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橘理奈がペイントボマーの正体であると、仁はうすうす気が付いていた。
10月28日から11月13日の短期間に、爆発事件が3件も起こっている。それらの事件に関連性がないと言い切るのは、筋を切った話だろう。加護江市における爆発事件に加え、新宿で起きたキャバクラと出版社における爆発事件も、ペイントボマーの仕業と見るのが妥当である。それら新宿の爆発事件の被害者達が――犯人の輪郭を教えてくれたのだ。
キャバクラにおける事件で死亡した人間は――知る人ぞ知る大物俳優,徳江洋行その人だった。エントランスを出た所で、傍らに置かれていたアタッシュケースが爆発し、顔半分を残して吹き飛ばされた。物知り大魔神・秀一曰く、この徳江、ある出版社のある編集部と繫がっていた。それが――真白出版社週刊トゥルース編集部だった。真白出版社週刊トゥルース編集部は、毎週水曜日に発売される写真週刊誌を手掛ける編集部で、その写真週刊誌『トゥルース』は、芸能ニュースの発信源と称される程、スクープを連発することで有名で、多くのミーハー共の腹を満たして止まないが、その一方で、人権や法律を軽視した過激な取材や記事に、腹を煮やす芸能人も多くいた。しかしながら、その知名度を利用する芸能人も多くいて、徳江洋行もその中の一人であった。彼は、主にライバル俳優を潰すために、そのスキャンダルを公にするツールとして、芸能界の裏事情をリークする交換条件の下、編集部と、ウインウインの関係を築いているらしかった。その徳江が爆殺された4日後、今度は、真白出版社が爆破された。細かく言えば、爆破されたのは、週刊トゥルース編集部が占める出版社ビルの6階フロア。緊急の企画会議の最中にそれは起こり、編集部員23名全員の死亡が、血痕や肉片骨片から確認された。
秀一は言った『目に見えるものが、真実だとは限らねぇ』。腹立たしい限りだが、納得せずにはいられない。連中の繋がりが見えていれば、とうに真実も見えただろう――
ペイントボマーは、キャバクラや出版社を爆破したかったわけではない――
爆殺したかったのだ――徳江洋行と週刊トゥルース編集部の面々を。
ではどうして、そして誰がそんなことをしたのだろう――人が人を殺す理由など、真っ直ぐだったり曲がっていたり、結局その有様を把握し難いものである。しかし、殺された人間が連中ならば、きっとそれは、グングニルと化していただろう。なぜならば、夢の世界ともいえる業界から、追放されたのだろうから――
リングを授けた鬼は言っていた『この加護江市在住の5人の人間に、ブラックリングをもたらした』――
いるのだ――
この加護江市に、地元民だけではなく日本中の誰もが知っている元俳優――元女優が。
「肉汁溢れる小籠包みたいな顔をして、そんなに愉快なんですか?」
星も月も見えない夜空へと、氷を砕いて彩とするような、そんな声が浮き上がる。見事な推理を披露した我が身を思えば、それは賛美に他ならない。仁は応えるように、空からそちらへ眼を移す。かつてはホープとそやされ、今やペイントボマーと謗られる、元女優の犯罪者――橘理奈が、フェンスに凭れ、アイスピックのような眼を構えていた。
仁は、目の前の人物を見定める。最後に彼女を見たのは一年前のこと。月9ドラマのヒロイン役で、清楚な白いワンピースと、暖かな微笑みが印象的だった。しかしこうして、テレビ画面という壁を隔てず、本人そのものを前にしてみると、自分は彼女を見ていたのではなく、観ていただけだと思い知らされる。あるいは、これもまた演技なのではないかと疑ってしまう。いずれにせよ、それ程までに――イメージを蹴倒された。ブレザーやパーカーには色とりどりの缶バッジが取りつけられ、髪を結うヘアゴムにはピザを象った装飾が施されている。そして、ファッションリーダー秀一曰く、その首からじゃらりと垂れ下がる十字架と土星のペンダントと思っていた物は、ヴィヴィアン・ウエストウッドというブランドもののプレミアもののライターで、足元を飾るラバーソールも、ジョージ・コックスというブランドものとのことだった。洋装的にも金銭的にも、随分とパンクしている。そしてどこか冷めた表情をしているこの少女こそが、しかし橘理奈その人なのだ。ブレザーの胸の名札には、『3年B組 橘理奈』と確かにある。
理奈は、やはり注目されることなど慣れたものなのか、姿勢も視線も動じない。しかし、ややあって――薄らと唇を開くと、剥げ落ちるようなため息をついた。
「――ま、そうでしょう。愉快なんでしょうね。名推理です名探偵。ただ個人的には、現行犯を押さえるなんていう垢抜けないやり方をせずに、すっきりさっぱり、確たる証拠を突き付けてこそ、名探偵という称号がふさわしいとは思いますが」
「俺は、垢や泥に塗れていようと、犯人を捕まえてこそ、名探偵だと思うがな」
「目玉焼には醤油かソースか、みたいな話ですね」
それでも尚、その肝は据わっていた。大の男に冷笑でもって威圧されても、涼し気な表情で、その肩を竦ませる。理奈は、ブレザーの内ポケットから、チュッパチャプスを取り出した。包装を剥いて、口内へ。左手の薬指で、黒き髑髏が微笑んだ。
「それで? 名探偵の相沢さんは、追い詰めた私を、これから捕まえるんですか?」
ハムスターのようにキャンディーで片頬をぽっこりと膨らませながら、理奈は言う。
断崖絶壁の犯人に等しい分際でナメやがって。仁は眉間に皺を刻む。そうしながらも――
「捕まえんのはテメェじゃねぇ――テメェのブラックリングに他ならねぇ」
空を貫き突き付けた――黒き髑髏が牙を剥く、その右の拳を突き付けた。既にそこに勝利もリングも納めているかのように、仁の口角は、高々と万歳を決めている。
左手と右手――髑髏と髑髏が睨み合う。
ややあって理奈は、背にしたフェンスの向こうへと、その小さい顔を、ごく小さく振り向ける。階下の窓が、点々と灯りを芽吹かせていた。
「こんな所で、始めるつもりですか?」
「心配するな、そんな闘いになりはしねぇ。それによ、人殺しのお前に、道徳のレクチャーを受ける道理はありはしねぇ」
やくざばりの、もといやくざの剣幕で、仁は声にどすをちらつかせる。
理奈の口内で――キャンディーが転がった。
「わかりました――ですがやはり場所は変えましょう。シャンパンを飲むのに赤提灯じゃ、まるでムードがありませんからね」
「ムードねぇ。俺の前世、伝説の極道・大葉恭司も、男を屠るにしろ女を抱くにしろ、ムードってやつを大事にしたらしいが、生憎俺はそんなもんに気を遣える程クールじゃねぇ。だがまぁいいさ、好きにしろ。どこでやろうが――俺の書いたシナリオに変わりはねぇ」
理奈がフェンスから背を放し、柳が風に揺れるように歩き出す。
仁は顎を上げ、見下し見下ろし首を鳴らした。




