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BLACK RING  作者: 墨川螢
第1章 ペイントボマー事件
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1-30

 ()がった十字を(えが)きつつ、炎が眼前に巻き上がる。視界を暗す黒い煙の向こうから――

 橘理奈が――変わらぬ涼しげな表情で、こちらを眺め下ろしていた。

「何ですか? その体たらくは」

「ぐっ……う、うるせえ……」

「あれだけ、息巻いておいて」

「ち、くしょう……!」

「やっぱり、私がやりましょうか?」

「…………お願いします」

 仁は完全に屈服した。理奈はトングを取り、慣れた手付きで燃え盛る網の上に氷を落とす。氷は溶けて水になり、真っ赤な炎と炭を宥めて行く。何事もなかったかのように箸を取り、ネギタン塩を頬張る彼女を前に、仁は改めてこう思う―どうして俺は、敵と焼き肉を食べているんだろう……。悶々とした気分でカルビをもぐもぐ。うん、美味い。

 炭と肉の薫りのする煙が、空間を煙らせている。その中で、話し声や笑い声が、ぼんやり光って浮かび上がる。それこそが、何よりもこの場を明るく照らし出していた。ここは極牛(ごくぎゅう)加護江店――加護江総合病院から歩いてすぐの所にある焼き肉レストランチェーンである。空になったグラスをテーブルに置くと、すぐさま女性の店員がやって来た。『天職は天使』と言わんばかりのそのスマイルに、思わずカルピスのおかわりを注文する。理奈と店員が談笑を始めた。店員は大学生のように見え、中学生の理奈と対すれば、OBと在校生のように見えたが、交わされる声の色に感じられるものは、同級生の親友同士の仲だった。バイバイと、店員と手を振り合った理奈に、仁はおもむろに声をかける。

「随分店員と仲がいいんだな」

「まぁ、週5で通っている常連ですからね」

「週5っ!?」

「はい。おかしいでしょうか?」

「どう考えてもおかしいだろう。給食を食うのと違うんだぞ。お前、実家に住んでいるんだろう。母親が夕飯を作ってくれるんじゃないのか?」

「あ、ここでの食事は、おやつみたいなものですから」

「余計おかしいわっ!」

 まさに異常事態の光景だった。理奈の手元には、肉を載せた皿が、まるで地球を侵略しにやって来たUFOの大編隊のように、所狭しと置かれている。その編隊を単機で撃墜する凄腕パイロットのような、そんな無駄のない箸さばきで、彼女は次々皿を空にする。カレーは飲み物、そんなことを言い出しそうだな……。肉が焼ける香ばしい匂いではなく、その力士も顔負けの食いっぷりを見るだけで、仁は腹が一杯になりそうだった。

「まったく……元女優だけあって、金遣いの荒い奴だ」

「偏見ですね。節約家の方もたくさんいらっしゃいますよ。それに、自分で稼いだお金をどう使おうと、それはその人の自由でしょう」

「まぁ、そうだが……でもしかし、そんな食欲を抱えて、よく体型を維持できるな」

 冬服の上からでも見て取れる、それ程見事な体型を見ながら仁は言う。スレンダーなラインをしているが、モデルよろしく金鑢で削り落としたような有様ではなく、布でもって撫でるように磨いたような、憧憬と親近感を同時に覚える、そんな風情がそこにはある。希少なものは努めて保存するべきなのにと、老婆心ながら思ってしまう。しかし理奈は、牛フィレ肉を賞味し、紙ナプキンで優雅に口元を拭うと、与り知らないテーブルマナーを耳にしたような顔をして、このように言い切った。

「太らない体質なので」

 悪意のないマナー違反だった。そんな創作的で超人的な個人情報を、公の場で開示するものではない。女子力とやらをアップさせるために涙ぐましい努力をしている、実際的で凡人的な女性陣に刺されてしまう。仁は思わず、周囲を見回す。しかし理奈は、冷麺をずびずび啜り、こう告げた「大丈夫ですよ――」

「今日も顔見知りだけです。このお店には、女優時代から通っているんですけど、店員さんもお客さんも、私という人間をよく知っていますし、それに、私のプライベートについて口外したり口出ししたりするようなこともありませんでした。だからこそ、安心して食事が楽しめますし、常連でいられますし、仲良くできるわけです。裏切るような形で引退した私なんかにも優しい、加護江市でも希少な居場所です。感謝しています」

 それでも男性客の一部は、焼肉奉行のような厳しい目付きでもって、このテーブル席を監視していた。下手な真似はできない、消し炭になるまで焼きを入れられる……。仁は前のめりになって、声を卓上に這わせた。


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