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「石井大輔、染谷琴美――」
血湧き肉踊り骨さえとろけてしまったかのように、締まりなく身体を揺らしながらも、彼女は、周囲の炎よりも明瞭な声でもって、その二人の人間を点呼する。返事はない。ただ黒々とした連中が、変わらぬ笑顔を浮かべたまま、無数の火のない蝋燭のように、ただただ突っ立っているだけだ。彼女は、刀を擡げる。その刃を、鍔元から切っ先へと、焔の色がなぞっていく。切っ先で弾けた反射光が、今はスーツを着ている同級生の顔に突き刺さる。
「やはり悪人には、美学なんてものは不要よね。けれど、たった一人を屠るのに、こんな軍隊じみた連中を用いるなんて滑稽だわ。そんなに私が、怖いのかしら?」
しかしやはり、言葉に対する返事はない。金属バットと鉈とで表現される、殺意の構えがあるばかり。それでも彼女は、夜毎枕にそうしていたように、一人言葉を紡ぎ出す。
「本来なら、以前の弱い私なら、きっと負けていた。でも―」
小さくも、厳かな間があった。
彼女は、錨を上げるように左手を持ち上げて――その人差し指を、掲げて見せた。
「この指輪が私を強くした。この私へと押し上げた。欲しい物を手に入れるためならば――誰よりも私自身に負けるなと」
黒い指輪、黒い髑髏――ブラックリング。
望月は、反り返った唇から、涎をぼろぼろ滴らせる。さながら、トリュフを求める豚のように。喉から手が出るほど欲しい、あの魔性の指輪がそこにある。届きはしない手を、肩が外れんばかりに伸ばしに伸ばす。しかし、その手が届くのならば、きっとその五指は、指輪を毟り取ることはなく、今は彼女の頬を撫でたことだろう。確かに指輪は欲しかった。しかしそれは、五つの中の一つとしてという意味合いでだ。まだ見ぬ指輪を奪取するにあたり、望月は、彼女こそが欲しかった。戦闘に向かない、そもそも戦闘なんぞしたくはない賢者様は――彼女という戦力が欲しかった。
彼女の髑髏の双眸は、光り輝いてはいなかった。今日の今まで監視をしていて察していたが、この修羅場に至っても相変わらずであるということは、やはり彼女は進化形能力に目覚めていない、詰まるところは盲目だ。だがしかし、そんな事実は、彼女の戦力価値を高めるのみ。基本形能力だけで、あの強さ。並の盲目なら、あんな軍隊じみた攻撃をされた時点で、肉骨粉と化しているだろう。彼女は並ではない、特上、いやいや極上の盲目だ。その上、もしこれから先、彼女が進化形能力に目覚め開眼となったのなら、一体どれほどの戦力になるだろう。いや、最早それは、戦力とは言えないのかもしれない。『武』でもない『暴』でもない、人の成し得る業では決してない。それはまさに、神の成し得る業――『天災』の猛威に他ならない。望月は、自身と彼女以外のリング所有者について未知である。それでもしかし、そのような直感に打たれてしまう程、彼女の強さは、まさに燦然たる霹靂だった。
俺の――お姫様。口内に溢れ出る唾液は止めどなく、喉を侵し、望月は、犬のように喘ぎに喘ぐ。あんな生意気なクソガキを味方にしなければならないことには業腹だったが、そんな暑苦しい私情を排し、冷徹に目的を達成してこそ賢者というもの。しかしながらそのハゲ頭は、彼女を味方にできるものだと疑わず、最終的にそのリングを如何にして奪うのかも考えてはいない。そんな熱に浮かされたような私情は、頭の中を元気いっぱいに走り回っているが、賢者・望月の瞳には、黄金色に輝く、勝利の二文字がめり込んでいた。
「前世の記憶を顕在化させるなんて、興味深い指輪よね。それに5つ全てを集めれば、夢が叶う。あなた達みたいなゴミを一斉処分することだってできるのよ。けれど私は、そんなことを叶えてもらうつもりはない。だってそうでしょ。塵であろうが芥であろうが――それらは全て、私自身の手で斬り払うべきなのだから」
望月が淫夢に耽っている間にも、駐車場の炎は猛り狂う。彼女が、噎せ返るようなガソリンの臭いと、降り注ぐ砂金の如き火の粉を払うようにして、ダッフルコートを脱ぎ捨てる。露わになる――私立平馬高校の黒いセーラー服。その装いと、手にした日本刀が相まって、その後ろ姿まるで、死神のそれのようだった。炎のはためきに晒された刃は、鼓動の律動を奏でるようにして、生々しい明滅を見せつける。




