62.時が止まる世界
余裕綽々と私の真横に現れたウルリクアクアを火炎に呑み込ませてやろうと思った矢先、体が動かなかった。
「無駄だよ」と彼は図々しくも私の肩に顔を乗せ、私の身体に触れた。「イヴィアナは何も出来ないんだよ……」
今すぐにでも罵倒してやりたいと言うのに、口が動かない。手足も顔も動かず、唯一眼だけが動かせた。そして、辛うじて視界に移ったリアトとグレアムはまるで時間が停止したかのように不動で、私がグレアムの手を振り払った時の動作で止まっていた。
「どういうことって思うだろうけれど見たままだよ……今この世界の時間は止まっていて、止まっていないのは私と、イヴィアナの目だけだね……?」
彼の魔の手が私の瞼に触れる。優しく包み込むような声は私を破滅へと落としていく。
彼自身が魔法の特性を吐露してくれたことに、心中で得意気に笑った。
刹那のウルリクアクアの魔法は時間を操れる。だから刹那的に移動できるのだ。
あのカフェでマルシュの真横に現れた時も、周囲の世界を停止させた後に魔法を解除して現れたということだ。そもそも私たちが認識できる領域で動いていないというのなら、あのグレアムが捉えられないのも得心できる。
ウルリクアクアの魔法が判明したとして、時間というこの世界の流れを牛耳る魔法にどう打ち勝てというのか。
「だから、イヴィアナは何をすることも出来ないんだよ……」
そうして私の前に躍り出たウルリクアクアは、不敵に笑い、エリィから奪取した妖刀を持っていた。
こいつはどこまでも魔族で、人情の欠けらもない。だって人の形を模したただの"魔族"だから。
ウルリクアクアは狂王ラフアンの宿る妖刀で、淡々とグレアムの首に傷を入れた。その小さな切創だけで、狂王ラフアンの呪いは大いに力を発揮する。傷がつけられているというのに、グレアムの首からはちが流れない。時間が止まっているおかげだ。
次にリアトの首の中心部に刃先を入れ、貫通させた。妖刀が引き抜かれた後、無惨にもリアトの首には空洞が出来ていた。
──やめて。もうやめて……
──私の大切な仲間をどれだけ傷つけたら気が済むの?私が何をしたって言うの!!
「やめて」なんて声は彼の魔法のせいで出せない。
ただ眺めていることだけしかできない。絶対に守ると誓った仲間を、無力にも目の前で殺される。私にとって地獄の拷問だった。
今回は八斬りのシュラクペを撃退し、マリオネとアイユイユを救出したことで、いい方向に運命が傾くと思っていた。だというのに現実に突きつけられたのはこの惨状だった。
──じゃあ私は何をすればいいの?
「私たちを敵に回すのは、こういう事だよ。イヴィアナ──うん……じゃあ本番はここからだからね。存分に楽しんでね……?」
ウルリクアクアは傲慢に指を鳴らした。
すると、今まで静止していた世界が途端に再稼働を始めた、
──やめて、再開しないで!あの停止が解けたら、グレアムとリアトは……!
大量の血飛沫が私の顔にかかった。先刻まで精悍な笑みを浮かべていたリアトは口から血を吐き、嗚咽を漏らした。時間が再開したと同時にリアトは死しただろう。空虚な黒い瞳は私を見てくれなかった。
浮遊魔法が解けないままリアトは浮遊し続けている。即死だとしても魔力がまだ引いていない。
「リアト!」と叫ぶグレアムだったが、瞬時に違和感に気づいていた。
私の横で優雅に飛ぶウルリクアクアに、首元から微かにする痛覚。グレアムが指先で首元に触れた時には既にラフアンの呪いが体内に回っていた。
「グレイ……!!」
掠れた声で愛する人の名を呼んで、手を伸ばした。リアトの魔力が枯渇し、グレアムに施された浮遊魔法も効力を失う。リアトが先に落下し始め、グレアムも死に追い込まれながら落下していった。
「イ……ヴィ……!」
落下するグレアムの声が微かに届いた。命を助けることは無理だとしても、私にとっての愛する仲間たちが落下するのをむざむざ見過ごせない。落下した後に待っているのは肉体の崩壊だ。私の愛する仲間が酷薄に崩壊するなんて絶対に許せない。
私はグレアムとリアトに合わせて急降下しようとした刹那、首を抑えられた。
「勝手に動いちゃダメだよ……イヴィアナ……」
「おまえ……!!」
ウルリクアクアの腕で首元を抑えられ、身動きができなくなっていた。だとしても今は時間が止められていない。私の大火力でこいつを焼き尽くす。
「フ……」
『止まれ』
詠唱しようと口を開けた瞬間、ウルリクアクアの人差し指が私の唇に当たった。魔法で口の時間が止められたのか、詠唱が出ない。
「まあ落ち着いて……?イヴィアナ……」
私が止まらぬ憎悪を込めて睨めつけていると、彼は再び唇に人差し指に触れた。私は口をぱくぱくして、時間停止が解除されたことを確認した。
──この魔族、どういうつもりなの?
魔法を出そうとしても彼に停められるだけなら──もう死ぬしか選択肢がないのなら、私には話を聞くことしか出来ない。
「あんた、本当に目的はなんなの?まさかシヴァージ王国だけじゃなくて帝国も潰すつもり?」
「まぁ……それも"ひとつ"かな……?」
「帝国を潰すだなんてそんなバカなことをして、"主"が看過すると思うの?まあ、そもそも魔族はいくら悔い改めても"主"の加護を受けることはできないけど」
"創世神"は常に帝国を加護している。神の国に対抗するのは、いくら伝説のパーティーでも愚行に過ぎないだろう。
私が話し終えた後からウルリクアクアは黙りを決め込んでいた。
「ちょっと?」と話しかけるが、数十秒間沈黙を貫いた。表情は見えないが、背後から憎悪の魔力が溢れ出ているのが密着している私にひしひしと伝わった。肌が泡立つほどの悍ましい憎悪の魔力だ。分析したくないことだが、私がこいつらに抱いた感情と似たものを感じた。
沈黙を破ったのは、ウルリクアクアが辟易の溜息を吐いた音だった。彼の水色髪が風に吹かれて顔にかかったせいで、表情が見えなかった。
「帝国の訓は変わらないね……くだらない。だから、嫌なんだ……」
その言葉を聞いた瞬間、私の腹は妖刀で貫かれ、次第に意識を失った。
「神殺しは練り直しか……」
意識を失う直前に聞こえたのは彼の悲哀を含む忌々しい声と、先の見えない暗澹たる水色の瞳だった。
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