2-12
国道から打ち寄せるヘッドライトを掻き分けるようにして、腕を振り脚を振り、仁は歩道を疾走した。横断歩道の信号機を目印に右折、住宅街の通りを反時計回りに進むと、大龍寺の、宝形造の屋根が見えてきた。ファミリーレストランからは、距離にして四百メートルぐらいだろうか。いつもの仁なら、走り切るどころか歩き切ることさえも、億劫になりそうな遠路であったが、ブラックリングをつけている今、その程度の足労は、二階の自室から一階のトイレに向かうようなものだった。前世の記憶、『走り方』の記憶のおかげで、身体が羽のように軽い。やくざなんかやってないで、東京オリンピックにでも出ればよかったんだ。そのように、自分の前世、大葉恭司に思いを馳せる。それが、きっかけだった。大龍寺の駐車場に入った辺りで、最近よく考えることが、またもやまたぞろ気になった。
大葉恭司は――どのように死んだのか?
知らなかった――彼の記憶を宿している生まれ変わりでありながら、そのフィナーレだけは、知らなかった。腕一本で夢を担ぎ、ど田舎の実家を飛び出したこと。甘いものが大好きで、『ギブミーチョコレート』と拳を突き出し、在日米軍将校から御命をも頂戴したこと。全身に刻まれた歴戦の傷痕を刺青代わりとする程に誇っていたが、お下がりでしかない『スカーフェイス』という異名を嫌い、最も有名な異名となる『覇拳』を好んだこと。そんなことならば、文字通り、自分のことのように知っていた。しかし、そのフィナーレだけは、知らなかった。前世の記憶の引き出しをいくら物色しても、貯金通帳どころか、印鑑さえも見つからなかった。
公には、大葉は帰宅した自宅にて、待ち伏せていた一人の敵対組織の残党に、正面から額を撃ち抜かれて殺されたと伝えられている。しかしながら、『覇拳』の異名を持つ伝説の極道が、たった一人に、それも正面から、しかも額を撃ち抜かれたという胡散臭い話は、物議を醸して止まなかった。連中は夢を見ていると、仁は思う。生まれ変わりだからこそ知っているが、その語り継がれるエピソードには、大なり小なり尾ひれがついている。特に、『覇拳』のレジェンドについたそれはクジラ並みである。飛んで来た銃弾を、突き出した拳で弾き飛ばし、そのまま相手を殴り殺したというのは本当だが、その拳は、もとい手の平は、しばらくの間、情婦の尻さえ叩くことが出来なかった。『アタックは最大のディフェンス。矛盾ってのは、別個にするから湧きやがる』そんな台詞を吐いていたが、その破れた破顔を見れば、見栄を張っているのは見え見えだった。だがしかし、そうは思うが、仁もまた、公に伝わる最期を信じる気にはなれなかった――
『覇拳』の大葉は、世間の夢を叶えてやる程強くはない――
それでもしかし――世間に夢を見させる程には強かったのだ。
彼の戦闘における記憶を武器に闘い、基本形能力と進化形能力の性能の違いを覆し、ペイントボマーこと橘理奈に勝利したことが、何よりの証だろう。『煙草の煙みてえに、香りだけを残して消えていく。それもまた、クールじゃねぇか』そんな大葉の気障な物言いが、耳の底で聞こえた気がした。仁は、その口元を緩めた。俺もまた、夢を見ればそれでいい。生まれ変わりは――そう思った。
「相沢さん、見てください」
理奈の声が、耳朶を叩く。駐車場の奥、最も境内に近い所には、救急車とパトカーが停まっていた。回転する赤色灯が、狼狽する灯台のように、非日常を照らし出す。
「急いだ方がよさそうだな」
「はい、事が終わるその前に」
仁は更に脚の回転を速めると、境内へと転がり込んだ。本堂には火が灯っていて、そこに炙り出される境内には、案の定人だかりができていた。背の高い仁であっても、壁の向こうの何事かを、窺い見ることは敵わない。理奈が突破しようと試みたが、スカジャン姿の柄の悪い男に、手痛く払い除けられた。じれってえ……。仁はおもむろに歩み寄ると、スカジャン野郎の肩を引っ掴み、進路上から引っ剥がした。「んだテメェ!」振り向き様にスカジャンは、尻尾を踏まれた土佐犬のように、一声吠えて牙を剥く。しかしそこには、その身を覆う巨大な影が立っていた。
「ファックユア、アスホール……」
影が、虎の目で睨み、龍の声で唸りを上げる。スカジャンは、雷に怯えたチワワのように逃げ去った。仁は、鼻を鳴らした。そして、一部始終を尻目にかけていたその他大勢の野次馬達にも、眉根を寄せて見せ付けた。モーセに割られた紅海のように、ばっくり道が開かれる。仁は、レッドカーペットを練り歩くハリウッドスターの気分を堪能し、騒動の最前線へと立ち至る。丁度、男を乗せたストレッチャーが、救急隊員によって出発するところだった。その後ろでは、警察官が二人、カップルと思われる男女に話を聞いている。カップルの着衣がどことなく乱れていることや、警察官の顔が目脂や涎で汚れていることには、とりあえず目を瞑ってもいいだろう。




