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しかし、ハッピーエンドに泥を塗りたい批評家は、どこの世界にもいるもので――
「ケッ! 面白くねぇ。『今更馴れ馴れしくすんなやボケカス共!』そんぐれぇの啖呵がどうして切れねぇのかね、あの馬鹿野郎はよ」
その権威たる秀一は、今にも舌と親指を下ろさんばかりにそう言った。誰だそいつは、キャラ崩壊もいいところだ。いじめられてもエヘエヘ笑っているよりかは、人間らしいというものだが。何はともあれ、これにて一件落着だ。仁は便座の蓋を閉めるように頷いた。
すると千尋が、友人等の輪から離れ、こちら、と言うよりは、仁の斜め前に位置する自席へと歩いて来て、椅子を引いて着席した。意中の幼馴染の横顔を、それでも先に芽生えた恐怖により、仁は俯けた睫毛越しに垣間見る。
そこでふと気になった――そんな彼女の横顔に、ほの暗い影が差している。その影は、夕暮れ時に這う、闇の滲んだ影だった。
かつての彼女を思い出す――
しかし仁は、その若返りながらも年老いたその横顔から、北風にがたがた言わされる窓へと視線を逸らす。滝川じゃあるまいし、今の千尋はいじめられるタマじゃない。剣道のインターハイの個人戦を二連覇し、そのうえ居合・柔道・合気道・空手までをも嗜む超武闘派に、そして何より一片の悪をも許さない正義の味方に、何の彼のしようとする命知らずが何処にいる。万が一いたとしても、いじめがあったとしても、そんな逆境は、あいつにとっては物の数ではなく、そうでなくとも、積み重ねる腹筋の回数のように歓迎するぐらいのことだろう。腕骨同様、気骨も強い女の子。そう評価しているからこそ、仁は千尋に声をかけなかった。そしてやはり、あのように断じるのだ。きっと女の子の日か何かだろう。ストレスを溜めないようにだとか下半身を冷やさないようにだとか、アドバイスぐらいならしてやれないこともないが、それは勿論憚られる。ぶっ飛ばされて、ぶっ殺される。残念ながら俺は異性、お前と結ばれるために、男という性別を授かってしまった身の上だ。差し当たって、俺のできることは何もない。しかしそれでもきっと――どうにかなるさ。この男、相沢仁は、やはりそう断じるのだ。
「よぉ、山野井。気分でも悪いのかぁ? ああん?」
しかし、どうやら面白いものに飢えているらしい秀一は、こってりとした口調であっさりと問い掛けた。
千尋が振り返る。首だけを捻り、こちらへと、もとい、秀一へと。
「あなたが私の心配をしてくれるなんて、珍しいこともあるものね」
「つれねえなぁ、クラスメートじゃねぇかぁ。よかったら力を貸してやんぜぇ?」
新雪のように白々とした親切だ。千尋もまた、そんな風に思っているだろう。しかし彼女は、品に煙る笑みを唇に過らせる。
「ありがとう。でも――気にしないで」
そして目礼を返し、それきり顔を前へと向けた。
授業開始五分前を告げる鐘が鳴り響く。ラジカセと教科書を持った英語教師が入って来る。クラスメートが弾かれたように動き出す。秀一も欠伸をしながら自分の席へと戻って行く。全ての人が、授業の時間の流れに流される。
しかし仁は――未だ休み時間の只中だった。ただ斜め前を見つめていた。見つめることしかできなかった――
それだけの血が、失われたようだった――
心電図の波形が、地に伏したようだった――
今は背中を向けている彼女が、前へと振り向くその際に、こちらを掠めた眼差しは――
さながら――メスのような斜光を閃かせていた。
やがて耳は聞き入れた――
救えぬ者を送る――鐘の音を。




