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「そりゃあ悪かったな……」
仁は、固めていた拳を解くと、再び頬杖をついて見せた。そうすることしか――できなかった。
そんな足踏みを知らしめるようにして、秀一は、ジッポライターの蓋をカチンカチンと鳴らし続ける。そしてやってくる――時間切れ。携帯灰皿の縁が、煙草の先端で叩かれた。
「どうにかしてやろうか? なぁ、親友」
アップルティーを一口啜り、さっぱりとした笑みで、秀一が言った。仁は、取り付くようにして、上半身をテーブルの上に乗り出させる。
「名案が浮かんだのか? おい悪友」
その瞬間、目の前のサングラスに、さっと一条の光が過って行った。
「浮かぶも何も、ハナから沈んじゃいねぇよぉ。でもまぁ、浮き輪を投げ入れるみてぇに、良心的にはなれねぇなぁ。そんなわけで、そのまま土座衛門になりやがれえ」
鰓蓋から突き入れられる言葉の包丁。釣り上げ絞めたこの岩魚、思わず垂涎せずにはいられない。そんな旺盛な食欲が、ねっとりとした笑みを浮かべる秀一の口元に、ぎらつく犬歯を覗かせる。期待した俺が馬鹿だった……。それでも仁の顔は、入水を決めたように下を向く。
「ほら、それだよ仁ちゃん――」そんな彼の頸部を押さえ付けるように、秀一は続けた。
「夢は抱くが、覚悟が甘く、苦労もなく叶うと思っちまう。だがな、現実ってのはそんな甘かねぇんだぜ。棚から牡丹餅を差し出してもらえることが当たり前だと思っちまう、そんなお坊ちゃん特有の乳臭い思考回路を、遅ればせながら取っ払うこったな」
同級生に、自分という人間を語られる。足蹴にされるどころか、足切りにされた気分になる。玉川上水はどこにある。
煙草が――携帯灰皿に、押し付けられた。
「俺はな、飢えた人間がいたら、魚の釣り方を教える人間だぜ。それでもまだ物乞いを続けるってぇのなら、マジでテメェが魚の餌になっちまえ。どうにかすんのはテメェだ。じゃあな親友ぅ。また来週、学校で会おうぜぇ」
自分から買い物に誘っておいて、一人で先に帰るらしい。秀一は、近くのショッピングセンター内にある雑貨店のロゴの入った紙袋をスクールバッグと一緒に担ぐと、白々しい挨拶と黒々とした笑みを置いて、硝子の自動ドアに納められた夜の駅の風景の中へ、溶け入るように姿を消した。飢えた人間に魚の釣り方を教えたとしても、その魚を奪って捌いて、懐を肥して高笑い。そんな何でもは話してはいけない友人に、弱味を握られた挙句に餌にされる。それがどうにも癪で、あるいは憂鬱で、仁は、今しがたのやりとりを、早速忘れることにした。
しかし、忘れられないこともある――
諦められないこともある――
たった一つの失敗で、失われて破れた恋――
それは――初めての恋だった。
転校生として教壇に立った時に向けられた微笑みは、たった一時のもので、琴線を踏み断ってしまったあの時から、憤怒の形相に変わったままだ。桜が散り、向日葵が咲き、楓も染まった。しかしながら、今年の彼に、色はない――無色の吹雪と雪原が、頭に足に、牙を突き立てていただけだった。
どうにかなるさ……。
そうは思ってみても――
どうにかなるのか……………?
熱い吐息がかかるぐらいに直面した、幼馴染の、山野井千尋の顔が脳裏を過り――仁は、絞った息を、テーブルへと滴らす。
それがスイッチであったような、そんなタイミングだった――