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BLACK RING  作者: 墨川螢
第2章 ジャスティスリッパー事件
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2-13

「おいおい、もしかしてまたなのかよ……そうすりゃこれで何人目だ?」

「6人目だ。俺達もそろそろヤバいかもな。随分ブンブン吹かしてたもんな」

「馬鹿! 声がでけぇよ。それにあれはツーリングクラブだろう?」

 野次馬達の中から、そんなやりとりが聞こえて来た。

 やはり――通り魔か。

 仁は、それでも念のためにと、ストレッチャーに歩み寄る。そして、そこに仰向けで横たわる男の顔を、繁々と覗き込む。腐乱した馬の死骸に酷似した顔が、そこにはあった。見覚えがあるその顔は、小学生女児を誘拐監禁暴行した前科を持つ――やはり悪人の顔だった。ニュースで見たときは、そんな下劣なことをする奴が、もといこんなCGみたいな顔をした奴が、自分の住む街の中に、それでいて自分の意識の外側に、確かに生息していたことが、うそ寒く感じられたものだった。そんな顔が今、より一層崩れていた。額がざっくりと切れ、鮮血が流れ出している。警察官の足が文鎮のように置かれた地面には、三角形に突き出た岩があり、そこには血液が(なす)られている。が、論じるまでもなく、あれが凶器ではないだろう。岩は、先端以外は地面に埋まっていて、それでいて、まるで地面そのものの隆起のようだった。だとすれば、顔から転倒した先に運悪く、岩が突き出ていたのだろう。では、彼を転倒させたものは何なのか。彼を、顔から転倒させた力は、何なのか。上半身を前に折り、男の後頭部を覗き込む。仰向けの状態で寝かされているうえ、ダウンジャケットの分厚い襟に隠されて、見えにくいことこの上なかったが、確かにそれを、実見した。後頭部が――横一文字に陥没している。やはりそうか、通り魔か。仁は、そこに固いにきびを潰すようにして、眉間に親指を押し付ける。意識のない患者にガンをくれるいかにもな男に、救急隊員は足を止め、訝しげな視線を送っていたが、予定通り、男を乗せたストレッチャーを運び出して行く。彼等の影が、境内を取り巻く松の影に吸われたときだった――

 赤色の光が、仁の瞳の隅をちくりと焼いた。駐車場から伸びた、赤色灯の光などでは決してない。だがしかし、それと見紛う程に明らかに、確かにその光源は存在した。思わず見下ろした足元。靴の下、その赤い品を拾い上げる。

「バンダナ――?」

 思わず、呼びかける。それに応じるようにして、手の内の布切れは、その赤い表面に艶を滑らせた。元々は何かを結び留めていたのだろうが、輪は千切れて形を失い、兎の耳のような結び目が、かつての名残を見せている。その模様は、一般的なペイズリー柄ではなく、山椒の実と花と葉が、刺繍によって仔細な影を浮かせており、察するに――オーダーメードの品のようだった。

 仁は、顔を顰めた。そして、未だ欠伸を噛み殺している警察官を睨み付けた。どうしてこんなものが落ちているんだ、残っているんだ。これが通り魔の遺留品だったらどうするつもりだ。給料泥棒め。消費税を払うことが馬鹿馬鹿しく思えてくる。3パーセントも増税されるとなれば尚更だ。しかしながら、デコ助においしい証拠を横取りされ、得やすい手柄を嗅ぎ付けられ、やる気を出されるのも面倒だ。仁はそのバンダナを、ポケットの中に隠蔽した。

「どうでしたか?」

 事情聴取を盗み聞きしていた理奈が戻って来た。彼女がチュッパチャプスを咥えるのを待ってから、仁は口を開いた「行ってみる価値はあったな――」

「あのロリコンベイビー、やっぱりしっかり、背後から頭を一発シバかれてやがる。しかも、後頭部の骨折を起こしてるな。脳挫傷やくも膜下出血もありえる重症だ。まぁ、ICUへご招待ってところだろうな。下手すりゃそのまま墓ん中だ」

「すごい、医学に明るいんですね」

「一応、医者の息子だからな」

「先生、バイキングの後でお腹が痛くなるときがあるんですが」

「食い過ぎだボケ!」

 それこそバイキングに押し入られたようなものである店の方が心配だったが、無論そんなことはどうでもいい。今度はこちらが知る番だ。仁は顎をしゃくる「そっちはどうだ?」

「警察と救急隊が、職務怠慢であることがわかりました」

「どういうことだ?」

 理奈は、人の耳目を煙たがるように、現場の中心から離れると、松の立木に背を掛けた。仁がやって来るのを待ち、話し始める。

「第一発見者のカップルの話ですと、被害者は額から血を流し、うつ伏せの状態で倒れていたそうです。その手元には、飲みかけの麦焼酎の一升瓶。そのことから、泥酔状態の男が意識を失い岩へとダイブしたのだろうと、救急隊も警察も、そう結論付けたようですよ」

「そりゃあ職務怠慢どころか職務放棄だろう。あのカップルみてぇに気が動転しているわけじゃなし。仮にもプロが、着衣に隠れていたとしても、あんなに目立つ後頭部の傷を見逃すか。被害者を前後不覚にしたのはアルコールなんかじゃねぇ。あの後頭部への一撃だ。それじゃあまるで――」

 少年は少年らしく、大人をひん剝く。ストレッチャーの上の怪我人が、仰向けに寝かされていたことを思い出す。

「警察や救急隊が、第一発見者が後頭部の傷を目撃できなかったことをこれ幸いと、男は頭をシバかれて失神したっていう真実を、わざわざ隠そうとしているみたいじゃねぇか」

 調べの足らないドラマじゃあるまいし、患部を下にして移送することなどありえない。仁は、半ば確信を持ってそう言った。

 理奈もまた、頷いた。

「正確には――通り魔事件を隠したい、でしょうね」

 被害者は、後頭部を殴打され、その瞬間に意識を失っている。背後からの一撃で。現在加護江市を騒がす、例の通り魔の仕業と見て、まず間違いないだろう。

 そうだとしたら――尚更おかしいことがある。

「住民の平和を奪う者の犯行を、どうして警察が隠す必要がある?」

「さぁ、そこまでは。子供に大人の事情はわかりません」

 肩を窄めた理奈に、仁は後頭部の髪を掻き毟る。大人も子供も、大して変りはないだろう。成人式で暴れても大人、会社で部下をいじめても大人、我が子にスナック感覚で名前をつけても大人。上るべき階段などありはしない。強いてあるとするならば、それは経済力という名の階段だ。先進国が、発展途上国と呼ぶように。そんなことを、いつか秀一が言っていた。仁もまた、その通りだと思っている。しかし、今度は欠伸までしやがった理奈に毒気を抜かれ、侮蔑の視線を投げ捨てた。

「まったく、どいつもこいつも……」

 そして次には、聞こえよがしに言い捨てる。そこにもまた、己が死に苦悶すべき奴等がいた――

 木を隠すなら森の中とは言うが、人だかりの中にあっても明らかに浮いている――黒いスーツの御一行。彼等は、人を惹き付けようとするあまり人を遠ざけてしまうような、そんなムカッ腹が立つ、わざとらしい笑みを浮かべていた。その様は、まるで仕事を乞う葬儀屋のようだった。どいつもこいつも誰も彼も……。そんなに道徳心が厚いわけでもない癖に、仁の頭の奥は熱くなる。その視線に気付いたのか、一団の中のショートカットの初老の女性が、こちらに顔を巡らせた。唾を吐きかけてやりたくなるその表情は、やはり1ミリたりとも動かない。本当に吐きかけてやっても、きっと1ミクロンたりとも動かない。彼女はただ、小首を傾げるような会釈を見せると、動き出した一団と同化し、境内から流れて行った。

「どうかしましたか?」

 振り向けば、理奈が顔を覗き込んでいた。

「お腹が空いたんですか? 今夜も冷えますし、おでんなんかどうですか?」

「かき氷がいいんじゃないか。お前は腹と頭を冷やしやがれ」

 仁は悪態をついた。

 しかし彼女の言う通り――今夜も冷える。

 当たり前だ――冬なのだから。

 北風が、びょうびょうと猟犬の吠え声を奏でて吹き荒れる。理奈が、ライダースジャケットの襟を握って合わす。仁は、丸めた大きな背中を風上に、その(こうべ)を垂れ下げた。


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