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10月末、これを授けた鬼は、正体の見えない奴だった。分厚いフード付きマントと言葉でもって、身も心も隠しているような奴だった。そんないかにも臭そうな野郎の言うことなど、信じる気にはなれなかったが、前世の記憶を顕在化させるという、この指輪の力は本物だった。五つ揃えれば願いが叶う、そんなもう一方の力の方は、未だに半信半疑だが、それでもしかし、退屈しのぎには丁度いいと思っていた。
しかし退屈は、退屈のまま終わるらしい――
今夜でチェック――四つ目のリングが手中に落ちる。
随分とちょろいゲームだった。ヌルゲーどころかクソゲーだった。強いて折った骨を挙げるのなら、それは日本政府を手玉に取ったことぐらいだろうか。ゲームの参加者に選ばれなかった外野席の背景風情に、国会の席みたいな気分でもって、ピーチクパーチク囀られても、ウザッたらしいだけだった。今や、日本で起こる全ての犯罪は、ずさんな捜査の末に看過されることになっている。五つ目のリングの所有者は、未だ特定には至っておらず、その能力も不明なままだったが、奴からリングを奪取する未来を、秀一は疑ってはいなかった。それほどまでにスムーズに、ここまでのゲームは転がった。余裕である。余裕がある。それでもしかし、サングラスの奥の目は――東部戦線のように張り詰めていた。
『乾杯』とは言っても、グラスを手にしているのは教祖だけだった。信者は変わらず床に黒々として広がっている。唯一傾けられるグラスの中身が、やがて半分となる。アルコールに浸された白煙が、鋭く鋭く吹き上げられる。それが、合図だった――
「準備は――できてんだろうなぁ」
ノルマを果たすためならば、血反吐を吐こうが笑顔で働き、笑顔のままで過労死できる、そんなブラック企業に高く売れそうな連中だ。そんなことは、確認するのも無駄である。しかしそこは形式美。時として、無駄を楽しむことは無駄ではない。秀一は、腹の上でグラスを温めるように両手を組み、重々しくそう言った。平伏していた信者達は、捲れ上がるように面を上げ、ぶん殴りたくなるような笑顔を表示して、拡声器を通したような声で応答した。
「いつでも、教祖様の号令の下、実行可能です」
白い輪っかを浮かべたきり、秀一は、クリスタルガラスの灰皿に、セブンスターを据え置いた。その先端から立ち昇る紫煙に押し上げられるようにして、シャープな顎をしゃくって見せる。ショートカットの初老の女性信者が立ち上がり、再び足元で跪く。
「よくできましたぁ。花丸あげちゃうぜぇ――」
秀一は、肩を軽快に弾ませる。左手が、ゆらりとグラスを弄ぶ。そして、銀の盆を持ったまま傍らに佇んでいた女性信者の胸元に、その右手が突っ込まれる。
抜かれるピストル――その銃口が、初老の女性信者の額に押し付けられる。
空間を乾固させる破裂音――しかしグラスは、火花を舐めて瑞を得る。
天と地は見つめ合う――笑顔と笑顔を交わらせ。
赤い華を挿した頭の横――金の薬莢がタップを踊る。
「そんじゃまあ、形式美に沿って、号令してやっかあ――」
硝煙の中で、秀一は微笑んだ。こんな連中が相手なら、仰々しい血祭やら号令やらも、無駄なことだとわかっている。それでもやはり、こういう無駄が楽しく思える。記憶の絵巻の片隅に、引っかかるようにして描かれている幼い自分は、人形を相手にままごと遊びに興じている。子供の頃から頭が良く、大人顔負けに弁が立ち、人心掌握にも長け、『神童』と呼ばれて育った彼らしからぬ趣味だったと、今でも両親は口を揃えて談笑する。しかし、当の本人はこう思う――お似合いの趣味だろう。
卓上の脚を組み直す。吸差しの煙草を咥え――残り全てを一吸いでもって灰にした。
「予定に変更はねぇ! これより状況を開始する! 計画に従い、今夜午後9時所定のポイントにて、当該対象を抹殺せよ! 働け奴隷共! 俺様のもとに、ブラックリングを持って来い――っ!!」




