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男は、生徒の人生相談に応じる教師のように頷き笑い、そして、煙草をぷかぷか吹かしている。そこで仁は気が付いた。いつもとは異なる時間が、二人の間に横たわっている。それはまるで、宇宙から見下ろした川筋のようだった。だがしかし、父が入学祝にくれたハミルトンの腕時計は、怠りなく時を刻んでいた。「ウゼ……」ショルダーバッグを擦り付けるようにして、背後にいた女子大生が、進む列の中で立ち止まる仁を追い越して行く。その後ろに並んでいた人々も、日常の流れを歪める小石を尻目にバスへと進む。仁は、列の外へ出ようと身を捩る。しかし、立場を同じくするその男は、立場を変えようとはしなかった。人々の前に立ちはだかることを憚らず、仁を見下ろして、美味そうに煙を吹いているばかり。するとその腕が、だらりとだらしなく垂れ下がる。指と指の間には、煙草が一本挟まっている。その先端は、赤々として燃えている。気付いたときにはもう遅い。進む女子大生の手の甲が、そこに向かって吸い寄せられる。思わず仁は、耳を塞いで目を瞑る。しかし、悲鳴も呻きも聞こえてこない。訝しみ、瞼の隙間から覗き見る。ありえない、そんな光景が、そこにはあった――
女子大生が――男の身体を突き抜けた。しかし当然、男の身体にトンネルなどがあろうはずもなく、特に異変があるわけでもなく、その口元は弧を描いていて、相手を焼いて砕けたはずの煙草の先端は、未だ燦然とした炎を宿している。女子大生は、まるで何事もなかったように、そのままバスに乗り込んだ。男の口元は、やはり弧を描いている。
何だ……何が起こっている?
何者なんだ――この男?
仁は、その目を、ルーペのレンズのように丸くした。
「自己紹介がまだだったな。俺は人間じゃない――鬼なのさ」
こちらの心を読んだように――男は名乗った。
その間にも、バスに乗り込む人々の列は、彼の身体を、まるで通過駅を素通りするようにして、もとい、レール上の空気を抜くようにして、後にして行く。言うまでもなく、汽笛のような悪口を浴びせかけ、仁の身体を迂回したその後に。
「コングラチュレーション、相沢仁。お前は所有者に選ばれた――『ブラックリング』の、所有者にな」
鬼を名乗る者は、クイズ番組の司会者のように、仰々しく両腕を広げた。
仁もまた、ミリオンダラーを手にした挑戦者のように、ただ呆然を広げていた。