第二話『厄災魔女のお目覚めと、一方的な宣言』
ピシッ、ピシリ……。
エルドラード王国の城、地下深くの「開かずの間」。王女ルミリア・エル・エルドラードの涙が触れた場所から、黒曜石のような魔女の像に走った亀裂は、不気味な音を立てながらみるみるうちに広がっていく。亀裂の隙間からは、禍々しくも美しい深紅の光が漏れ出し、部屋全体を妖しく照らし始めた。
「ひっ……! な、何……!? 像が……!?」
泣きじゃくっていたルミリアも、目の前の異変に気づき、恐怖で息を呑んだ。像全体がガタガタと震え、まるで内側から何かが生まれ出ようとしているかのようだ。伝説は本当だったのだ! この像には、本当に厄災の魔女が封じ込められていたんだ!
ゴゴゴゴゴ……!!
地響きのような轟音と共に、ついに魔女の像が木っ端微塵に砕け散った! 飛び散る黒い石片の中から、眩いばかりの深紅の光が迸り、ルミリアは思わず腕で顔を覆う。
やがて、光が収まった時、ルミリアが恐る恐る目を開けると、そこには――像があった場所に、一人の少女が立っていた。
歳の頃はルミリアと同じくらいか、少し上だろうか。艶やかな長い黒髪が床まで届き、着ているものは封印の影響か、ぼろぼろの黒い布切れのようだったが、その存在感は異様だった。そして何より印象的なのは、その紅い瞳。まるで上質なルビーのように輝き、吸い込まれそうなほどの深淵を湛えている。絶世の美少女と言ってよかったが、その表情はどこか気だるげで、人間離れした雰囲気を漂わせていた。
「……んん……。……ふぁ……よく寝た……のか? 今は何年だ……?」
少女――数百年ぶりに封印から目覚めた古代の魔女、ノア・オブシディアは、長い眠りから覚めたばかりのように、小さく欠伸をしながら首をこきりと鳴らした。そして、ゆっくりと周囲を見回し、最後に、床に座り込んだまま呆然と自分を見上げているルミリアの姿を捉えた。
その瞬間、ノアの気だるげだった紅い瞳が、カッと見開かれた。
「…………ほう?」
ノアは無言でルミリアに近づくと、その小さな顔を覗き込むように屈んだ。プラチナブロンドの髪、涙に濡れた大きな空色の瞳、恐怖と混乱で真っ赤になった頬。
「……これはまた……極上の逸材を見つけたな」
ノアの唇に、妖艶な笑みが浮かぶ。その紅い瞳が、まるで宝物を見つけたかのように、爛々と輝き出したのだ。
「ひぃぃぃ! ま、魔女……! こ、来ないで……!」
ルミリアは恐怖のあまり、後ずさりしようとするが、腰が抜けて動けない。目の前の少女が、伝説の恐ろしい魔女なのだと本能的に悟った。
「ほうら、怖がるな。取って食ったりはせんよ。……ふむ、なかなかどうして、泣き顔も愛いではないか。もっとよく見せろ」
ノアは楽しそうに言いながら、ルミリアの顎に指をかけようとした。
その、まさにその時だった!
バンッ!!
「開かずの間」の古びた扉が、外から力任せに蹴破られた! なだれ込んできたのは、先ほどルミリアを追ってきた黒装束の暗殺者たちだ!
「見つけたぞ、小娘!」
「像が……!? くそ、何があったか知らんが、邪魔だ、そこの女も一緒に始末しろ!」
暗殺者たちは、砕けた像と見慣れぬ少女の出現に一瞬驚きつつも、すぐに標的であるルミリアへと殺到する!
(もう、だめ……!)
ルミリアはぎゅっと目を瞑った。しかし、予想していた衝撃は訪れなかった。代わりに聞こえてきたのは、心底面倒くさそうな、少女の声だった。
「……やれやれ。ようやく静かに観察できると思ったのに、騒がしい蝿どもめ」
目を開けると、ノアがやれやれと肩をすくめながら、ルミリアの前に立ちはだかっていた。そして、暗殺者たちを一瞥すると、絶対的な自信をもって言い放ったのだ。
「――よし、決めた! この小娘は今日から私のものだ! 私の可愛いルミィに指一本触れさせんぞ!」
「る、ルミィ!? わたくしはあなたのものじゃありません!」
ルミリアは涙目で必死に反論するが、ノアはどこ吹く風だ。
「なんだ貴様は! 死にたいか!」
暗殺者の一人が、ノアに向かって短剣を突き出す!
「……ああ、うるさい」
ノアは、まるで邪魔な虫でも払うかのように、軽く指を振るった。たったそれだけで、暗殺者は「ぐえっ!?」という短い悲鳴と共に、見えない力に壁まで吹き飛ばされ、ぐったりと動かなくなった。
「なっ!?」
「妖術か!?」
他の暗殺者たちが怯む。だが、ノアは欠伸を一つすると、
「……まとめて消えろ」
と呟いた。その瞬間、暗殺者たちの足元から黒い影が無数に伸び上がり、彼らの体を絡め取っていく!
「ぎゃあああっ!」
「な、なんだこれは!?」
「助け――」
悲鳴はすぐに影の中に飲み込まれ、数秒後には、影も、そして暗殺者たちの姿も、跡形もなく消え去っていた。まるで最初から、何もいなかったかのように。
「……ふう。少しは運動になったか。さてと……」
ノアは何事もなかったかのように振り返り、呆然と口を開けているルミリアに向かってにっこりと(しかし、どこか悪魔的に)微笑んだ。
「さあ、ルミィ。まずはその涙を拭け。お前の可愛い顔が台無しだぞ?」
ノアはどこからともなく取り出した純白のハンカチを、ルミリアの目の前に差し出した。
「………………」
ルミリアは、もはや何が何だか分からなかった。目の前で人が消えた。伝説の魔女が復活した。そして、その魔女はなぜか自分を「ルミィ」と呼び、妙に馴れ馴れしい。混乱と恐怖で、言葉も出ない。
「あなたは……いったい……何者、なのですか……?」
かろうじて、それだけを絞り出すのが精一杯だった。
「私か? 私はノア・オブシディア。見ての通り、ちょっとばかり長生きの魔女だ」
ノアは悪びれもなく答える。
「お前の涙で、うっかり数百年ぶりに起こされたんでな。まあ、礼代わりに、しばらくはお前の傍にいてやることにした。せいぜい私を楽しませろよ、可愛いルミィ」
一方的すぎる宣言。そして、その紅い瞳は、面白そうな玩具を見つけた子供のように、キラキラと輝いていた。
ちょうどその時、地下へと続く階段から、複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。異変を聞きつけて駆けつけてきた、老宰相や、そして無事だったらしい侍女のエリーたちの声も聞こえる。
「ルミリア様! ご無事ですか!?」
彼らは、この「開かずの間」で繰り広げられた惨状と、見慣れぬ黒髪の少女、そして未だ混乱のさなかにいるルミリアの姿を見て、一体何事かと絶句することになるだろう。
伝説の厄災魔女の復活。それは、若き女王代理ルミリアにとって、救いとなるのか、それとも更なる波乱の幕開けとなるのか――。
今はまだ、誰にも分からない。
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