03 喫茶観覧車で焦がされました
【直観・観覧車で揺れながらアッサムとパフェのオーダーです!】
◆雪原深優<ゆきはら・みゆ>は、昨年大学デビューに失敗していた。
新しく同好会に入ったら、いいことがあるかも知れないと思い、二年生だけれども入ってみる。
知り合った近江太陽<おうみ・たいよう>に優しくされる度に、ある直観が降りて来た。
◆登場人物
雪原深優<ゆきはら・みゆ>:女性。大学二年生。
近江太陽<おうみ・たいよう>:男性。大学三年生。
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「もう、大学二年生の春を迎えたのね」
雪原深優は、桜満開のアーチを潜りながら、花びらに頬を打たれた。
「今日は花散らしとならないかしら」
腰まである髪を高く結い上げる。
仕上げは、猫を三匹細工した金色のバレッタだ。
「気分転換にストレートにしたの。誰か気が付いてくれないかな」
何となく、未だソバージュのくりくりした感じがある気がしてならない。
ふと手を翳すと、桜が止まったことが分かった。
「このアーチを潜って、入学式にお母さんと来たのよね」
東大学は、東北にある。
引っ越しの際、母に一人暮らしへの手を借りていた。
間もなく、家のこともあるからと、夜行バスで神奈川へ帰って行った。
それから、五月には、持病の喘息が悪化し、さいとう医院へ発作を起こす度に駆け込んむようになる。
けれども、点滴を打つばかりで、快癒とは行かない。
後藤教授から、厳しい言葉があった。
「キミ、もう来なくていいよ」
ショックは隠せないだろう。
「私、本当に具合が悪かったのにね」
それでも欠席はしないで、がんばって勉強した。
特待生となれたので、理学部を退学にはなっていない。
「部活でもしようかな? 昨年は、管弦楽部で腐った人偏関係を見たから嫌がっていたけれども」
桜の広場で、各部活や同好会の勧誘を行っていた。
とても気になるのがあったのだ。
それは、コミック研究会。
「漫画、好きなのよね」
机に男性の学生が詰めていたが、ここで声を掛ける勇気がない。
それでも、後ろ髪を引かれた。
翌日の午後に、心理学の休講が掲示板で確認された。
「うーん。張り紙があった筈」
桜のアーチに部活用掲示板があった。
昨日よりも葉が目立って来た桜を愛でながら、ポスターを探す。
「あらら。コミック研究会は、『廃部にしないで! そこのあなた、お願いします!』だって。楽しい所かも知れないわね」
花びらを踏み行く。
涼しいアーチの中は、根雪の残る学校によく似合うと思った。
アーチを抜けて、左の駐輪場へ行くと、そこが同好会用の建物だ。
二階へ上がり、ノックをする。
「あれ? 聞こえなかったかな?」
再びノックをすると、内側からノックがあって、引き戸が開いた。
「はい。コミック研究会です」
「う……。雪原深優です」
「中へどうぞ。俺しかいないけれども」
本気でこの方しか居ないのかな。
長椅子に腰掛けることを勧められたので、ガタガタと座る。
大学ノートを渡された。
「入会希望だったら、ここに名前を書いてくれる?」
「はい」
氏名にふりがなを丁寧に書く。
「へえ、ゆきはらみゆさんって、いいお名前だね。俺は、近江太陽。四年生だよ」
何だか静まり返ってしまう方向かな。
「雪原さん」
「はい?」
何故か、暫く呼ばれていない名前の気がした。
とても痒い感じで、もしかしたら火照っていないかと心配する。
「今度親睦会があるんだ。あの喫茶観覧車って知っている? そこへ行くんだけれども。どうかな」
「はい。お願いいたします」
周りの本棚に沢山のコミックスがあるのを知り、いい本がないか目で探していた。
「了解。コーヒー淹れるね。今度自分のマグカップで割れないものを持って来てくれるかな」
「はい。すみません」
ゲスト用のだろう。
青いマグカップにフリーズドライコーヒーを入れてくれた。
私から注文を聞きながらだったので、全てお願いしますにしたら、ほぼカフェオレのお砂糖マックスになった。
「それから、好きな漫画家の先生や作品は何?」
直ぐに、お気遣いの質問だと分かった。
私が、頷いてばかりだったから。
「私、マヤ先生が好きなんですよ。二十四年組のデビュー当時から全て集めて読んでいます」
声のトーンを上げてみた。
明るくしないと。
「俺もデイジーデイジーの雑誌から拝読していたよ。色々と読んでいるんだね。ここの漫画は好きなだけ読んで」
「楽しみです」
それが、私の精一杯の答えだった。
自分でそう思うのならば、恥ずかしい応答をしてはいないと思いたい。
「ごちそうさまでした。四時限目がありますので、失礼いたします」
マグカップは廊下の水道で洗ってお返しした。
大丈夫。
何かミスったりしていないと思う。
緊張して、その日は法学の授業も身に入らなかった。
闘争の倫理だから、そんなに難しくないし、ノートは無意識で取れたから大丈夫。
帰りも桜のアーチを行く。
家は少し遠めの物件で、徒歩二十分の坂道だが、程よい運動だと思っている。
「そうか、親睦会って、新歓のことかな。私、一年生に見えていたりして。正直に伝えるには、挫折した昨年のことは内緒にしたい黒歴史なのよね」
◇◇◇
折角なので、お洒落をした。
春らしい桜色のジャケットを羽織る。
スカートはリバティ柄だ。
「もう雪融けの季節だから、春色コーデでいいでしょう」
十時待ち合わせの三十分前に二ツ目駅に着いた。
「誰も待たせていないわよね」
「こんにちは」
突然、背後から声を掛けられた。
「あちゃ! 新手のナンパかと思いましたよ」
ブックカバーを閉じて、近江先輩が笑っていた。
「三十分もすれば、皆、丁度いい時間に現れるよ」
「ナンパなどと言ってすみません」
私は、きちっとお辞儀をした。
「新手なんでしょう。だったら、いいよ」
「はい。すみません」
何故、新手ならいいのか。
ユニークな方だ。
その後、近江先輩は顔に本を近付けて読んでいる風だった。
しかし、一頁もめくられていない。
「皆、集まったみたいだから。行こうぜ」
男性が七名なのに対して、女性が三名か。
挨拶ばかりして、喫茶観覧車への道を行く。
「すっごい! 思ったよりも危なそうな年式を感じるのですが」
「意外と大丈夫なんだよ。さ、くじ引きで、二名ずつ乗ろう」
糸の端に色が塗ってあった。
全部で五色になるらしい。
何と、女子が一組と男子三組ができた。
すると、男女混合は一組となる。
「雪原さん、俺と一緒になったね」
「や、いやいやいやいや」
私は、複雑な心境を表せなかった。
「嫌なの? 引き直す?」
心配されてしまったじゃない。
「いえ、くじは引き直しても最初の結果が正しいと聞きましたし」
「そんなものなのか。直観って大切なのかもな」
私は、ぴりっと刺さった。
――チョッカン。
「じゃあ、乗る前に何を頼むか決めようか。喫茶しながら乗る観覧車だからね」
「一周する間に何か飲むのですか?」
本気で喫茶するの?
「そうだよ」
「アッサムにします」
取り敢えず、私の定番だ。
「俺は、ブラウニーパフェね」
さくっとメニューを閉じた。
常連さんか!
「パフェ? 一周する間ですよ」
「飲み物だよ、パフェって。ここのブラウニーは美味しいし」
ガーン、分からない。
近江先輩がオーダーをしてお支払いもしてくれた。
しまった!
初の奢られましたじゃないですか。
「はい。乗ったね」
近江先輩がトレーを受け取ると、喫茶観覧車はゆっくりと動き出した。
「はい、アッサム。本当は紅茶が好きなんだね」
「そんなことありませんよ。色々と好きです」
パフェの上にあったブラウニーとバナナがなくなっている。
本気で飲み物なのかも知れない。
「近江先輩、寒いですか?」
「流石に、バニラがよく冷えていて。アッサムはあたたかそうだね」
観覧車が一番高い所へ来ていた。
太陽に一番近く焦がれそうな所へ。
下を見れば、葉桜の元に雪も残っている。
不思議な世界にどきどきする。
「私、一口も飲んでいなかったわ。いただきます」
ふう。
少しぬるめのアッサムが喉を通るとき、こくりと落ちて行った。
ああ、癒される。
それと同時に思い出される。
国立が受かったからと、遠くてもこの大学に決めた。
両親やミーニャとも別れ、一人暮らしを始めて、思うことが沢山ある。
皆、どうしているのかな。
「ゼロゼロ、ヒュー。ゼロゼロ」
近江先輩は、空にした器をトレーに置いた。
そして、青い顔をして私を覗き込む。
「具合が悪いの?」
「ゼロゼロ、ハア。ぜ、喘息で……」
近江先輩が黙って背中をさすってくれた。
「ヒュー、ヒュー」
「薬は? いつもはどうしているの?」
治らない病院の話をしても仕方がない。
黙って首を横に振った。
「一周したら、降りよう。俺のうちの近くにさいとう医院があるから、タクシーで行こう」
丁度、太陽が眩しい位に観覧車の中に差し込んで来た。
近江先輩のファーストネームを思い起させる。
太陽はあたたかいものだと感じ入っていた。
――チョッカン。
焦がれてもいいのですか?
「そこは、喘息専門じゃないの……。ゼロゼロ」
「分かった。東大学附属病院の方へ行こう」
◇◇◇
「予約のない方は待つらしいけれども、この際、しっかり診て貰おう。同好会の皆はもう解散したから大丈夫だよ」
「……さっきから随分と待つわ。発作も自然とよくなって来たみたい」
そんなとき、やっと、診察室に呼ばれた。
高橋医師に説明を受け、レントゲンや呼吸に関する幾つかの検査をした後、再び診察室に入った。
「そうですね。雪原深優さんの場合は、ストレスで再び喘息発作が出るようになったと思われます。予防に努めましょう。この吸入器と飲み薬で、安定した生活が送れるようになりますよ」
新しく見る薬は効果がありそうだ。
「予約を取って、継続的に診察をしましょう。血液検査の結果はそのときにご説明いたします」
私は、すっかり呼吸が楽になっていた。
会計からお薬まで一緒にして貰うとは。
そのまま、病院前からタクシーで自宅まで送ってくれた。
家族のいない寂しさが、離れて行く……。
「ここが、雪原さんのアパートでいいんだね」
近江先輩が真面目な顔をする。
「具合が悪かったら、俺の所に電話して欲しい。折り返しかけ直すから」
アパートにも桜が綺麗に散っていた。
私の長いポニーテールを風が揺する。
「無理しないで。太陽みたいにあたたかい方……」
彼は首を横に振っていた。
多分、出会ったときからだったのだろうか。
――直観、私は恋を確信した。
【03 喫茶観覧車で焦がされました】