「コクリコ荘ものがたり」(From up on Poppy-house):陽奈×智流
#記念日にショートショートをNo.72『コクリコ荘ものがたり6』(From up on Poppy-house6)
2024/12/25(水)クリスマス 公開
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「コクリコ荘ものがたり」シリーズ
あれから、僕と遠坂の間には特に何も無く、合唱コンクールという一大イベントが終わったことで、進展など何も起こすことも出来ずに毎日が過ぎて行っていた。秋には文化祭という一大イベントがあったのだが、遠坂に近付こうとすると、何となく遠坂が僕を避けているような、そんな気がした。
遠坂が倒れた日の夜、電話で言ってしまったのが間違いだったのだろうか。
合唱コンクールの帰り、〝陽奈〟と呼んでしまったのが過ちだったのだろうか。
そしてその日の夜、瑛太に嫉妬して、自分を抑え切れずに抱き寄せてしまったのが、いけなかったのだろうか。
センスがあり何でも上手く熟せる瑛太とは違い、自分は丁寧に努力しないと何も成し得ない性分だ。もし遠坂が瑛太のような人間が好きだったなら、自分は土俵にすら立つことが出来ない。勝負を挑むことすら叶わない。それだけは、嫌だった。
季節が移り変わったある日の放課後。今日はクリスマスということもあり、クラスはその話題で持ちきりだった。今日は何が何でも遠坂と話がしたくて、終業式後、成績優秀者用の奨学金の書類を職員室まで受け取りに行っていた遠坂を、教室でぼーっと窓の外を眺めて待つ。教室には男子生徒が数人残っていて、クリスマスデートに誰を誘いたいかというような話で盛り上がっていた。
「うちのクラスだと、一番はやっぱり遠坂さんだよな。」
「かわいいし、頭も良いし、頑張り屋だし。」
「林が木更津と話しているところ聞いちゃったんだけど、遠坂、料理も洗濯も掃除も、家のこと全部やってるらしいぜ。」
「偉っ。俺、遠坂にお弁当作ってもらいたいわ。」
「いいな、それ。愛妻弁当だ。」
「でも食べられるのは吉田だけだろうな。」
「えっ?」
突然出て来た自分の名前に驚く。思わず声を上げてしまった僕に、男子生徒の一人が聞いた。
「なあ、吉田。お前、遠坂のこと好きなんだろ?」
「えっ?」
「遠坂が怪我した時、真っ先に駆け寄ってたし、この間の合唱コンクールでも抱き合ってたし。」
「な、なわけないだろ!別にそんなんじゃ……」
大切に仕舞っていた宝物を外から他人に見られてしまったような気がして、ムキになって否定する。
「おい、吉田……」
男子生徒の視線を追って振り返る。教室の入り口のところに、目に涙を浮かべた遠坂が立っていた。
「遠坂……」
遠坂がくるりと背を向けて走り去る。「ふざけんなよ!」後ろにいる男子生徒を睨み付ける。彼らのせいじゃないのに、何か大切に仕舞っていたものを雑に扱われた気がして、無性に腹が立った。
「遠坂っ!」
教室を飛び出す。教室の隣りには階段。上に行ったか、下に行ったか。一か八かで階段を駆け降りる。
少しぼーっとしたいなと思い屋上へと続く階段を上っていると、上の方から必死に抑え込んだような泣き声が、かすかに聞こえた気がした。その声がいつも一緒にいる親友のものに聞こえ、足音を抑えて、一段一段、階段をゆっくりと上って行く。4階の吹奏楽部の部室から聴こえる重低音よりも遥かに小さいのに、その声は何故か心臓に強く響いて聴こえた。
5階よりさらに上、屋上へと続く踊り場で、陽奈が、膝を抱えてうずくまっていた。
声を掛けるべきか、と階段の陰に身を潜めていると、後ろからバタバタと足音がして、焦りを顔一面に貼り付けた吉田くんが階段を駆け上って来た。
「はや……」
私の名前を呼び掛けた吉田くんに、唇の前に人差し指を添えて示す。
「陽奈でしょ?そこにいるよ。」
小声で話し、階段の陰から顔を覗かせる。私と同じように顔を覗かせた吉田くんの目が、泳いだ。
「何があったか分からないけどさ、吉田くんが陽奈にひどいことしたとは思えないし、勘違いとかすれ違いが原因じゃないのかな。」
〝絶対大丈夫だからさ、いい加減素直になりなよ。〟
階段を降りて行く林さんの背中を見送り、遠坂に視線を戻す。ふーっ、と息を吐き、心を落ち着かせて、遠坂に声を掛ける。
「遠坂。」
そう声を掛けると、遠坂が小さく肩を震わせた。もう一度名前を呼ぶ。しかし、遠坂は何も答えない。返って来ない反応に、一歩足を踏み出す。と、靴と床が擦れるわずかな音に、遠坂が叫んだ。
「来ないで!」
「…遠坂。」
「…吉田くんにだけは、知られたくないの。」
かすかに見えた遠坂の瞳が、濡れていた。
「…遠坂。」
もう一度、遠坂の名前を呼ぶ。
「…遠坂。」
もう一度、一歩足を踏み出す。遠坂の方に、歩を進める。
「だめっ……!」
足音に、遠坂が立ち上がり、屋上の扉を開けて外に飛び出した。慌てて扉に駆け寄る。扉は鍵が掛けられていた。ガチャガチャとドアノブを揺する。
「遠坂!」
「遠坂!開けてくれ!」
ガチャガチャとドアノブを揺する。と、ドアノブを揺する音に、種がそよ風に揺られるほどの小さい音が、混ざった気がした。それは大きい音でも高い音でもないのに、確かに耳に届いた。➖まるで、音の隙間に、ピタリとはまるように。
「➖吉田くんに、嫌われたくない。」
聞こえて来た遠坂の声にドアノブを揺するのをやめ、ドアノブから手を離し、ドアから一歩離れて立つ。
「こんな気持ち知られたら、…きっと嫌われちゃう。」
「こんな…欲望塗れの気持ちなんて。」
ドア越しの遠坂の声に、思わずドアノブに飛び付く。
「嫌わない!」
「絶対嫌いになんかならないよ!!」
「遠坂の素直な気持ち、もっと知りたい。」
「僕にだけ、聞かせてほしい。」
「遠坂のこと、全部受け留めるから。」
「➖たとえ遠坂が僕のことを嫌いだとしても。」
「そんなことない!!」
大きな遠坂の声が、ドアを割った。直後、息を呑むような遠坂のか細い息が、割れ目から漏れる。
「➖僕、遠坂に言いたいことがあるんだ。」
「だから、ドアを開けてほしい。」
「➖いま、すごく、遠坂に逢いたい。」
数拍という長い時間の後、カチャッ、と鍵穴の隙間に爽風が吹き込むような、音がした。
ひと呼吸置いて、ドアノブを捻る。
ドアを開けて屋上に出ると、遠坂が顔を腕にうずめて壁に背を預けるようにして身体を丸めていた。
「➖遠坂。」
まるで赤子の自分を隠すように身体を丸めて小さくなっている遠坂に声を掛ける。
「遠坂。」
もう一度名前を呼び、その肩にそっと手を置く。触れた手に、遠坂の肩が微動する。
「➖いま、僕は遠坂がどんな気持ちで、何に怯えているのか、はっきりとは分からない。」
「でもここ数か月、遠坂の家族以外で多分一番近くで遠坂を見て来て、色んな遠坂を知って、はっきりと分かったことがあるんだ。」
彼女は何も言わない。
「遠坂がバスの中でうたた寝をしているのを見た時、頑張り屋さんだな、と思った。」
「遠坂が泣いているのを見た時、頑張りすぎだと、もっとまわりに頼ってほしいと、思った。」
「遠坂がピアノの椅子から落ちた時、ものすごく怖かった。」
「➖僕のせいだと思ったし、咄嗟に助けられなくて悔しかった。自分じゃ遠坂とは不釣り合いだと思った。」
「➖でも遠坂の寝顔を見て、もっとそばにいたいと思った。」
「遠坂に引き留められて、めちゃくちゃ嬉しかったし、➖守りたいと思った。」
「おはようもおやすみも、ありがとうもごめんねも、楽しいことも悲しいことも、全部遠坂と共有したい。」
ただ息を吸う。
「➖遠坂の一番近くにいたい。」
「遠坂」
遠坂を真正面から見つめる。澄んだ潤んだ瞳と、視線が絡む。その紅らんでいる頬に手を添える。
「好きです。」
「➖遠坂の一番近くに、いさせてください。」
遠坂の瞳から、珠がほどけるように、ひと粒、涙が頬を伝う。
「…わたし」
「うん。」
遠坂の言葉を待つ。
「いつの間にか、いつもそばに吉田くんがいて、すごく安心したの。」
「ずっと、私のことを気にかけてくれて、助けてくれて。」
「嬉しい、と思った。」
遠坂がひとつ小さく息を吸う。
「廊下でぶつかっちゃった時、私、なんか上手く立ち上がれなくて、」
「うん」
「吉田くんが私の手を引いて、引っ張り起こしてくれたでしょう?」
「うん。」
「あの時、吉田くんと距離が近くなって、すごいドキドキしたの。」
「…………」
「吉田くんに見つめられて、➖バレちゃう、って思った。」
「…………」
「ピアノの椅子から落ちた時、吉田くんの目の前で無様な姿を晒して、恥ずかしいと思った。」
「でも、吉田くんにだけは、私の駄目なところは見られたくないのに、もう全部バレてほしい気持ちもあって、」
「遠坂、」
「コンクールの帰り、引き寄せられて、吉田くんの心臓の音が聴こえて、吉田くんをすぐ近くに感じて、ドキドキした。」
「遠坂、」
あまりにも純粋な彼女の言葉に、思わず彼女を抱き締める。自分の心臓の音が、すぐそこまで迫っているのを感じる。彼女の名前を呼ぶ自分の声が、震えていた。遠坂が僕の頭の向こう側で「あ……」と言った。
「遠坂、」
ぎゅっと遠坂の身体を抱き締める。「…よし…だく……」遠坂の声がか細く震える。遠坂の頭を抱く。さくらの匂いがした。
「そのまま、続けて。」
「➖顔、見えてないから。」
「聞きたい。遠坂の、素直な気持ち、全部。」
遠坂が自分の心の内をすべて吐き出そうとするかのように、はあっと息を吐いた。耳たぶを、桃のような丸い風が撫でる。遠坂があまりにも可愛い音色で、続けた。
「…あの…あのね、」
「うん」
「私…私、吉田くんのことを想い浮かべたり、吉田くんがそばにいると、私、もうどうしたらいいのかわからなくなって、」
「うん」
遠坂が自分の心臓に手を当てる。
「ここが、すごい、〝ぎゅっ〟ってなるの。」
「うん」
「ちょっと苦くて、ちょっと痛いんだけど、でもすごく幸せになれるの。」
「だから、もっと、〝ぎゅっ〟ってなりたい。」
「だから、もっと、吉田くんのことを、想い浮かべたい。もっと、吉田くんの、そばにいたい。」
「ねえ、吉田くん」
「それでも、許してくれますか?」
「…もちろん。」
遠坂からゆっくりと身体を離す。頬を真っ赤に上気させた遠坂が、節目がちに僕を見上げた。
「➖僕も、もっと、遠坂のことを想い浮かべて、もっと、遠坂のそばにいても、いいかな?」
「…………うん。」
「嬉しい。」
遠坂がまるで紅色の桜が満開に開くように満面の笑みを浮かべて微笑む。
「ありがとう」
他の誰も触れない2人きりの屋上を、冬のやさしい陽が丸く照らした。
帰り道。
吉田くんと並んで、ゆっくりと道を歩く。吉田くんが押す自転車の車輪が、キーコ,キーコ,とBGMを奏でる。合唱コンクールの日の帰り道と同じ道、同じ時間、同じ距離のはずなのに、あの時も感じた心地の良さに、不思議と確信が持てていた。
「遠坂」
ふと、吉田くんが口を開いた。
「…いや、間違えた。➖陽奈。」
「…えっ?」
耳に届いた言葉に驚いて顔を上げる。視線がぶつかった。吉田くんが微笑んで、もう一度私の名前を呼んだ。
「➖遠坂を名前で呼べることが、すごく嬉しい。」
「➖いまも、きっと、これからも。」
「あっ……」
真っ直ぐな言葉に、身体中がとてつもなくむずがゆくなって、面映さから下を向く。
しばらく、無言の刻が流れる。時折腕が触れ合い、2人の影が繋がって地面に一つの影を映し出している。
「…智流……くん……」
隣りで、自転車のキーコ,キーコ,という音が止まる。それに伴い、''トクン'',''トクン'',''トクン'',''トクン''と自分の身体の内側からほのかに心臓が2度目の産声を上げる。
「……っ!」
〝キス〟を唇に感じたのは、ほぼ同時だった。産声が和太鼓の旋律のように心臓から唇まで駆け上がる。吉田くんの横顔が、月光に照らされ、心臓が一際大きく鼓を打った。
「!おっと、」
ガッシャーンと自転車が倒れる音が聞こえて、力が抜けた自分の身体を吉田くんが支えてくれているのにようやく気が付いた。
「ご…ごめん……!」
慌てて身を起こそうとした私の背中に、吉田くんの両腕が回る。
「…送って行く。」
「…………うん。」
ぎゅっと抱きしめられ、吉田くんの身体、心臓、温もり、かすかに漏れる息遣い、すべてを感じる。
「……好……き……」
粉雪よりも凍えそうなほど小声で呟いた私を、吉田くんが更にぎゅっと抱きしめる。
「僕も」
恋人達の聖夜に、また一つ、愛が実を灯した。
【登場人物】
○遠坂 陽奈(とおさか ひな/Hina Toosaka):高校2年生
●吉田 智流(よしだ さとる/Satoru Yoshida):高校2年生
○林 和泉(はやし いずみ/Izumi Hayashi):高校2年生/陽奈・吉田くんのクラスメイト
*名前だけ登場
●木更津 瑛太(きさらづ えいた/Eita Kisarazu):高校2年生/陽奈・吉田くんのクラスメイト
【バックグラウンドイメージ】
◎宮崎 吾朗 監督/ジブリ『コクリコ坂から』(From Up On Poppy Hill)
【補足】
〜陽奈の1日〜
5:00 起床
-5:15 身支度・ストレッチ
-6:00 勉強
-6:20 洗濯機を回す・お弁当準備おかず
-6:40 犬(梅太郎)の散歩
-7:00 朝食の準備・掃除
-7:05 洗濯物を干す・お弁当にご飯を詰める
-7:10 朝食・ニュース
-7:20 食器洗い(フライパン,釜等)
-7:35 食器洗い(皿,コップ等)・歯磨き等
7:35 登校
7:42-8:15頃 バス通学
8:30-17:00頃 高校
17:00頃 帰宅
-18:00 夕飯の支度
-18:30 夕飯
-18:45 食器洗い・洗濯物の取り込み
19:00 出勤(-19:15)
19:30-22:30 アルバイト
22:45 退勤(-23:00)
-23:15 洗濯物を畳む
-23:45 入浴
24:15頃 就寝
【原案誕生時期】
公開時