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「ところで橘……なぜこれからリングを賭けて闘おうというのに焼き肉なんだ?」
肉汁に押し流されていた本題。理奈は、冷麺のスープをぐびぐび飲み干してから、あっさりさっぱりと答えた。
「当然、腹が減っては戦はできぬからです。加えて、万が一私が負けて死んでしまった場合、最後の食事が、お昼に立ち寄った中華料理店で出たパイナップルの入った酢豚というのも、おいしくない話ですので」
パイナップルの入った酢豚は駄目なのか、生ごみどころか放射性廃棄物でも食いそうなのに。言い捨てたいところだったが、仁はその人差し指を立てて見せる。
「更にもう一つ訊きたいことがある。わからないんだ……」
ホームズばりの推理力と行動力で(少なくとも彼はそう思っている……)、犯人の正体を掴んだが、よくあるように、謎が少しばかり残っていた。そういうときは、決まって犯人が教えてくれるものだろう。デザートの抹茶アイスとバニラアイスを食べ終え、口が寂しくなったのか、チュッパチャプスを咥える理奈。そんな彼女に、仁は更に声のトーンを落として質問した。
「キャバクラに出版社と、新宿でのお前の犯行には、ターゲットとなる怨敵がいた。徳江に編集部、お前を芸能界から追放した連中だ。連中を殺すのはまだわかる。しかし――彼女は違う。芸能界という世界でさえドラマか映画として観ていそうな、そんなどこにでもいる一般人だ。どうして先日の加護江市爆破の犯行で、加護江中学校で、あの女子生徒を殺したんだ?」
それに、今回加護江総合病院を狙った動機もわからない。徳江や編集部とともに、女優・橘理奈を殺した人物が、入院でもしているのだろうか。あの女子生徒もまた、そうだったのだろうか。いや、そんなはずはない。何でも知っていやがる秀一様から聞いたのだ。徳江と編集部以外に、首をとるべき首魁がいるはずがない。既に、理奈がペイントボマーであり、何よりリング所有者であると断定されている今、こんな質問は蛇足でしかないだろうが、仁は、左手薬指に指輪を嵌めて登校してきた同級生に、相手は誰なのかと探りを入れるかのように、軽いノリで、興味本位で、そう尋ねた。そして――
すぐに――後悔した。
理奈の口内で、キャンディーが噛み割られた音が、鼓膜に爪を突き立てた。目を見張る。ブラックリングをつけていなかったら、どんな強面のどんな恫喝にも慣れ切った伝説の極道の記憶を顕在化していなかったら、公衆の面前でちびっていたに違いない。ほくろが彩なす唇が、裂けるようにして開かれる――
「ムシャクシャしてやったんです。反省は――塵程もしていません」
大人の余裕さえ漂わせていた、涼やかな表情はそこにはない――夜の氷海の底のように、寒く暗く、そして重たい表情があるばかり。
だがすぐに、太陽が昇り、氷は割れ、海の底にも光が差す。理奈は、オレンジジュースのグラスに口づけする。
「人を殺すことは、新宿で終わりにするつもりでした。恨みや辛みは晴らせましたから。でも私は中学生で、今どきの若者ですからね。些細なことでムカついて、急にキレたりするんですよ。心組みだって、崩しては組み崩しては組みという感じの、積木遊びみたいなものなんです。彼女についても、その日は給食のデザートじゃんけんで負けまして、いつも以上にムカついていたそのせいで、つい、やっちゃたんですよ」
プリンやゼリーが食えなかったというだけで、上半身を木端微塵にされてなるものか。『ついやっちゃた』じゃねぇよ……。腑に落ちない気分だったが、病院を狙った件も含め、口の中の牛ホルモンのように、仁はよく噛んで飲み下すことにした。
「それじゃあ、行きましょうか」
そしてカルピスを飲み干し、一息ついた仁を見て、理奈は伝票を手に取った。スクールバッグから、やはりヴィヴィアン・ウエストウッドの財布を取り出しながら、席を立つ。
「誘ったのは私ですし、ここは奢らせてください」
「当たり前だ。あれだけ食っておいて、飯は男が奢る物だとか、抜かした日には腹パンだ」
「ご心配なく。私、奢る趣味はあっても、奢られる趣味はありませんから」
「そうかいそうかい、財布に優しい女だな。で、牛肉の次は鶏肉を食いに行こうだなんて、まさか言い出すことはないだろうな?」
「おいしいアイディアですね。焼き鳥が美味しいお惣菜屋さんを知っています」
「口にチャックをしろ! この大食怪獣が!」
仁もまた、火炎を吐く怪獣と化す。二大怪獣相見える。しかしリナゴンは、ハツだの皮だのネギマだの、そんな香ばしい歌を棚引かせ、スキップの足取りで行ってしまった。火を消した網の上、炭になった肉片がこびりついている。仁は、がっくり頭をおっことす。




