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第4話 黒き商い

 あの日、森で少女と出会ってから、数週間が過ぎた。


 村の外れ、リーナの骨董屋兼住居を改装した“びょういん”は、看板を掲げることもなく、村人の間で「毒消し屋」や「痺れ治し屋」として静かに噂が広まり始めていた。


「先生、今日のおばあさん、だいぶ良くなったって言ってましたよ」


「……だからその呼び方、やめろって言ってるだろ……」


 リーナの声に、レインは苦笑しながら頭をかく。


「だって、村の人たちにも定着してきてますよ?“青い先生が治してくれる”って」


 リーナは自慢げに言いながら、患者の記録帳にさらさらと羽ペンを走らせていた。彼女の机の上には、法術憲章の複写と、古文書や薬草辞典の山が積まれている。


 レインはというと、隣の椅子にもたれかかって、目を閉じていた。さきほど、虫に刺された少年の腕の炎症を癒したばかりだった。


「……ふぁ……今日は軽いのだけだったのに、眠気が……」


「それでも五分くらいで起きられるようになりましたよね。」


 リーナが顔を上げて微笑んだ。


「このあいだのツェルヴァスの羽虫に噛まれた人の解毒のときは、二時間も寝てましたけど」


「……あれは結構、深くまで魔力を流したからな……」


 レインはうつらうつらしながらも答えた。


 癒しの魔法には、代償がある。発動者が消耗するだけでなく、“眠り”によって生命を一時的に凍らせ、回復を図る必要があるのだという。


 リーナは数日かけて文献を読み進めていた。まだ断片的にしか読めないが、すでに一つ、大きな仮説をつかんでいた。


「ね、先生。やっぱり、症状の重さと、睡眠時間って比例してますよ。たとえば、今日みたいに軽い炎症とか、痺れくらいなら、数分で目が覚める。でも、強毒や生命にかかわるような重い症状を癒すと、何時間も寝てしまう。」


「……そうかもしれないな。でも、そういうの、今まで誰にも伝えられてこなかった。」


「だからこそ、私が調べてるんです。ソワン族の癒しの力は“奇跡”じゃない。ちゃんと仕組みがあるはずです。やっぱりこの法術憲章はただの歴史書じゃなかったんです。ここにはソワンの力についての詳細な記述があります。もしかしたら青魔法以外の癒しの魔法についても書いてあるかも知れません。」


 リーナは真剣な表情で古文書をめくる。


「そして、癒すほどに、先生が消耗していくなら……いつか、戻ってこなくなるかもしれない。そうなってほしくないから。」


 レインはしばらく黙っていたが、目を伏せたまま、かすかに微笑んだ。


「……ありがとな。」




***




 びょういんの存在が完全に村に受け入れられたわけではない。それでも――


「またあの青い先生に診てもらえないかのう」 「昨日の痺れが、朝にはもう抜けとったんじゃ」


 そんな声が、畑の中や井戸端でぽつりぽつりと聞こえてくるようになった。


 もちろん、正式な診療所ではない。看板もなければ許可もない。ただ“治る”という事実と、“秘密にしてくれる”という信頼だけが、じわじわと広がっていた。


 そして何より、村長ハクガクが口添えしてくれていた。


「ソワンの子であろうと、わたしの村で守ると決めた。誰も追い出さんし、誰にも渡さん」


 その言葉は、村人たちにとって何よりも強い“お墨付き”だった。


「ハクガクさんには小さい頃からお世話になっていたんです。両親が他界してからも親のように私のことを可愛がってくれて……。」


リーナはそう語る。ハクガクがまだ健在である限り、この小さな“びょういん”は、しばらくの間――誰にも知られず、しかし確かに、人の命を支える場であり続けるのだろう。




***




 夜。レインが短い仮眠から目を覚ますと、隣でリーナがまだ古文書と向き合っていた。


「……なあ、リーナ」


「ん?先生、起きました?」


「だからその呼び方……いや、もういい。……俺さ、本当に“癒し手”としてやっていけるのかな」


 リーナは、ペンを置いて、真っ直ぐに彼を見た。


「やってますよ、もう。先生の力で、あの子の炎症も、おばあさんの痺れも治ったじゃないですか。」


「でも……いつかもっと重い症状がきて、治せなかったら……。治せたとしても俺が何日も眠ったままだったら……。」


 彼の不安を遮るように、リーナは静かに言った。


「そのときは、私がちゃんと見張ってるから。起きるまでそばにいますよ、“先生”」


「……やっぱりその呼び方やめろ……」


 リーナの屈託のない笑い声が、夜のびょういんにやさしく響いた。




 ある昼下がり、びょういんの扉を叩いたのは、今までに見たことのない男だった。


 黒い外套に身を包み、金の鎖を首にかけ、無精髭を撫でながら胡乱な笑みを浮かべる男。明らかに、村の者ではない。


「へえ、ここが“青い先生”とやらがいる店か。ほう、見た目はただの若造じゃねえか」


 その一言で、リーナの眉がわずかに跳ねた。


「ご用件は?」


 リーナがやや冷たく問いかけると、男はわざとらしく目を細め、肩をすくめてみせた。


「おっと失礼。名乗ってなかったな。俺はタグス、近くの町で日用品を扱ってる商人さ。……まぁ、表ではな。裏じゃ“ちょっとした物”も扱ってる。」


「……“物”?」


 レインが低く問い返すと、タグスは笑った。


「情報だよ、坊や。最近な、うちの町の裏街道で賊による暗殺が流行ってるって噂を耳にしてな。裏路地で貴族の飼い犬が次々と毒殺されてる。試してるんだろうな。次は貴族本人の番ってところだろ。さて、そこでだ。こんな村に“毒が消える奇跡の治療屋”があるって噂を耳にしてな。」


「……」


「もちろん信じちゃいねえよ。“魔法”だぁ?おとぎ話かっての。だけどな、もし本当に“毒を消す力”があるんなら、これはビジネスチャンスだろ。もうお貴族様も毒殺に怯えなくて済むんだ。どうだ?お前の力、高く買ってやる。桁が三つ、四つ変わっても構わねえ。」


 リーナは無言でレインの方を見る。レインはしばらく沈黙した後、静かに答えた。


「……金はいらない。治すべき者がいるなら、連れてこい。それだけだ。」


「無理だな。」


 タグスは即答した。


「商売相手は貴族だ。こんな森の奥まで連れて来れると思うのか。挙げ句の果てには癒しの魔術を使う医師だと?教会に知れたら俺までどうなるか分かったもんじゃねぇ。だから、代わりに方法を考えろ。あんたが町まで出向くか、遠くからでも治せるようにしろってんだよ、“先生”」


タグスは両手を大袈裟に動かし、演じるかのように振る舞う。


「それこそ無理な話だ。お前が言うように、教会の立場から見れば俺の存在はあってはならない。だからこそ”ここ”にいる。そして、俺の力は患者と対面しなければ効果を発揮しない。」


レインはタグス以上の応答速度で答えた。


「それじゃあしょうがねえ。町の人間には死んでもらうしかねぇな。」


タグスのふざけたような笑みの裏に、彼の目には焦燥と本気の色がにじんでいた。レインは気づいた。これはただの冗談ではない。本当に死者が出ているのだ。


「……わかった。また一週間後に来い。俺が全員救ってやる。」


タグスを鋭く見つめるレインが、力強く宣言した。一週間後までに、何か策を練らなければならない。今ここで行動をおこさないと犠牲者はきっと増えるに違いない。


タグスが去った後、びょういんの空気は一気に重くなった。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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