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「随分と、おかしな応援を頼んだものねぇ――」
即座に身体は起動した。その勢いのあまり、大変立派な正座さえもした。それでもしかし、そのままの姿勢でもってフリーズした――駐車場の方から聞こえてきたその声は、さながら耳に吹きかけられる、凍て付く雪女の呼気だった。その声の主は、件の彼女に他ならない。会話をしているようだったが、しかし相手の声は聞き取れない。かと言って、彼女が空気から錬成したお友達と会話をしているようにも聞こえなかった。
やはりおかしいぞ――賢者・望月は混乱した。どうして一人で待っているはずの彼女が、どうして待ちぼうけを食わされているはずの彼女が、こうして誰かしらとくっちゃべっているのだろう。やがて混乱は恐怖に代わった。四つん這いになり、ゴキブリのように這って行き、更に奥の立木を背後にし、教室や食堂で知り合いを求める大学生のように、きょろきょろ視線を振り回す。現状を把握しなければならない。猫の手も借りたい気分だった。しかしこの状況で縋るべきものは、己が右手の、中指のそれに他ならない――
異界の指輪・ブラックリング――その黒き髑髏の双眸が、仰々しい黄金色の光を放つ。
するとどうだろう。所有者の身体もまた、黄金色の光を塗布された。その光の源は、肌という肌に浮かび上がる――光り輝く豹紋だ。
しかしながら、彼の前世は豹ではない。陰湿なる、虎だった――
通称『ストークタイガー』、本名はマット・ゲイン――アメリカ西部開拓時代に暴威を振るった強盗団の首領であり、同じく強盗団の首領であった、かのジェシー・ジェイムズの模倣犯である。しかしながらコピーはコピー。特に彼は、デッドコピーに相違ない。その無骨極まる虎髭は、無残な末路の暗示であった。ジェシーが『義賊』として南部大衆に絶賛された一方で、マットは同じ南部大衆に袋叩きにされ、肉のタンブルウィードと成り果てた。
しかしながら、やはり記憶は、争えない――
望月辰夫は、肥えた腹を震わせて、寂しい頭をてからせて――その目を裂けんばかりに開放した。
「これは――どういうことだよっ!?」
そして思わず叫んだ。その眼鏡のレンズには、震える自分の豚足が映っている。だが勿論、今更その肥満体型に驚愕したわけではない――
眼鏡のレンズの奥、その瞳には――一人の少女の後ろ姿が映し出されていた。長い黒髪と、ダッフルコートの裾が、夜風と楽し気に踊っている。
望月の瞳は、まるで背後霊のそれのように、件の彼女を監視する。『後ろの鉄面』――彼のような下劣な人間にとっては夢のような能力が、しかし被る人間にとっては悪夢のような能力が、いずれにしてもここにある。にもかかわらず、監視対象に置くための条件は、あろうことかその人物の背中を33秒間見つめるだけという至極簡単なものであり、故に望月はこの能力を乱用し、数多の女性のプライバシーを丸裸にしてきた。今監視している彼女もまた、その中の一人だった。しかしながらそのプライバシーについては、思わず目を覆いたくなる程に後悔した。深夜のコンビニぐらいなら褞袍とジャージで行ってしまったり、両親の目を盗んではお湯割りの芋焼酎で晩酌をしていたり、化粧のために鏡台に向かおうものなら『どっこいしょ……』とため息をついて座ったり……。それはあくまでも、望月辰夫をもってしても『おっさんかっ!?』と突っ込まずにはいられない、そんなひり出された赤ん坊とどっこいの秘密であった。だが今は、その目を覆うどころか、瞬きもせずに打ち開く。




