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翌日。いよいよ老朽化した公園のブランコを撤去する日が来た。私は、まず自家用車で会社に出勤し、それから社用車に乗り換えて自宅前の公園に戻り、工具箱からプライヤーを取り出して、昨日から気になっていた傾いた工事表示看板を水平に設置し直していた。すると園内の傍らにある通学前の一時集合場所にたむろしていた小学生たちが、私のところへやって来る。
「ねえ、おじさん、あのブランコ無くなっちゃうの?」
「らしいね。もうボロボロで危険だからね。しょうがないかもね」
突然大勢の小学生に取り囲まれ、私は少々ひるんだ。
「らしいね、じゃないだろ! かもね、じゃないだろ!」
「そうだよ、隠すなよ。おじさんが、あのブランコをぶっ壊すくせに」
「ねえ、おじさん、あのブランコが無くなったら、新しいブランコを作ってくれるの?」
彼らの矢継ぎ早の苦情に、私はもうたじたじである。
「いや~、おじさんは、撤去をするだけだから、その後のことは分からないかなあ」
「僕たち、あのブランコが好きだよ!」
「お願い! 私たちのブランコを壊さないで! 工事を中止して!」
「おじさんにそんなこと言われても。町の偉い人が決めたことだから」
「だったら、おじさんから、町の偉い人に中止のお願いをしてよ!」
「ははは。分かった、分かった。おじさんから、町の偉い人にお願いをしてみるよ」
「いつ? いつお願いをしてくれるの? 何時何分何秒?」
「そのうちだよ、そのうち。今日の夕方とか。明日の朝とか。そんな感じ」
上辺だけの適当な返事をして、子供たちから逃げるように撤去するブランコがある遊具エリアに向かう。私は自分の浅ましさに打ちひしがれる思いだった。私にとってあの古びたブランコは公園の一風景でしかなく、あのブランコを撤去するという行為は数多く抱える業務のうちのひとつでしかない。しかし、子供たちにとっては一大事なのだ。真摯に異議申し立てをするべき事柄なのだ。
子供たちは偉い。彼らは、いつも、何事においても、当事者だ。それに引き換え、先程の自分のいい加減な態度は何だ。今日に限ったことではない。私の人生は、あらゆることがいつもどこか他人事だった。仕事も、人間関係も、妻と結婚をした時も、マイホームを購入した時も、息子が生まれた時も、自分の知らない場所で自分とは全く関係のない自分が事を成している、常にそんな感じで、目の前で起きる現象にぼんやりと霞がかかっていた。
現場に着いた。すると準備を始めている筈の5~6人の関係業者が、ブランコの周りを取り囲み、途方に暮れている。
「どうした、何かあったか?」と、聞くまでもなかった。本日撤去予定のブランコで、あのブランコ坊やが、これ見よがしに遊んでいるのだ。「あ、ブランコ坊やだ! うおお、めちゃくちゃ久しぶりに見た!」私は、関係者の前で思わず声を上げた。紺色のタンクトップ、黒い半ズボン、筋肉バキバキ、坊主刈り、眉毛ボーン、頬骨ボーン、青々とした頬の髭、ビー玉のような喉仏。
「坊や? いやいや、どこから見ても、変なおじさんじゃないですか。監督のお知り合いですか?」
関係業者の一人が、嘲り笑う。
「いや、知り合いというほどの関係ではないけれど。彼は、なんというか、ご近所の有名人というか、この公園の主というか」
「兎に角、どうにかしてください。工事の邪魔なのでどきなさい、と何度注意をしても、聞き入れてくれないのです」
うなだれる関係業者の人だかりの中央で、身長一九〇センチの大男が、板座のブランコに立って、素知らぬ顔で豪快に漕ぎまくっている。
「話しかけても返事をしてくれません。ずっと訳の分からない呪文を唱えながらブランコを漕ぎ続けています」
私はヘルメットの隙間に手を入れて頭皮をボリボリと掻きながら、彼の声に耳を傾けた。
「おめでとう! 一等賞だ! ありがとう!」
ブランコ坊やは、漕いだブランコが最高地点に達する度に、大空に向かい、そう唱えている。関係業者が言うように、まるで何かの呪文のような旋律だ。
「おめでとう! 一等賞だ! ありがとう!」
初めて耳にしたブランコ坊やの肉声は、土台この世の者とは思えない摩訶不思議な声音をしていた。
「おめでとう! 一等賞だ! ありがとう!」
それは本日撤去されるブランコへ向けての、ブランコ坊やからの労いの言葉のようにも聞こえたし、あるいは遊具本体が、ブランコ坊やの声帯を借りて、今日まで愛着を示してくれた彼を賞賛しているようにも聞こえた。
「これは明らかに工事妨害です。とりあえず監督から役所の担当者に連絡をしていただけますか?」
関係業者が、私に判断を急かす。
「う~ん、役所か~、どうしたものか、う~ん、ちなみに君ならどうするかね?」
「僕があなたの立場であれば、即刻警察に通報をします。僕、こういうの許せませんから」
「う~ん、警察か、やむを得ない、君から警察に電話をしてくれるかな」
「かしこまりました」
関係業者が胸のポケットから携帯電話を取り出す。
「いや、ちょっと待って。たしかあのマンションの803号室に保護者がいる」
私は、以前町内会費の集金で伺ったブランコ坊やの住むマンションを顎で指し示した。
「なるほど、あのおじさんを、保護者に引き取ってもらうのですね」
「うん、それが無難な気がする」
「僕が保護者を呼んできましょうか? 要するにそういう指示ですよね?」
「悪いね、お願い出来るかな」
この騒動ですら、私にとっては、どこか他人事だ。
関係業者がマンションの803号室から連れてきた保護者は、以前お会いした母親らしき女性とは違う人物だった。ブランコ坊やとは顔立ちも体格も似つかぬ痩せこけた小柄の中年男性で、恐らくこの人は施設から派遣されたブランコ坊やの担当者であろうと、私は直感で判断をした。
「こら、アキラ! 人様に迷惑を掛けては駄目じゃないか!」
施設の人は、そう叫ぶや否や問答無用でブランコ坊やを後ろから羽交い絞めにして、強引に彼をブランコから引きずり下ろした。私には、施設の人が、生き物の肉体の一部を引きちぎったように見えた。
「ギャアアアアアアアアアア!」
引きちぎられた彼は、口から臓物が飛び出すような奇声を上げ、大暴れをして抵抗をする。しかし、施設の人は細い両腕をブランコ坊やの背後から彼の分厚い胸板に回すと、いったいあのヒョロヒョロの体のどこのそんな力があるのか、凄まじい勢いでブランコ坊やをマンションのほうへ引き摺りはじめた。
ブランコ坊やが、公園の地面をずるずると引き摺られて行く。膝を擦り剥き、泥まみれになり、鼻水を垂らし、顔を真っ赤にして泣き叫び、身長一九〇センチの筋肉質の大男が、かつて繋がっていた胴体から、どんどん遠ざけられて行く。
泣くな、ブランコ坊や。君は立派だ。君は胸を張って訴えた。君は堂々と戦った。君はこのジクジクと赤剥けになった現実の、まごうことなき主役なのだ。君はカッコいい。
「撃て!」
マンションの駐車場の辺りまで引き摺られ、それでもなお暴れ回る彼に向かい、私は大声で叫んだ。
私の声に反応したブランコ坊やが、咄嗟に施設の人を振り払って颯爽と立ち上がり、右手でピストルを作り、左手をそのピストルに添え、まるで西部劇のガンマンのように、遠方から私を狙う。
「撃ってくれ!」
再度強く叫び、私は両手を大きく広げ、胸の辺りを無防備にして標的になる。
右手のピストルよ、今こそ私を撃て。お願いだ、完膚なきまでに、この私を撃ち抜いてくれ。
「おめでとう! 一等賞だ! ありがとう! ウオオオオオオオオオオオ!」
ブランコ坊やの唸り声が、地鳴りのように園内に轟く。
「パン!」
公園にたむろしていた鳩の群れが、彼の銃声に驚いて一斉に飛び立つ。
血しぶき。
そうだ。撃て。撃て。私を撃て。
完
この物語は、過去に投稿をした『「ブランコ坊や」と呼ばれる子供が、指で作ったピストルで僕を狙い撃ちしようとするので困っています』のリメイク作品です。