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「そういえば滝川。山野井の野郎から伝言がありやがるんだ。例の漫画、剣道部の練習が終わったら、届けに行きやがるってよ」
「ホントにっ!?」
すると秀一が、痰でも吐くようにそう言った。途端に悠は、ちゃぶ台に置きかけていた鉛筆を放り投げ、その勢いでもって万歳をした。
「楽しみ楽しみ。続きが気になって眠れなかったんだよ。ついにゴスロリとの決戦が始まるんだね」
「何だ、滝川も『レインコート』を読んでいるのか?」
レインコートとは、週刊漫画雑誌プッシュにて連載されている、サスペンス作品である。自称名探偵のお馬鹿だが行動力はある男子高校生の主人公が、他称名助手の内気だが頭はいい同級生の親友を引っ張り回し、雨合羽とゴーグルで正体を隠した殺人鬼・レインコートを追い詰めるというストーリーで、連載開始からじわじわと人気を集め、アニメ化のみならず、クリスマスイブには劇場版が公開予定となっている等、今や知る人ぞ知る、誌内随一の人気作になっている。しかし人気絶頂の最中、作者の不二木幸平は、来年六月をもって連載を終了することを昨日発表。その結末は勿論のこと、レインコートの正体に、尚一層の注目が集まっている。ちなみにゴスロリとは、レインコートの模倣犯であり協力者でもあった、そんなキャラクターの通り名である。
「そんなに気になるんなら教えてやろうかぁ。まずゴスロリの正体は主人公の――」
「やめいっ!」
ゴスロリの正体や廃病院における決戦の結末を知らないことから、恐らく悠は、千尋から借りた単行本で話を追っている。そんな彼女にネタをバラそうものなら、怒りに燃えた千尋にバラされることになるだろう。仁は口角泡を飛ばして、秀一の暴挙を制止する。正直なところ、ゴスロリは主人公の妹で、黒髪ロングの美少女で、口封じのためにレインコートに殺された悲劇の最期など、この際悠が相手でも、贔屓のキャラクターについて熱く語ってやりたいところだったが、それはまたの機会になりそうだった。
「しかし滝川、俺はネタバレなんてする気はないが、そんなに先が気になるなら、単行本でも雑誌でも、買って読めばいいじゃないか」
それでも、その機会に飢えている仁は、そのように提案した。しかし悠は、頭を振った。
「いやぁ、もっと駄目になるからって、漫画とかって買ってもらえないんだよね。お小遣いも、ちゃんと使えないからって、ほとんどもらってないんだよ」
「そりゃあ正論だな。愛は給料と同じだからな」
秀一が、口を挟む。悠はボディーブローを食らったかのように、息を詰まらせ、ずり落ちた眼鏡の向こうで白目を剥いた。仁は思う、再び落ち込まれても面倒だ。
「いやいや、ひどい親だろう。漫画ぐらい買ってやればいいじゃないか」
「よぉ、ブルジョアぁ」
「たかが漫画だぞっ!?」
「よぉよぉ、ブルジョアぁぁ」
「お前もう黙れやっ!」
フォローした途端、今度はこっちにブローが飛んできた。秀一の肩を引っ叩く仁。しかし応戦され、上半身だけを使ったボクシングが始まった。仏頂面の赤コーナーに、畜生面の青コーナー。やられたらやり返す、最後の一発は譲れない。そんな子供みたいな意地を賭けたタイトルマッチを観戦していた彼女は――
「いいんだよいいんだよ。悠が駄目な子なのが、悪いんだから」
滝川悠は――にっぱりと笑顔を咲かせていた。
無効試合になった。アリーナの天井が、落ちてきた――
やっぱりと、仁は思う――
やっぱり強い奴なんだと、そう思う――
そうは思うが、思うのだが――強くあろうとする者にありがちな、然るべき強がりが見えない彼女の笑顔が、その驚愕を驚懼へと引き摺り込もうとする。
仁は結局、思い直した。結局、その馬鹿みたいな生き物から、その眼を逸らす。すると視界に、壁に掛けられた11月のカレンダーが滑り込んで来た。赤い丸印が、22日についている。11月22日、その月日は忘れるはずもない――山野井千尋の誕生日だ。彼女の友達は、バースデイパーティーを密かに計画していた(当然仁は誘われていない)。千尋と悠は、春の出来事があってからというもの、姉妹のよう仲が良かった。千尋に再三再四世話を焼かれても、悠は相変わらず自分のペースを譲らないのだが、あのカレンダーを見るに、血の繫がりのない姉妹は、それでも絆で繫がっているらしかった。俺も近い将来、きっとその日を、『いい夫婦』の日にしてみせる。仁は、胸の前に腕を組み、固い決意を押し込める。
気付けば頭の上で、夜の帳の裾が揺れていた。仁は気怠げに立ち上がる。秋の日は釣瓶落としと言われるが、今からこの部屋を出れば、なんとか自分の部屋で日没を眺められそうだった。こんなに疲れた一日には、そんな安息を噛み締める時間が、たとえ寸刻であっても必要だ。だがしかし、そんな悠長は、許されなかった――




