第四話『魔女の契約と、困惑の侍女』
伝説の「厄災の魔女」ノア・オブシディアが、ほんの戯れのように見せつけた力の片鱗。それは、エルドラード王国の老宰相バルテルミや侍女エリー、そして数名の近衛兵たちの常識と理解を、木っ端微塵に打ち砕くには十分すぎるものだった。
部屋に満ちていた圧倒的な魔力の残滓と、先ほどまで自律して動いていた(!)鎧兜の残骸を前に、彼らはただ呆然と立ち尽くし、震えが止まらない。目の前の、見た目は可憐な少女が、国を滅ぼしかねないほどの力を持つ、本物の魔女であることを認めざるを得なかったのだ。
「ど、どうだ? これで、私が『ただの小娘』ではないと理解できたか、老いぼれ?」
ノアは宙に浮いたまま(いつの間にか降りてきていたが、威圧感は変わらない)、床にへたり込んだままの宰相を見下ろし、満足そうに言った。そして、何事もなかったかのように続ける。
「さて、菓子はまだか? さすがに数百年ぶりの目覚めは腹が減る。美味いものが食いたいぞ」
この状況で、お菓子。そのあまりにもマイペースで常識外れな言動に、宰相はもはや反論する気力も失っていた。
(こ、この方を敵に回せば、王国は……いや、世界が終わるかもしれん……。だが、もし味方にできれば……ルミリア様をお守りする、これ以上ない力となるやもしれん……!)
バルテルミは恐怖と同時に、一縷の望みも感じ始めていた。今のエルドラード王国は、あまりにも脆弱だ。フォルティス公爵をはじめとする野心的な貴族たちが、いつルミリア様の命と王位を奪いに来るかわからない。この魔女の力が、唯一の活路となるかもしれないのだ。
そんな大人たちの深刻な葛藤など、ノアには全く関係ないようだった。彼女の興味は、既に目の前でまだ少し怯えている、愛らしい王女へと移っていた。
「おい、ルミィ」
ノアはすたすたとルミリアに近づくと、そのプラチナブロンドの髪を指でくるくると弄び始めた。
「いつまで呆けている。さっさと私をもてなせと言っているだろう?」
「ひゃっ!?」
突然の接触に、ルミリアの肩が跳ねる。
「な、馴れ馴れしくしないでください!」
「ほう? だが、お前は私のものになったのだろう? ならば、これくらい当然ではないか?」
ノアは楽しそうに言いながら、今度はルミリアの柔らかな頬をぷにぷにと突き始めた。その距離の近さと、紅い瞳で見つめられる妖しい魅力に、ルミリアは顔を真っ赤にして固まってしまう。
「な、何をなさるのですか!」
その時、忠誠心と使命感(そしておそらくは純粋な心配)から、侍女のエリーが恐怖を振り絞って二人の間に割って入った!
「ルミリア様に、そのように気安く触れないでくださいませ!」
エリーは小さな体を盾にするように、ルミリアを庇う。しかし、ノアはそんなエリーを鼻で笑った。
「ん? なんだ、このチビ(ルミリア)の番犬か? 主人を守ろうとは健気だな。だが、邪魔だ」
「ば、番犬ではありません! わたくしはルミリア様にお仕えする侍女です!」
「ほう、侍女か。お前もなかなか愛い顔をしているな。よし、ついでに後で可愛がってやろう」
「結構ですっ!!」
エリーは顔を真っ赤にして反論するが、ノアが少し魔力を滲ませただけで、ひっと悲鳴を上げて後ずさってしまう。魔女の威圧感は、普通の人間には抗いがたいものがあった。
「エリー、危ない!」
ルミリアが心配そうに叫ぶ。このままでは、エリーまで危険な目に遭ってしまうかもしれない。それに、この魔女の要求を無視し続ければ、本当に何をしでかすか分からない。ルミリアは意を決した。
「ノアさん!」
ルミリアはノアに向き直り、震える声ながらも、はっきりと告げた。
「お願いがあります! どうか、わたくしの護衛をお願いできませんでしょうか!? 一ヶ月後の戴冠式まで、わたくしを守っていただけたなら……!」
ルミリアは必死に訴える。
「あなたほどの力があれば、きっと……! も、もちろん、お菓子も! ふかふかの寝床も! わたくしにできる限りの、最高の物をご用意します! ですから……!」
その必死な顔(涙目で訴える姿は、ノアの嗜虐心を大いにくすぐった)を見て、ノアは満足そうに紅い瞳を細めた。
「ほう? 私を雇うと? クク……面白い! やはりお前は面白いな、ルミィ!」
ノアは楽しそうに笑い声を上げた。
「いいだろう、その可愛い顔と必死な涙に免じて、特別に引き受けてやる。この私が、お前の剣となり、盾となってやろう。せいぜい感謝するがいい」
「ほ、本当ですか!?」
ルミリアの顔がぱっと明るくなる。これで、少しは安心できるかもしれない。
「――ただし!」
しかし、ノアは悪戯っぽく笑いながら人差し指を立てた。
「契約条件は一つだけだ。忘れたとは言わせんぞ?」
「な、何でしょうか……?」
ルミリアがごくりと喉を鳴らす。
「私が飽きるまで、お前は私のものだ」
ノアはルミリアの耳元で、吐息がかかるほどの距離で囁いた。
「私の言うことを聞き、私だけを見ろ。そして、私を絶対に退屈させるな。……いいな、私の可愛いルミィ?」
その妖しい響きと、紅い瞳の魔力に、ルミリアは抗うことができなかった。
(そ、そんな無茶苦茶な契約……! わたくしはあなたのものじゃありませんけどぉぉぉ!)
内心で全力で叫びながらも、ルミリアは涙目でこくこくと頷くしかなかった。他に道はないのだ。
「……よろしい」
ノアは満足げに頷き、再びルミリアの頬を指でつついた。「さて、契約成立だ。まずは美味い菓子だな。話はそれからだ」
***
こうして、半ば(いや、完全に)ノアのペースで、古代の厄災魔女が、エルドラード王国の若き女王代理の護衛(という名の、気まぐれな同居人兼保護者?)となることが決定した。
一行は、ようやく地下の「開かずの間」を後にし、王宮の上層階へと戻ることになった。その道中も、ノアは当然のようにルミリアの隣にぴったりとくっつき、離れようとしない。
「おい、ルミィ、お前の部屋はどっちだ? まさか、こんな埃っぽい廊下で寝起きしているわけではあるまいな?」
「わ、わたくしの部屋はあちらですけど……!」
「ふむ、なら私もそこがいい。ベッドは一つで十分だろう」
「ええっ!? だ、だめです! 別々です!」
ルミリアが真っ赤になって抵抗する。
「何を遠慮している。私たちは『契約』した仲だろう?」
「ち、違います! そういう意味の契約では……!」
そんな二人のやり取りを、侍女のエリーが鬼の形相(しかし魔女が怖いので小声)で阻止しようと奮闘する。
「ノア様! ルミリア様からお離れください! 馴れ馴れしいです!」
「ん? ああ、番犬か。お前も来るか? 三人で寝るのも悪くないかもしれんな」
「結構ですと言っているでしょう!」
一方、老宰相バルテルミは、数歩後ろを歩きながら、深いため息をつき、頭痛をこらえるように額を押さえていた。
(……とんでもない方を起こしてしまわれた……。これから、この国は、そしてルミリア様はいったいどうなってしまうのじゃ……?)
波乱に満ちた新しい日常。それは、まだ始まったばかりだった。
この小説はカクヨム様でも展開しています。
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