう言った。はっとしたように息を吞み、悠は机の上に置いてある黒い表紙の分厚い辞典を見つめる。
「確かに!私には最愛のジーニくんがいるんだった」
演技感溢れる裏切者の言葉すら素直に受け取る程、英和辞典に対する悠の認識は盲目的だった。
お読み頂きありがとうございます。
私の中では、実波はゆるふわツインテールの常時萌え袖っ子です。




