46.指揮者シェフドル
「イヴィ!何があったの?」
「わ、びっくりした」
瞬きする前は居なかったグレアムが、私の真隣で斧剣を構えていた。
「ごめん、なんか嫌な予感がしたから急いで駆けつけてきちゃった」
他の仲間が駆けつけてくる様子はまだない。ニルトア湖畔では魔力探知が無意味だ。第六感が働くグレアムが一番に危険を察知したようだが、一体どれ程の速度でここに来たのだろうか。
「まさか追跡された?そんなに早くできるものなのかい?」
「いや、普通の魔法使いならここで魔力探知するのは不可能なはず……グレイ、あいつは指揮者シェフドルだよ」
「え、そんな馬鹿な……」
グレアムは翡翠の瞳を瞠目させた。襟足の長い栗色の髪が揺れる。
ニルトア湖畔一帯は魔力で溢れ、認識を惑わしている。森の中の木さながらに、魔力に潜んでいる私たちを的確に探せるはずがない。
不可知のユーペスは偶然だとしても、指揮者シェフドルは確実に私に対する敵愾心を見せている。声音は優雅でも、その目が語っているのだ。
「あんた、なんでここ来たの?」
「なんでって……"魔王様"の命令に決まっているだろう〜?」
魔王様?災禍の四柱にとっての魔王は400年前の魔王ではないのか?
「フ──」
『気分を和らげて』
私の詠唱を遮るようにシェフドルが唱えた。
私の頭には、シェフドルに対する不可解さが残っている。恐らく彼の精神魔法の影響だ。
そのせいで。私の攻撃に迷いが生じている。魔法の射出速度で負けるほど動きが鈍くなっているようだ。
「もしかしてあれ本体じゃないんじゃ──どうしたの?イヴィ」
グレアムの憂慮する声が響く。
固く握っていた私の右手から魔法の杖が落ちた。"火炎放射"を出さなければ。闘うんだイヴィアナ。
ダメだ……
腕が動かない。なぜ杖を離した。拾いたいのに、拾わなくてもいいと思ってしまう。やはり拾う必要はない。戦う必要も……ない。
「グレイ、あれ殺さなくて……いいかも」
「え?どうしてそんなことを……」
その場で座り込む私の腰に、グレアムは手を回す。
言いたくない言葉が口に出ている。戦う気力が一瞬にして無くなった。負けて死んでも別にいい。何もしなくていい。私は──
「頼んだ!アイユイユ!」
リアトの声が上空から聞こえた。眼前にいるシェフドルはシルクハットのつばをあげて、不思議そうに天を仰いだ。
頭を抱えながら徐に視線を遣ると、アイユイユは虚空に向かって魔法を詠唱していた。
『虚視』
すると眼前のシェフドルが頭を抱え、苦しそうに呻吟を漏らした。
同時に私を襲った脱力感、混沌とした思考もなくなった。
「イヴィ?」と、顔を覗き込むグレアムは眉を下げていた。
「大丈夫」
私は彼の手を取って立ち上がる。
地に落ち萎えた魔法の杖を拾って構える。不可解な感情も戦意喪失も無くなった。双方ともシェフドルの精神魔法によるものだった。精神魔法は本当に厄介だ。
「イヴィアナ嬢、だいじょ──」
「イヴィアナ!無事か?」
アイユイユとリアトが地上に降りて私に声をかける。
「リアトさすが!ありがとう。アイユイユも!」
困窮していた状況に、勢い余ってリアト抱きついてしまった。貧弱な彼は、私を受け止める反動で少しよろめいていた。
「まさかこの僕に精神魔法をかけるなんて……貴方が宮廷魔導師のアイユイユか?」
指揮者シェフドルは頭を抑えて高笑い、渦巻く瞳を妖しく光らせた。
「ワタクシのことを知っているなら、目を合わせても宜しいのですか?ワタクシは貴方の本体の場所が丸見えなんですよ」
そうか。私たちは指揮者シェフドルの幻影を見せられているが、アイユイユの慧眼は本体が見えている。
アイユイユを連れてきて心底良かった。八斬りのシュラクペのような盲目でなければ、アイユイユは対魔族最強の魔道士だ。
「それよりアナタ……」アイユイユらしからぬ厳かな話し方に私まで緊張する。「あの"指揮者シェフドル"ですね!!!」
そして私は拍子抜けした。
「そうだ?僕の名を知ってるなんて珍しい。僕はあの2人より目立たないようにしてるつもりなんだけどな?」
シェフドルは指揮棒を顎に当て、視線を斜め上へと遣った。
"あの2人"──?災禍の四柱は4名の大魔族ではなかっただろうか?
アイユイユは彼の肯定の言葉を聞いて、信じられないほどの陶酔に溺れた声を出して崩れ落ちた。まるで魔物の鳴き声のごとく滑稽な声だった。
「なんだ……?」
流石のシェフドルも困惑していた。漆黒と群青のオッドアイはわずかに揺れている。
「だってぇ……!あの伝説と言われた災禍の四柱を!見れているんですよ!!八斬りのシュラクペに次ぐ、もう一柱をみれている!本当に現代か見紛いますね……」
アイユイユは地面を嬉々として叩いた。そして、口から地面まで長く垂れているのは、彼の涎だった。
「ちょ……汚いアイユイユ……」
涎が垂れているのを見たら誰でも注意したくなるだろう。
「あぁ、これで災禍の四柱ディアルキャルが生きていることが証明されましたね……他の二柱の生存も濃くなってきたァ!」
アイユイユは高揚して踊り回った。色つきサングラスを天高く投げては掴んでを繰り返している。
両親を魔族に殺され、その復讐心で魔族研究に勤しんでいる者の言動とは思えない。
「ディアルキャル?"魔王様の執達吏"のことか?懐かしい響きだな?」シェフドルは人差し指を回して愉快に言った。「あぁ、貴方たちの言葉で言う"執達吏"ね?」
"執達吏"──ディアルキャルの意味は執達吏なのか。名前から推測するに、魔族に通ずる法か何かを執行する役割を果たしていたようだ。
「ほう!ディアルキャルは執達吏なのですかァ!!長年解明されなかった謎が今……!今……!!」
アイユイユは嬉し涙を流していた。こんな所で感動するなんて狂っている。リアトもグレアムも唖然──辟易として何も話さない。もちろん私もだ。
「でも執達吏なんて比類なき存在に、僕がなれる訳ないだろ?そういう勘違いやめてくれる?」
「え?」踊り狂っていたアイユイユの舞が止まった。「いやいや、貴方は400年前に猛威を振るい、災禍の四柱と呼ばれた執達吏の一柱、指揮者シェフドルでしょう!?!?」
アイユイユはシュラクペと戦った時にさえ見せなかった狼狽をこの下らない会話で表している。
「違う。僕は執達吏じゃない。この僕は今の魔王様の側近だぞ?」
シェフドルの発言後、アイユイユは口をあんぐりと開けたまま動かなかった。
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