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BLACK RING  作者: 墨川螢
第2章 ジャスティスリッパー事件
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2-42

「ウ・ソ・じゃ―ねぇよなぁ?」

 そして懐に顔を侵入させ、その首を締め上げるようにして、上目遣いで睨み付けた。どっちがヤンキーだかわからない。そんなカツアゲよろしくの圧迫に見舞われながらも、相手は煙草を吹かし、白煙で口内を満たしながら、口角を持ち上げていた。

「すみませんでした――謝ります」

 だからこそ、その言葉は意外だった。俯けられ、暗がるサングラスのレンズの奥に逃げ込んだ眼差しが、いじらしいとさえ思えた。それでいいんだ、クソガキめ。望月は、違法に改造された車のマフラーのように、盛大に鼻息を噴出させる。だがそれでも――変わらず相手を見守った。彼は、子供は平気で嘘をつくという、大人の見識を持っていた。何よりも、子供の自尊心をじっくりと踏み躙る、大人の嗜虐心を持っていた。ほわりと口元を緩めたその顔は、まるで風呂の中でいたしたかのようだった。

「昨日今日服従した胡散臭いガキを、信用できないのはわかります」

 自嘲しながらも秀一は、床に倒れているパンチパーマの男の傍らに、屈み込む。その男は運がいいのか悪いのか、未だに息があるようだった。

「よくぞ生き残ってくれたなぁ。目を潰されてねえかぁ? そりゃあ重畳ぅ」

 目は潰されていないが、喉は潰されているらしく、ボロ雑巾のような呼吸で床を拭きながら、男は首の動きだけで質疑に応じた。秀一は、その耳に囁きかける。

「なぁ、おっさん。そこに転がってるモヒカン小僧は、てめえの息子だろう?」

 その言葉の通り、モヒカン頭の小学生ぐらいの男の子が、すぐ近くで大の字になって倒れていた。が、大の字とは言っても、文字通りにはなっていない。両脚が、斬り捨てられていた。あの出血では、今から病院に搬送しても助かるまい。しかしそれでも、パンチパーマは頷いた。力強く、二度も三度も頷いた。『俺の息子だ』と応えるだけではなく――『息子を助けてくれ』と、何度も何度も、頭を下げた。

 秀一は、静かにサングラスのブリッジを押し込んだ。「そうかいそうかい、立派な愛だな、親父さん……」そして、哀れな男の頭頂に、そのブレスを吹きかけた――

「だったらよ――息子を今すぐ楽にしてやれよ。どうせあいつは助からねぇ。最速でもって苦痛から解放してやんのが、最期の最高の愛ってもんだろう。そして――テメェも楽になっちまえ」

 それは何の恩恵もない、理不尽で残酷な――悪魔的な要求だった。秀一は、懐から取り出したピストルを、スライドを引いてから、パンチパーマの鼻面の床に投げ出した。

 パンチパーマは、添い寝する鉄の塊に、しばし底の見えない穴のような瞳を向けていた。しかし、そこに松明の光を差し入れると、がばりとその炎で、秀一の顔を炙って見せた。今にも立ち上がって飛び掛かり、喉笛に食らい付きそうな剣幕だ。それでも、見開いた目には涙を浮かべ、食い縛った歯からは血の(あぶく)を吐き、ただただ首を横に振る。

「そうかいそうかい……そうだよな。立派な愛だな――糞親父」

 それでも彼等の世界は、救われない――

 愛は動機にはなっても――手段にはならない。

 秀一は、パンチパーマの眼前に、その右手の親指――ブラックリングを突き付けた。髑髏の双眸から放たれる、美しくも怪しげな、青い光。その光は、秀一とパンチパーマ、両者の顔を、青く青く染め上げる。やがて、パンチパーマの顔から険が消え去った。それに代わり、まるでブリーチした髪にサイケデリックなカラーを入れるかのように――目と鼻につく、あの笑顔が浮かび上がる。

「ケッ! 面白くねぇ……」

 秀一は、安くて出来の悪いゲームを買い与えられた少年のように吐き捨てた。

 床にへばりついていたパンチパーマが、全身から血を噴きながらも、怠ることなく立ち上がる。その手には、賜ったピストルがしかとある。そして、その言葉を掲げて捧げる――

「教祖様――万歳」

「父ちゃん……父ちゃん……」と、男の子は譫言を繰り返す。意識は混濁していても、そこにある守ってくれる者の存在を、確かに感じ取っていた。無垢な艶に満ち満ちた、子供の顔が、そこにはある。それは、青空を映す湖だった。しかし――その湖面が砕け、不法にごみが投棄される。やがて湖には、生臭いヘドロが満ち満ちた。

 脳味噌と眼球が浮かぶ血溜まりに、輝く雫のような薬莢が落ちて来て、真円の波紋を広げる。しかしその模様は――次いで起こった衝撃に、いとも容易く壊された。拳が振り下ろされたような、そんな衝撃だった。歯や舌の残骸がこびりついた破れ目から、ピストルが零れ落ちる。腕が垂れて、膝が折れる。そして父親は、再び冷たい床に抱かれた。


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