2-24
『はい、こんにちは、橘理奈です。只今牛丼特盛6杯目』
仁は――中学生の少女に、顎で使う配下に、電話をかけた。
唇を開く。しかし言葉は生まれない。淀んだ時間が、ベッドを取り巻く。ベッドもろとも、沈んでしまいそうだった。
『相沢さん――』
ややあって――彼女の声が耳朶を撫でた。
『ゆっくりゆっくり、深呼吸です。ゆっくりゆっくりで、いいんですよ。話せるようになったら、話してください。話したくなったら、話してください』
言われるがまま、深呼吸をする。一回、二回、三回と……。するとどうだろう、不思議なことに、胸の痞えが、どこへともなく消えていく。インフルエンザに罹り、吐き気が止まらなかったときのことを思い出す。父が背中をさすってくれた。男手には似合わない、そんなしなやかな手つきだった。
「悪い……」
自然と言葉が、芽を出した。
『いいんですよ』
理奈は言った――そう言ったきり、何も言わなかった。
彼女は、待っているわけではない。求められたから、そこにいる。仁には、そのように感じられた。こんな状態だから、そう都合良く解釈しているのだろうか。そうかもしれない。彼女も結局は、ブラックリングの所有者で、争奪戦の参加者で、いつ裏切るともわからない身の上だ。こんな状態だから、そう都合悪く解釈してしまうのか。どちらが曲解なのかは、わからない。それでも、蜘蛛の糸でも藁でも何でもいいから――この身を浮き上がらせてほしかった。
『シュレーディンガーのアイス』だと彼女は言った。可能性は可能性、食べて確認するまでは、『あたり』かどうかはわからない――
不安を食べて呑み込め――
そして確かめろ――
今からでも遅くはない――
今すぐだ――今すぐ千尋を追い掛けろ。
「聞いてくれ――」仁は、相沢仁は――
「千尋は、通り魔なんかじゃねぇよ……」
理奈に向かって――そう言った。
自分の声で――頭蓋骨が鐘になる。
『あたり』かどうかわからないのなら、それでいい……
俺は『はずれ』を信じ抜く……
俺は最愛の女を信じ抜く……
山野井千尋は……通り魔なんかじゃない。
再び腫れ上がった痞えを、胸ごと力任せに握り潰す。苦痛に苛まれながらも、想い描いた恋しい彼女は、美し過ぎる程に美しい。まるで、理想的なプロポーションにカットされたダイヤモンドのように。その輝きは――汚れを知ってはならないのだ。
相沢仁は――純情だった。
ひたむきで――まっすぐだった。
『そう……ですか』
理奈は、そうぽつんと呟いた。
今週末の報告会議は中止にする旨を告げ、仁は通話を切断した。秀一の言う通り、早退することにした。一足早く週末を迎える、そのために。
起き上がろうと、只今見える天井に、ともすれば散ろうとする意識を集束させる。
白――ここは白一色の保健室。
壁の黒や、床の赤など――きっと揉み消してくれるだろう。




