第2話 びょういん?
レインが目を覚ましたのは、前回と同じ森の野営地。仄暗い光と草の匂い、そして――
「おはようございます、レインさん!」
眩しい笑顔と、きのこスープと思しき液体が目の前に差し出された。
「……また、君か……」
重い体を起こし、レインは呆れたように言った。
「だって倒れたままだったんですもん。ひとりで置いてくの、さすがにできませんよ」
薪をくべながら、リーナは微笑んだ。
「……いつまでこうしてるつもりだ」
「決まってます。レインさんと“びょういん”を作るまで!」
「まだ言ってるのか……。癒しの魔法は異端だ。そんな場所、すぐに教会に潰される」
レインは苦々しく吐き捨てるように言った。 だが、リーナの瞳には揺らぎがなかった。
「……それでも、わたしは作りたいんです」
その声音が変わった。笑顔の奥に、静かな熱が宿っていた。
「私の両親……10歳のとき、ふたりとも“紅哭症”って病気で亡くなったんです」
「紅哭症……?」
「皮膚に赤い斑点が広がって、呼吸ができなくなって……苦しんで、壊れていく病気。今の世の中では“癒せない”って言われてる」
彼女は遠い目で焚き火を見つめた。
「どうにか助けたくて、王都からアンティア教会の教父様を呼びました。でも、結局“神に委ねましょう”って祈られて……両親は死んだんです」
レインは黙って耳を傾けていた。
「しかも治せなかった上に、両親が大事に集めていた遺物――考古学の資料を、“布施”って言って持ってっちゃったんです。あれで、この世界がどれだけ腐ってるかわかりました。」
リーナの言葉に、苦い怒りが滲む。
「その時、ずっと思ってた。もし“ほんとうの癒し”があったなら……って。そしたら、レインさんがそれを使った。目の前で、私を助けてくれた」
リーナは顔を上げる。
「……魔法なら、救える未来があるんじゃないか、って思ったんです」
レインは視線をそらした。
「俺の力は不完全だ。使えば強い眠気が襲ってくる。」
「でも使えます。私は見ました。」
「それでも、この世界じゃ異端扱いされて――」
「私を助けてくれた。それは事実です。誰も助けたくないんだったら見殺しにしていたはずです。“びょういん”を作りましょう。小さくてもいい、誰かが安心して治してもらえる場所を。森の中に、小さく、静かに――教会の目が届かない場所で。眠くなったら私がゆっくり寝かせてあげます。」
リーナは立ち上がった。
「実は、家に両親が使ってた骨董屋兼倉庫があって。ほぼガラクタだけど……少し片付ければ、簡単な設備くらいは作れそうです。」
勢いに呆気に取られるレイン。
「……君は、どこまで本気なんだ」
「全部本気です! ええと、森の中に畑もあるし、薬草も取れるし……あ、薪も切り出せば自分たちで――」
「おい、落ち着け」
レインは思わず言ったが、もう遅かった。
「すごいですよ、レインさん。私、今すごく生きてるって感じがします!」
こんな無茶苦茶な女がいたなんて。けれどその笑顔には、かつてレインが持ち得なかった“信じる力”があった。気がつけば、レインは立ち上がっていた。
「……一つだけ約束しろ。」
「はいっ!」
「“びょういん”をやるなら、人を癒すためにやれ。憎しみや復讐心からじゃ、誰も救えない。」
リーナは少し驚いた顔をした後、にっこりと頷いた。
「もちろんです!」
こうして、“癒しの魔法”で人を救うための拠点―― 世界でたった一つの「びょういん」は、その第一歩を踏み出した。
***
カルミアの骨董屋――という名のガラクタ倉庫は、村はずれの森の入口にひっそりと建っていた。 かつて両親が考古学者だった頃に使っていた小さな木造の店舗兼住居で、今はリーナひとりの暮らしの場となっている。
「ようこそ、ガラクタの宮殿へ!」
リーナが胸を張って案内した先には、見事に雑然とした空間が広がっていた。
「……なるほど、見事だな」
レインはため息混じりに言った。壁際には剥げかけた石板や壊れたランタン、謎の機械部品や虫の標本。中央のテーブルは片脚が折れかけており、天井からはホコリまみれのランプがぶら下がっている。
「片付け甲斐、ありますね!」
リーナは腕まくりしながらニッコリと笑った。
「君の“前向きさ”だけは、見習いたいくらいだな……」
そう呟いたレインも、結局は箒を手に取り、埃まみれの床を掃き始めていた。
――数時間後。
「ふう……やっと床が見えましたね」
「“地層”を掘り返すような気分だった……」
埃にまみれた顔で二人は座り込む。 店の奥にはようやく人ひとりが寝かせられそうなスペースができ、机の上には再利用できそうな道具を集めた棚が設けられていた。古びた薬瓶や小型の秤、割れていない陶器の皿など、使えるものは意外とあった。
「ここを診察台にして……あ、あっちに水を運べる桶を置けば、簡単な洗浄もできそうですね!」
「薬草は近くの小川で洗って、干す場所は裏の物干し場でいいだろう」
疲労はしていた。けれど、それ以上に心に灯っていたのは――
「なんか、いいですね」
「……何がだ」
「何もなかった場所に、ひとつずつ“役に立つもの”が生まれていく感じ。生きてるっていうか……ちゃんと、誰かのためになれる気がして」
リーナは顔を輝かせるように言った。
「……俺には、そういうの、よくわからない」
「うん。でも、それでいいんです。レインさんが魔法を使ってくれるだけで、私は前向きにやれますから!」
笑う彼女を見て、レインは少しだけ肩の力を抜いた。そう――“びょういん”は、まだ仮設で、何もない。でも、ここには小さな希望が確かに芽吹いていた。
やがて、窓の外に夕陽が差し込む。金色の光が二人の手で片付けられた部屋を温かく照らしていた。
「じゃあ、開業祝いにお茶でも入れましょうか。たぶん、カビが生えてない茶葉があるはずです!」
「本当に大丈夫か……?」
そう呟きながらも、レインは席に着いた。
こうして――森の片隅に、小さな「びょういん」が誕生した。
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