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BLACK RING  作者: 墨川螢
第1章 ペイントボマー事件
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1-20

「他人の家の冷蔵庫を開けるっていうのは、どうにも気が引けるもんだな」

 その感情の出所は良心などではなく、途端に目にしたサーロインの肉塊の迫力こそだったが、そんなものは看過して、仁はコーラの1.5リットルペットボトルを取り出した。背後のダイニングテーブルで、人数分のコップを盆に載せていた秀一が、吹き出すように鼻を鳴らす。

「天使だねえ。住人に許可を貰ってんだから構うこたぁねぇんだよ。それはそうと、野菜室の天井に貼り付けられてるヘソクリを見逃すなぁ」

「何で住人でもないお前がそんなことを知ってるの!?」

「知ってるからだろぉ。どうせ両親は滝川のせいにするんだぁ。パクッとけパクッとけぇ」

 悪魔の囁きを、冷蔵庫内に封印する。そして仁は、ペットボトルを盆に載せ、それを持って、二階にある悠の部屋へと歩き出す。あの後、秀一の拳骨によって、脳天にたんこぶを拵えた悠だったが、おもてなしの笑顔でもって、二人に部屋へ行っているようにと促し、自分は飲み物を用意してくると言い出した。その役割が交換されているのは、秀一が提案を却下したからだ。曰く『あいつに任せてみろ、運んでくる途中でひっくり返すに決まってる。いやむしろ、またもや気が触れて、一人でビールかけならぬコーラかけをやりかねねぇ』。否定できない仁がいた。しかし同時に、納得ができない仁もいた。どうして客が給仕をしなければならないのか。トラブルメーカーを養成する人間社会のシステム障害に直面し、思わず唇を尖らせる。盆の上、潔癖なまでに透明に磨き上げられたグラス越しに、己が行く手を透かし見る。階段を上り切り、廊下を進んで、一番奥まった部屋の前に立つ。プレート代わりのかまぼこ板が、ドアに直接五寸釘で打ち付けられている。『ゆうのおへや』と、赤い油性マーカーか何かで、キマッた筆跡で書かれている。もう、突っ込む気力も湧いてこない。ブリキの執事と成り果てて、仁はドアをノックする。

「いらっしゃいませ~」

 カラーセロハンのドリンクや折り紙のフードを売る、そんなハンバーガショップの店員みたいな調子の返事がある。仁は、ドアを開けた。そして目を見張った。スキーをつけたウサギが突撃してきた、わけではない――

 眼鏡におかっぱという、たまちゃんの眼鏡をかけたまるちゃんみたいな顔の下――

 悠は――着ぐるみパジャマを着ておらず、パンツ一丁という姿でそこにいた。

「わ、わわわ、悪い!」

 ほとんど起伏のない小芥子(こけし)のような体型だったが、一応相手は人間で、同い年で年頃の女である。仁は思わず、身体を返す。

「はえ? いらっしゃったんじゃないのかな?」

 しかし悠は、あまりにもけろりとした様子で、小首を傾げた。「入って入って」と歌うように促すも、手にしているキャミソールで胸を隠す素振りは見せやしない。唖然とし、仁はその場で電柱と化す。それでもやはり、小便の一滴さえもかけられない。

「テメェはよおおお……」

 背後からのその声が、白煙をぶわりと煽り立てる――

 秀一が――煙草を二本も吹かしながら、仁王像の屹立を見せていた。嗚呼、額の傷が開いて、またもや血が……。当然吽の相は、すぐさま阿の相に変貌する。

「くだらねえボケを何度もかましやがって! 話が先に進まねぇだろうが! 大体そんな貧相なボディーで、サービスカットになるかよオイ! とっとと服を着て、『只今不適切な映像が流れました』と、ペコペコヘコヘコお詫びしろやあああああ――っ!!」

「いや~ん、けだもの~、堪忍して~」

 癇癪玉と表六玉のアメリカンクラッカー。ふいに紐が切れて失明でもしたら事である。仁は盆を床に置いて部屋を出た。閉めたドアを内側から砕くようにして響き渡る、怒声と嬌声。さざ波の音が風流な海辺を思い描くことで、無粋なノイズを耳の底から洗い出す。海、海、海……。海と言えば、水着である。異論は認めない。そして水着と言えば女であり、女と言えば――千尋である。異論は許さない。千尋には、純白のビキニタイプの水着が似合うだろう。『ちょっと待ちなさいよ~』『捕まえてみろよ~』飛沫(しぶき)で艶っぽく化粧をした彼女と、真夏の太陽さえ焦がす追いかけっこ。そんな腐り切って糸を引いていそうなベタベタな妄想に耽りに耽り、仁は涎を垂らして破顔する。後頭部をバールのようなもので殴打しても正当防衛と見做されそうな、そんな猥褻物陳列罪がそこにはある。が、先程そのあられもない姿を見たからだろう、ふいにビキニ姿の千尋がぼわんと煙を巻き上げて、スクール水着姿の悠へと化けた。


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