02 雪薔薇のモノよ吹雪け
【走る・皇女アナスタシアの恐怖とは】
◆この十三月<じゅうさんがつ>を過ぎると、皇女アナスタシアは、嫁がなくてはならない。
そんなある夜更けのこと。
風が強く窓から吹いて来た。
◆登場人物
アナスタシア:十三歳。皇女。
ノンナ:侍女。
雪薔薇<ゆきばら>のモノ:謎。
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夜更けに宮殿のロウソクがふっと消える。
雪のせいだろう。
私は、まどろみの中で、ノンナが窓を閉めてくれると信じていた。
十三歳になったらお嫁に行かなくてはならない。
それは氷が解けたら直ぐのことだ。
それまでは、ノンナに甘えよう。
「きゃああ……!」
ベッドの横からずるりと這い上がるモノがある。
「皇女、アナスタシアと知ってのことか!」
私の上に男がのしかかって来たのだろう。
よくぞこの迷宮を抜けて来たな。
「頬でも引っ叩いてやる。去るのならば、今の内だが」
しかし、身動きが取れない。
そこへ風が香りを運んだ。
雪薔薇だろう。
十三月にならないと咲かない花だ。
ノンナが薔薇園から優れて美しいものをよく飾ったものだ。
「雪薔薇のモノよ、皇室が黙ってはいないぞ」
その刹那、首筋に二つの棘が刺さった。
「ああ……!」
痛い。
「静かにおし、アナスタシア」
囁かれながら、ベッドへ強く沈められた。
首の棘からは、冷たいものが流れる。
「これは、血――」
棘が深く刺さって行く。
恐ろしい。
こんな感情になったのは初めてだ。
「雪薔薇のモノよ、正体を現すがいい」
「ククク……。ファファファファ! いい血だ」
危険なモノだ。
もしかしたら、殺められるかも知れない。
逃げ出さなくては。
「いいかい、アナスタシア」
雪薔薇のモノの棘が抜け、私の頬を両手が包んだ。
気配が近づいて来る。
「ん……」
私は、血生臭い口づけを強要された。
息が苦しい。
「ふ、ふは。く、苦しい」
「クククク……」
雪薔薇のモノが陶酔し始めたとき、頬を締め付けていた手が緩んだ。
今だ。
私は、思いっ切り突き飛ばした。
ベッドから靴も履かずに逃げ出す。
「誰かある!」
「アナスタシア、助けなど来ないと思え」
宮殿の床は冷たかった。
そんなことは構わずに走り出す。
後ろなど見もしなかった。
「来るでない、来るでない!」
必死で叫び、追い払いつつ、やみくもに走る。
「雪薔薇のモノ、去るがいい」
ノンナの活けた雪薔薇の香りがする。
これは、窓が近くにある。
あの花瓶を投げ付けてやれ。
「これは、運命なのだ。アナスタシアよ」
「運命? 戯言には付き合えない」
右足を出し、左足を出す。
走り逃げるにはそれだけのことをすればいい筈だった。
「あ、痛い」
瞬間、転んでしまった。
「しまった! 髪を踏まれた」
「イリイイイイ」
背後から迫って来る。
私を捉えににじり寄る。
「来るでない、バケモノめ!」
「ムダだ――」
渋い声が響いた。
「アナスタシアは、不死の体とならなければならない」
窓辺にガタリと肩が当たる。
夜目にもよく映った。
花瓶が、ゆっくりと落ちて来る。
私の手に奇跡を起こして!
手に破片が刺さりながらも雪薔薇を掴めた。
「雪薔薇の花よ、バケモノを浄化させて!」
花は私の血まみれになりながら弧を描く。
すると、髪を踏んでいた辺りに投げ付けられた。
「ギャアア!」
悲鳴が止まった時を動かした。
ジュワアアア――!
「黒い煙が。やはり危ない」
そして、ずるりと抜け出すことに成功した。
右足を出して踏ん張る。
次に左足で蹴り出すんだ。
「走れ――」
全速力で宮殿を駆けた。
「よし、このことをノンナに話すんだ」
ノンナが居ない。
おかしい。
「このことを話すんだ」
何故?
誰も居ない。
私は、皇女なのに。
「話すんだ!」
十三月はもう終ろうとしている冬のこと。
アナスタシアは嫁ぐこともなく季節は過ぎ行く。
隣国との和平は成り立たず、国は乱れた。
「私はアナスタシア。十三歳にして皇女の席に身を置くもの」
――迷宮をさまよえる雪薔薇のモノとなったことを知る者は居ない。
【02 雪薔薇のモノよ吹雪け 了】