一話
私は平安貴族のような豪華な十二単を身に纏い、御殿の廊下を歩いていた。
赤を基調にしたその装束は大きな見た目に反して、羽毛のように軽い。
川を意匠とした白い刺繍が施され光を受けては輝いた。
……また、この夢だ。
私は少し視線を落としてしまう。この夢はいつも、もどかしい終わり方をするから。
それにしても御殿の風景はいつ見ても圧倒される。
庭には滝が流れこみ、透き通る池を作り出していた。
紅白の錦鯉が優雅に池を泳いでいるのだが、あまりに池の透明度が高いせいか錦鯉が宙を浮いているように錯覚してしまう。
視界の先にはリンゴや桃の生る木々が立ち並び、大根の植わっている畑すら広がっていた。この空間だけで生活することすらできてしまう、そんな気さえした。
一方で、御殿の足元は畳が敷かれ、柱や梁は紅に染められた木材が余すことなく使われている。
清流の流れる風流な水音、ところどころで焚かれる香は煙を立ち上らせ品のある甘い匂いを香らせた。
視界と聴覚と嗅覚の全てを満足させる完璧な御殿と言っても差し支えない。
そんな御殿を私は無意識に歩いてゆく。
すると、いつも通り黒い束帯を着た一人の男性が背を向けて座っていた。
黒く長い長髪が特徴的で、背中まで髪は垂れている。女の私よりも長く美しいような気さえする。
背格好は男性としては小柄だが、年齢は十五歳の私よりも一回り上の印象だった。
夢の中の私は、無性に背を向けた男性に声をかけたくて駆け寄ろうと試みる。
しかし、いくら歩を進めても男性の側に行くことができない。
走っても、近づけない。
「ーーーー」
名前を呼んでいるはずなのに、自分の叫んでいる四音の名前がわからない。
夢ならではの不思議な現象にいつも起きてから疑問に頭をひねる。
だが、名前を叫ぶと背を向けている男性はこちらを振り向こうとする。
頭の動きに従って長い黒髪が翻る。
そして、顔が見えそうになった瞬間……。
目を覚ましてしまう。
夢の中の御殿には遠く及ばない江戸の町の庶民的な木造建築の天井が視界に入ってきて思わず落胆してしまう。
(またか……)
平安貴族のような優雅な御殿への憧れというよりは、男性の顔を見ることができず目を覚ましてしまうことが、もどかしいというのだろうか。
今、特に好いている人がいるわけではないのに何故、恋する乙女のような夢を見るのか、さっぱり思い当たらなかった。
だが不思議なことに幼少の頃から度々、私は同じ夢を見続けてきた。
(私が他人を好きになるようなことなんてあるのだろうか……)
そんな風に思ってしまう程度には自分の殻に籠っているし、出るつもりもない。
私が殻を出て外の世界に出ていくならば、理由はひとつしかない。
夢の秘密を明らかにする道が現れた、その時だけだ。
しかし夢の途中で目を覚ますと、たまらなく体を起こすのが重い。
そもそも、私はあの先の夢を見る日が来るのだろうか。
何度も同じ夢を見ることに何か意味があると私は勝手に思っている。この謎を解明する機会があるのなら、大抵のことは投げ出せてしまうだろう。
それほどまでに私にとっては特別な夢だった。
しかし、覚醒直後のぼやぼやとした意識をよそに、周囲からは忙しそうに足音がバタバタと聞こえてくる。
今日、我が家では大事な儀式が行われる日だからだろう。
私は寝巻から、いつも着ている茶色い生地に白い麻の葉模様の着物に着替えると居間の方へと歩いていった。
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