第六話『魔女様(居候)のお騒がせな日常』
エルドラード王国の若き女王代理ルミリア・エル・エルドラードの寝室は、昨夜の刺客騒ぎの後、一時的に尋問室と化していた。もっとも、尋問しているのは伝説の「厄災の魔女」ノア・オブシディアであり、尋問されている哀れな刺客(ノアの影魔法で拘束され、床に転がされている)は、恐怖で完全に戦意を喪失していたが。
「さあ、喋れ。誰に頼まれた? あの脂ぎったタヌキ公爵か? それとも、もっとつまらん奴か?」
ノアは、どこからか持ってきた豪華な肘掛け椅子にふんぞり返り、優雅に紅茶(エリーが淹れたもの)を飲みながら、刺客に冷たい視線を向けていた。その紅い瞳が妖しく輝き、逆らうことなど許さないという無言の圧力を放っている。
「ひ、ひぃぃ! お、お許しを……! わ、私どもは、フォルティス公爵様から、姫様の……その、暗殺を……!」
刺客は恐怖のあまり、あっさりと白状した。しかし、それ以上の情報――例えば、公爵の具体的な計画や、他の協力者の存在――については、知らないのか、あるいは口を割ろうとしなかった。
「ふむ、やはりあのタヌキか。芸のないことだ。……で、他には? 裏で糸を引いている奴はいないのか? 正直に話せば、苦しまずに済むかもしれんぞ?」
ノアが甘く囁くように言うと、刺客の体がビクッと震えた。ノアの指先から、再び黒い影がゆらりと現れる。
「ひぃぃぃ! 本当にこれ以上は何も……! お、お助け……ギャッ!?」
刺客の悲鳴は、影に飲み込まれて途切れた。影が消えた後には、刺客の姿はなく、ただ床に小さな黒い染みが残っているだけだった。(おそらく気絶させてどこかへ転移させたのだろう、とルミリアは信じたかった)
「……つまらんな。所詮は使い捨ての駒か」
ノアは興味を失ったように呟き、再び紅茶をすすった。そのあまりにも容赦なく、そして日常的な後始末の様子に、ルミリアと、そばに控えていた侍女のエリーは、改めてゴクリと喉を鳴らす。
「あ、ありがとうございます、ノア……助かりました……」
ルミリアが恐る恐る礼を言うと、ノアはにやりと笑った。
「礼などいらん。それより菓子だ、菓子。約束だろう、ルミィ? 褒美に極上のチョコレートケーキを用意しろ。三段重ねのやつだ」
「さ、三段重ね!?」
この魔女の要求は、常にこちらの予想の斜め上を行く。
***
刺客騒ぎが一段落すると、ノアは「退屈だ」と宣言し、エリーの制止を振り切って王宮内の探検へと繰り出してしまった。数百年ぶりの(あるいは初めて見る)王宮は、ノアにとって格好の遊び場となったらしい。
「ふむ、この回廊はやけに長いな。よし、魔法で動く歩道でも作ってみるか」
「ノア様! おやめください! 城の構造を変えないでください!」
「ほう、この庭園の花はなかなか見事だな。だが、色が気に食わん。全部黒薔薇にしてやろう」
「ひぃぃ! 庭師さんが泣いてしまいます!」
「なんだ、このキラキラした部屋は? 宝物庫か? どれ、一つくらい貰ってもバチは当たるまい」
「こらー! ノア様! 勝手に入ってはなりません!」
ノアが行く先々で、小さな(時に大きな)騒動が巻き起こる。侍女たちが悲鳴を上げ、衛兵たちが頭を抱え、大臣たちが卒倒しかける。その度に、エリーが血相を変えて追いかけ、「ノア様ー!」と叫ぶのが、ここ数日の王宮の日常風景となりつつあった。
ルミリアは、その報告を聞くたびに、深いため息をつき、こめかみを押さえた。
「もう……ノアのせいで、わたくしの心労が……。宰相への謝罪も、これで何度目かしら……」
しかし、そんな気苦労の一方で、ルミリアはノアの存在に救われている部分も確かに感じていた。ノアが来てから、フォルティス公爵派の貴族たちの嫌がらせは減り、何より、いつ暗殺者に襲われるかという恐怖は格段に和らいだのだ。それに、ノアの子供のように無邪気な(?)笑顔や、自分にだけ見せる(ように見える)甘えた態度に、戸惑いながらも心が温かくなるのを感じずにはいられない。
(わたくし、もしかして……絆されてる……?)
部屋で一人、ノアが厨房から強奪してきた(であろう)高級なクッキーを齧りながら、ルミリアは自分の頬が赤くなっていることに気づき、慌てて首を横に振った。
***
一方のノアもまた、気ままな王宮探検を楽しみながら、人間たちの様子を観察していた。特に、ルミリアと、その「番犬」であるエリーのことは、見ていて飽きなかった。
(ふむ、ルミィは相変わらず泣き虫だが、少しずつ女王代理らしくなってきたではないか。必死に頑張る姿は、実に愛い。……あの番犬も、やかましいが、主への忠誠心だけは本物のようだな。まあ、私への態度が気に食わんが)
数百年の孤独な眠りから覚めたノアにとって、この騒がしく、感情豊かで、脆くて、そして時に強い輝きを見せる人間たちの世界は、退屈しのぎ以上の、何かを与えてくれているのかもしれなかった。
(人間というのは、相変わらず騒々しくて、面倒で、そして……存外面白い生き物だな。特に、私のルミィは格別だ)
ノアは紅い瞳を細め、窓の外を飛ぶ小鳥を眺めた。
***
その日の夜。いつものように、ルミリアの寝室では攻防戦が繰り広げられていた。
「ですから! 姫様のベッドで寝るのはおやめくださいと、何度言ったら分かるのですか、ノア様!」
「うるさいぞ、番犬。ルミィは私の抱き枕だと言っているだろうが。柔らかくて温かくて、実に寝心地が良いのだ」
「抱き枕ではありません! 姫様が迷惑しておいででしょう!」
「そんなことはないな?なあ、ルミィ?」
ノアはベッドの上でルミリアにぎゅっと抱きつきながら、悪戯っぽく笑う。ルミリアは顔を真っ赤にして、「は、離してください!」と抵抗するが、魔女の力には敵わない。
そんなドタバタの最中、ふと、ノアの紅い瞳が鋭く細められ、窓の外――いや、部屋の隅の暗い影――に向けられた。
「……ん?」
ノアの纏う空気が、一瞬で変わる。それまでのふざけた雰囲気は消え、古代の魔女としての、冷たく研ぎ澄まされた気配が辺りを支配した。
「どうしましたか、ノア?」
ルミリアが不安そうに尋ねる。エリーも緊張した面持ちで周囲を見回した。
「……いや」
ノアはすぐにいつもの気だるげな表情に戻った。「気のせいか。……それよりルミィ、早く寝るぞ。明日はもっと美味い菓子を探しに行くからな」
そう言って、再びルミリアに抱きつき、すやすやと寝息を立て始める(ふりをしている?)。
しかし、ルミリアとエリーは感じていた。ノアが感じ取った、一瞬の不穏な気配。それは、気のせいなどではないのかもしれない。この平和に見える王宮の日常の裏側で、依然として暗い影が蠢いていることを、二人は改めて思い知らされたのだった。
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