3-7
「契約を、たった今破棄します。岡島秀一――あなたを吹き飛ばしに来ましたよ」
彼女は言った――橘理奈は、そう言った。
その左手薬指、黒き髑髏は双眸をオレンジ色に輝かす。秀一は、そのブラックリングを見守った。あのブラックリングを、ただ呆然として見守った。吊られたままの口角から――ずるりと煙草が落下する。
「テ、テメェ……どうして……今、一人っきりで……」
寿命間近の蛍光灯のように、暗い声を明滅させる。やがて湿気が回路に触れたようにして――そこに火花を炸裂させた。
「この腐れ馬鹿ジャリがあああああああああああああああああああああああああ――っ!!」
額に青筋をのたくらせ、目を血走らせ、犬歯を剝き出し、唾を飛ばして怒鳴り散らす。隣では、望月が目を丸くし、自分と理奈を、代わる代わるに見ていたが、当然そんなことはお構いなし。秀一は、更に矢継ぎ早にがなり立てる――
「契約破棄!? 俺を吹き飛ばす!? 何寝言ほざいてやがんだ! どうして俺の計画の邪魔をする! どうして俺の言う通りに動かねぇ! どうして馬鹿の癖に自我を持ちやがる! 何がテメェを謀反に走らせた! 答えろ馬鹿野郎! 答えろ答えろ答えろ――っ!!」
ステージの上から落ちてくる火砕流のような怒声に、それでも理奈は、普段通りの涼し気な表情を浮かべていた。水蒸気爆発が起こりそうな温度差が、そこにはある。ほくろが彩なす唇が、井戸水のような言葉を汲み上げる。
「新たな夢のため――救済細胞の一員である必要性がなくなったまでのこと。利害が一致するから手を組んだ。利害が一致しなくなったから手を放す。あなたのキャラでしたら、当然理解できる事でしょう?」
中坊の癖に同じ目線、いや、上から目線で物を言いやがる……。秀一は、煙草を咥えて火をつけた。二本も咥えて火をつけた。
そんな彼の神経を、辛子を塗布したタワシでもってゴシゴシするように、理奈は一変、ぬるい口調でもってこう言った。
「どうやら、よっぽどあのお姫様が怖いようですね。私には理解が及びません。私が怖いのは、おこわだけですから――お~怖っ!」
サングラスの右レンズに――音を立てて皹が入る。頭の中で、勇壮なファンファーレが鳴り響く。トランペットの音色が素晴らしい。黒光りするサラブレットが、芝生を蹴り上げ駆けて行く。
「おい……霜降りサンドバッグ」
秀一は、背後の望月へ首を捩じる。どうやらこちらの魂胆が見えたらしく、毒入りカプセルを飲むまいとするかのように、彼は呼吸を止めていた。
「あいつを――消せ」
それでも秀一は――処刑の執行を命令した。
しかしながら、服毒にポジティブになれる奴がいようはずもない。望月は、秀一の中の仏に縋るようにして、諸手をすりすりもみもみスルーを求む。
「いやいや教祖様も人が悪い。冗談は勘弁してくださいよ。あいつの能力は戦闘向きのものじゃないっすか。俺の能力じゃ手に負えない。俺なんか無視してくださいよ。俺よか姫に助けを求めた方がいいっすよ」
が、仏はとっくの昔に仏さんである。秀一は、懐から横暴なるスターターを抜き放ち、愚図の足元を撃ち抜いた。漏らした屁を推進力に、その場で飛び上がる望月。しかし、それまでだった。奴の顔には、雑兵に必要な、愚直なまでの前進への気迫が欠けていた。秀一は、いらん自己主張をズキズキ続けるこめかみを、思わず強く押さえ付ける。やがてその指で、サングラスのブリッジを押し込んだ。その間ジャスト3秒。それだけあれば、十分だった。馬鹿と鋏は使いよう。そしてその使いようは、単純極まるものなのだから。




