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BLACK RING  作者: 墨川螢
第2章 ジャスティスリッパー事件
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2-23

「回りくどい言い方してんじゃないわよ。はっきり言いなさい、このインテリ気取り。じゃなきゃその口――掻っ捌いてでも吐かせるわよ」

 千尋の言葉が、鬼火のように暗く燃えて漂った。その足が――壁をぶち抜いてめり込んでいる。あと三十センチ左へ逸れていたら、秀一の心臓をも貫いていただろう。随分とバイオレンスな壁ドンだ。足が引き抜かれると、石膏ボードやコンクリートの破片を吐き出しながら、あんぐりと開かれた穴が露わとなる。その周辺の壁にも、蜘蛛の巣状の亀裂が走っている。潔癖の白を極めた室内に、破壊の黒が走った光景は、見る人間次第では、洒落た成様(なりさま)に見えるのかもしれないが、やはり見る人間次第では、洒落にならない有様(ありさま)に他ならない。

 耳を削がんとする鋭利な亀裂、物言いたげな壁の穴、そしてプリーツスカートの下に直立する両の脚。秀一は、なぞるようにそれらを見る。そしてそれを、正面切って突き付けた。視線はもとより――銃口のような唇を突き付けた。

「テメェこそ、その口ではっきり言ったらどうだ――『悠を守れませんでした』ってよ。土台無理な挑戦なんだよ、死ぬまで食い物にされる星の下に生まれた豚を、聖人気取りで守り抜こうとするなんてな。今や痩せ細っちまった一匹狼が、群狼相手に何ができる。巻いた尻尾で隠した(ケツ)の穴で、今更勇ましく吠えてんじゃねぇぞ、この無能極まる番犬が」

 そして(はらわた)をずたずたにするような――そんな言葉の散弾が放たれた。

 千尋は、ぴくりとも動かなかった。まるで立ち往生をしてしまったかのように。その足元に、ぽたりぽたりと、赤い点が砕けてはこびりつく。時計の針が、その音を口真似する。しかしややあって、その足、その爪先が、ぐるりと後ろへ回された――

 その顔が、向けるともなく向けられて、仁は思わず息を呑む――

 そこにある、歯形が刻まれた唇は、鮮血もろとも吐き捨てた――

「上等じゃない、この素晴らしきインテリ気取り。ただ、これだけは教えておいてあげるわ。豚しか狩れない野良犬が狼を気取るな、ちんけな牙を見せびらかすな。それこそ負け犬に見えるわよ。せいぜい――らしい犬死にを晒しなさい」

 真なる狼が、その真なる牙を剥いていた――

 相沢仁は向かい合う―――

 山野井千尋と向かい合う――

 熱したのは憤怒の焔、鍛えたのは決意の鎚――

 そんな太刀の如き双眸と――正面切って向かい合う。

 しかし彼は、その目にとって、やはり金屎に過ぎなかった。千尋は、彼の身体の横合いを、まるで払うようにすり抜ける。「さっさと行くわよ、悠」そしてそれだけ言うと、ドアの向こうへ姿を消した。

 気付けば仁は、震えていた――

 もう確信せずにはいられなかった――

 初恋の幼馴染が、最愛の女が――

 山野井千尋が――通り魔であるのだと。

 そして――今夜の獲物は殺されるとも確信した。あんな殺気、夜闇にあろうが背後にあろうが、最早到底隠せるはずがない。隠すつもりは、毛頭ないのだ。どうせ死体にするのだから。隠して隠れ、こそこそする理由など、どこにもないのだから。彼女は、その双眸でもって語っていた――正々堂々、正面切って叩っ斬る。

「うわ~お、待ってよチーちゃん」

 置き去りにされた悠が、ベッドから飛び降り、小型犬のように後を追う。そんな彼女の背中を、仁はその眼で追い掛ける。

 あいつのように、追い掛けるべきなのか――?

 ふとそんなことを考えたが、思考回路が回らない。大渋滞の、首都高速道路のようだった。罵声のようなクラクション、唸りのようなアイドリング音、それらを呑む暗黒の排気ガス。やがて、血液が足下の地面に吸い込まれるような感覚に拮抗し、腹の奥から喉へと肉を掻き分けて、熱く重いものが這い(のぼ)る。

「どうした仁ちゃん。何だ何だぁ。山野井の剣幕に、金玉が縮んじまったのかぁ?」

 傍らに歩み寄った秀一が、ライトな手振りで背中を叩いた。弱り目に祟り目とはこのことだ。爆ぜた喉の不快感に、仁は思わず呻きを漏らす。堪らず口を押えると、余力も失せた膝が落下した。

「おいおい、マジで大丈夫か? そういや顔色がわりぃな。せっかく保健室に来たんだ、ゆっくりと休んでいけよ。でなきゃ早退しちまえよ。惰眠じゃねぇ睡眠は大事だぜぇ。じゃあな親友ぅ、元気でなぁ」

 茶化すぐらいなら肩を貸せ……。仁は、音高く閉まったドアを、忌々し気に睨み付ける。怒りは吐き気を忘れさせたが、やはりそれは一時(いっとき)のものだった。再び崩れるように潜った喉仏に、洗面台にむしゃぶりつく。同時に吐瀉物をぶちまける。昼食は、栄養とならずに汚物となった。あの養護教諭にぐちゃぐちゃ言われても面倒だと、ペースト状の痕跡を洗い流す。両手で流水を掬い、酸苦がこびりついた口内もゆすいだ。そして、枯れ葉の足取りでベッドに至ると、そこに身体を大の字に投げ出した。依然として、身体の中心には、重い閉塞感が蟠っている。昼休み終了を告げるチャイムが鳴り渡る。時間は今日もまた、凛として平等だった。

 窓の外の校庭から点呼をとる声が響いた頃、仁は学ランの胸ポケットから、スマートフォンを取り出した。震える指は、何度も操作を誤った。そして、何度も何度も躊躇した――それでも彼女に、電話をかけた。コール音が、耳から額へ抜けては浮かび、遠く広い天井に溶け入った。


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