45.束の間
エラファ稠林を抜けた後、ニルトア湖畔に無事到着して休息をとった。まだ夜が更けていないというのに魔王領の空は暗く不気味だった。透徹な湖の水面に、赤く邪悪な空が映る。
あれから数時間は経ったが、現在もまだ本物の魔王城は現れない。前回はクリファイドが一方的に蹂躙していたから瞬殺かと思っていた。まさか苦戦しているのだろうか。やはり、ホワステルの白魔法による支援は重要なのかもしれない。
ニルトア湖畔は、元は滅亡した王国の領地だった。さらに元を辿れば、400年前の魔王の時代に魚人魔族が生息していた湖だ。そして、今は魔王領に入っている。
そのため、ニルトア湖畔の水は不思議な魔力が宿るとされている。今現在も甚大な魔力を放っていて、魔力の圧迫を感じる。かつては観光地としても有名で、母上や帝国の貴婦人たちの間では、若返りの能力を持った聖水と、根も葉もない噂をしていた。
湖畔の近くの茂みに身を潜めていれば暫くは気付かれないだろう。どのくらいの期間、身を潜めるかは決めていない。
今までの無慈悲な殺しから、彼らを詮索した私を慈愛なく殺すことは自明だ。ひとまずは、安全確保と様子見をしよう。
伝説のパーティーの目的は分からないが、彼らは何らかの理由で"魔王を討伐できない"。そのために私たちに討伐させようとしている。
つまり、伝説のパーティーが生存している時点で魔王を討伐してはいけない。伝説のパーティーを打破する作戦を考えなければ──殺し合いをするのは趣味ではないが、私たちの幸せを勝ち取るためには仕方の無いことだ。
愛しい仲間たちを見遣った。脳内で幸せな未来の妄想が展開される。
私はリアトが喜怒哀楽する日常をずっと見ていたい。グレアムとくだらない話をしながらお出掛けしたい。シェリロルのいい匂いの髪の毛をいつまでも吸っていたいし、バカやっていたい。エリィのことは沢山いじってやって、一緒に遊んで笑わせたい。彼の八重歯は本当に愛らしい。
そう。私は、仲間のために──どんなことだってやる。
「イヴィ、休んでね」
虚空を見つめていた私の目線を、グレアムの翡翠の瞳が独占した。いつもそうだ。グレアムはいつも私の根底に宿した邪悪を見透かしている。
「休んでるよ」
グレアムの言う通り、今はひとまず束の間の安らぎを堪能しよう。
「んー」と伸びをして寛いだ。すると、誰かの鼻歌がかすかに聞こえた。アイユイユかと思い視線を遣るが、彼も不思議そうな顔をしている。
耳をすますと湖畔の方から微かに水飛沫の音も聞こえる。恐らく魔族だろうし、殺しておこう。少し乱れたツインテールの結び目を締め直した。
「私見てくる」
そう言い残して杖に乗り、音の発生源に向かった。そこまで距離はないが、魔族という忌々しい種族を侮ってはならない。瞬時に殺さなければ足をすくわれる。
意気揚々と向かったものの、上空から見えた魔族の正体に驚愕で固まった。
「妾に何用だ、人族」
海水のようなグラデーションの髪をした、尊大な魚人魔族──"不可知のユーペス"が、ニルトア湖畔で水を浴びていた。いや、地上に上がっているのを見ると、浴び終えたのだろうか。
彼女を見た刹那、マルシュたちの策略かと勘ぐった。でも、今の魔王の側近である彼女は有り得ない。
「休息を邪魔しないのであれば手は出さぬ。だが、その気ならば妾も立ち向かおう」
彼女は私を見向きもせずに言う。海水さながらの髪には水が染み込んでいた。水分を取るために髪を絞っているようだ。
徐に地上に降り、不可知のユーペスの背後に立った。息を整え、杖を後ろに持った。
魔族は嫌いだ。魔族の放つ言葉は全て虚言と教わった。だが、今のユーペスから敵愾心は感じられない。私だって無抵抗の魔族を慈愛なく殺す人間じゃない。
「あんた外出ることあるんだ。魔王城の番人がエラファ稠林に引きこもってるみたいに、ダンジョンに引きこもってるのかと思った」
「妾は魔王様の命令がない限り自由に動いている。あの鹿っ娘と同じにするでない」
魔王様の命令がない限り──?
そういえば二度目の旅でもユーペスは"魔王様の命"と言って侵入者の私たちを襲った。偽りの力を支える魔道具があれば、守衛を配置するのは妥当だろう。
「しかし奇遇だが妾はこれからダンジョンに赴き、暫し滞在する」
「これから?」
これから魔王討伐に赴くはずだった私たちと交差する。恐らく、私たちの侵入に勘づいた魔王が防衛処置をとったのだろう。
「まさに魔王様に指示されたからな。魔王様は何か──」
「ユーペス。貴方は相変わらず人族が好きなんだね〜?」
悍ましさを含んだ声が上空から聞こえる。違う、悍ましくなんてない。脳がこの声を心地よい声だと錯覚している。そんな不可思議な感情が私を襲った。
私は確実に闇夜に浮く魔族に恐怖心を持っている。それなのに、全く恐怖心を感じない。冷や汗も出ないし、生唾を飲む必要も無い。ただ単調に宙に浮く魔族を眺めた。
この光景は八斬りのシュラクペを彷彿とさせる。翼などの飛行媒体がある訳ではない。魔法で飛んでいるようだ。
嫌な予感がした。この場から早く離れた方がいい気がする。
「これまたすぐに色々言おうとするんだから。お人好しは困るよ〜?」
闇夜に浮いた魔族が消え、次の瞬間にはユーペスの肩に手を置いていた。最初からここに居たような気もする。
距離が近づき、容姿が明瞭に見えた。彼はシルクハットを被った、紳士然とした悪魔魔族だった。シルクハットから悪魔の角を突き出し、ターコイズブルーで癖のある髪をしている。青と灰色のオッドアイの渦巻く瞳を注視していると、吸い込まれてしまいそうだ。
「貴方の師匠もそういえば人族だったってな〜?」
悪魔魔族はユーペスの湿った髪を撫で、けたけたと笑う。
「失せぬか、"シェフドル"」
『火炎放射』
シェフドルの名を聞いた途端、迷いなく魔法を発した。
シェフドル──災禍の四柱ディアルキャルの"指揮者シェフドル"だ。
アイユイユのバカ。
他の災禍も生存しているではないか。無警戒だった訳ではないが、心の奥底では死者であって欲しいと願っていた。
それにしても、もうバレたのか?いや、あまりにも早すぎる。
アイユイユに聞いた情報によると、指揮者シェフドルは精神魔法を使う悪魔魔族だ。1番対峙したくない面倒な魔法を使う魔道士。本当は今すぐ逃げるべきだというのに、彼に対する不可解な感情がこびりついて離れられない。
頑固な関心が逸れない。悍ましくも甘美で、彼の容姿や声が全て脳に焼き付けられる。この感情は何なんだ。
「何処に撃ってるの?帝国魔道士〜?」
命中するはずの速度で射出したが、そこにシェフドルは居なかった。声に釣られると、彼は私の真後ろで悠然と指揮棒を持っていた。
『火炎放射』
何度も攻撃魔法を炸裂するが、一向に当たらない。さながらネベルブリーヤの霧魔法だ。
混乱の中、不可知のユーペスが消えていることに気がついた。まずはユーペスが応戦してこなかったことへの安堵が大きい。
今はそんな些末なことを考えている暇はない。戦わなければ──
指揮者シェフドルに視線を戻すと、再び不可解な感情に襲われた。気持ちが悪い。心地がいい──?分からない。なんだこれは。
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